第四話 狩野村
翌朝、才吉は煉の勧めに従い、家の住人に挨拶をすることになった。彼によると、竹子の他に家族は年老いた祖母だけ。ただもう一人、同居人として近くの森で暮らしていた亜人族の娘がいるという話であった。
才吉は煉が用意してくれたツナギに袖を通すと、部屋の外に出た。地球では作業着などとして知られている上下一体のこの服も、この世界では制服や礼服として用いられる。
「なかなかお似合いですよ」
「すみません、お借りしてしまって」
「お気になさらずに。私には少し小さめですから」
煉の案内で階段を下りると、廊下の奥からトントンと小気味よい音が聞こえてきた。突き当りの扉の向こうは台所で、中では二人の女性が忙しく食事の準備をしていた。パチパチと音を立てて燃え盛る竈の熱気や煙とともに、料理の美味しそうな匂いが漂ってくる。壁際の大きな棚には、何かを詰めた瓶や食器、調理器具などが所狭しと並んでいた。
水音に気付いた才吉が流し台を見ると、そこには竹筒のような管から絶え間なく水が流れ出ていた。管は壁を伝わり天井に向かって延びている。この世界の水道はほとんどが自然流下、すなわち高低差を利用したもの。おそらく上に何らかの給水設備が存在するのだろうと彼は判断した。
そんな風に室内をキョロキョロと見回していた才吉だが、ふと奥にいる若い女性と目が合った。その瞳はエメラルドのような緑色で、頭に巻いた布から癖のない金色の髪がはみ出している。
彼女はすぐに視線を外すと、もう一人の老女に向かって薪を取って来ると言い残し、勝手口から出て行ってしまった。おそらく例の同居人に違いない。そう才吉は思った。
作業を見守っていた煉が、頃合いを見て老女に話かける。
「おばあさま、才吉くんをお連れしました」
「まあまあ、ご丁寧に」
老女は手を休め、手拭で両手を拭きながら才吉に向き合う。目尻に笑い皺のある優しげな顔。青く澄んだ瞳が彼をまっすぐに見つめてくる。
「はじめまして、那須野才吉と申します。行き倒れたところを助けていただき感謝しております」
そう言って深々と頭を下げた才吉に、彼女も礼を返す。
「ようこそいらっしゃいました。わたくしは
「はい。旅先で無理をしてしまい、倒れたところを煉さんに助けていただきました」
一瞬、才吉の胸が罪悪感でチクリと痛む。やはり嘘をつくのは気分が悪いと感じた。だがこれは仕方のないことだと自分に言い聞かせる。信じようのない事実を告げたところで、不信感以外の何も生まれないのだから。
「それはご無事で何よりでした。お連れの方はいらっしゃらなかったの?」
「ええ、一人旅ですので」
「そう。若いのに何か事情がおありのようね。身体の方はもうよろしいの?」
「おかげ様で、もうすっかりいいみたいです」
「それは良かった。でもまだ無理はしない方がいいわ。大したもてなしはできませんが、自宅と思って気軽に過ごしてくださいな」
「ありがとうございます。やれることがあれば、何でもお申し付けください」
八重は嬉しそうにほほ笑んだ。
「では、おばあさま。才吉くんに村を案内してきます」
挨拶が済んだのを見計らってそう言うと、煉は勝手口のドアに手をかけた。
「そうね。でもまだ無理はだめですよ」
「ええ、すぐに戻りますよ」
外に出ながら煉は返事をする。才吉は一礼すると、彼に続いて外に出た。そこは家の裏庭。家庭菜園や家畜の飼育小屋らしきものもあり、思った以上に広い。
ふと才吉が目をやると、少し離れたところに先程の若い女性の姿があった。小屋の中から薪を取り出し、大きなカゴに詰め込んでいる。頭に被っていた布は外したらしく、金色の髪が風に揺れ太陽の光で輝いて見えた。
「彼女が先ほど話した同居人です。名前はディアーナ。エルフ族の村長の娘ですが、ある事情によりこの家で暮らしています。元々人付き合いが苦手なところがありましたが、今は特に人間族に対する不信感が強い状態でして」
煉の説明を聞きながら、才吉は改めて彼女の耳を注視した。極端ではないが少し尖って見える。煉が手を振ると、彼女は軽く頭を下げ別の方向へ立ち去ってしまった。
「まあ、気になさらずに。また別の機会に挨拶するとしましょう」
「この村には人間以外の種族の方も多く暮らしているのですか?」
「いえ、彼女だけですよ。実はその辺りもさっき言った事情と関係がありまして……。まあ、それについては後回しにしましょう」
何やら複雑な事情がありそうだと感じながら、才吉は再び煉の後に続いて歩き出す。裏庭から出ると、土を踏み固めた道の先に青々とした田畑が広がっていた。そこは緩やかな傾斜地で、遠くまで段々畑あるいは棚田のような耕作地が続いていた。
田舎育ちの才吉でもこんな牧歌的な風景を直に見た経験はなかった。つい足を止め見入っていると、煉も立ち止まって隣に並ぶ。
「改めて、狩野村にようこそ。どうです、なかなかのものでしょう?」
「すばらしい眺めですね。ところで村の名前と煉さんの苗字が同じなんですか?」
「ええ、うちは代々この村の領主ですから」
彼が言うにはこの国の領主というのはほとんどが世襲制で、その苗字は管轄する行政区に由来するものが多いのだという。あくまで国に雇われた役人という立場らしく、支払われる賃金も平均的なもの。才吉がイメージするような高貴な身分や裕福さとは無縁のようであった。
そんな話を聞きながら、才吉たちは脇道へと歩を進めた。ふと見上げると、ローマの水道橋のような構造物がまるで家同士を繋ぐかのようにそびえ立っている。さっきの台所の水道はあそこに繋がっていると才吉は直感した。
「煉さん、あれは給水のための設備ですか?」
「ええ、山の湧水地から水を引いて通り沿いの建物に流しています」
「すごい。あれなら水汲みの重労働から解放されますね」
表に回ると、そこには村のメイン道路と思しき石畳の道が広がっていた。その道は村の中央を真っ直ぐに貫き、下った先は入口の門へと繋がっている。ほぼ全ての建物がその通り沿いに建ち並び、道の左右にはそれぞれに水道橋が走る。
朝食の準備のためか、家々の煙突からは煙が上がっていた。才吉はふと浮かんだ疑問を投げかける。
「そういえば下水はどうしているのですか?」
「この石畳の地下に排水溝がありまして、道の端の雨水溝もそこにつながっています。下流には浄化植物を利用した汚水処理槽もあるんですよ」
「それはすごい! かなり大変な工事だったんじゃないですか?」
「ええ、それはもう。祖父の代からの大事業で長い年月がかかりました。この上下水道設備は村一番の自慢です」
まさかこの世界で水洗設備が利用できるなんて。汲み取り式を覚悟していた才吉にとっては、嬉しい誤算であった。
煉の家は傾斜地のかなり上の方に位置しており、時間が早いせいもあって、通りを登ってくる村人は今のところ見当たらない。彼の家より高い場所には大きな建物群があり、自然石を積み上げた無骨な塀に囲われたいる。水道橋はどうやらその一角から延びているようであった。
「村の人口は四百人ほどで、ほとんどが農業を営んでいます」
煉は石畳の道を下ったずっと先の方を指差す。
「あちらが村の入口、宿屋や商店などが軒を連ねています」
才吉が目を凝らすと、その付近の建物に出入りしているいくつもの人影が見えた。
「確かに賑わってますね。村にギルドはあるのですか?」
「いえ、残念ながらありません。ギルドは近くの町まで行かないと」
「そうですか……」
才吉は肩を落とす。ギルドというのは職業組合のような組織で、それぞれの職種に合った仕事を紹介してくれるいわば斡旋所のような場所。転移後、まずはギルドで仕事を探すというのが彼の計画であったが、どうやらすぐには実行できそうもない。そんな才吉をよそに、煉は話を続けた。
「あの中央にある大きい建物が、竹子の通う学校。私の母校でもあります。その向かいの尖った屋根が教会です」
この世界に機械式の時計は存在しない。時を告げるのは主に宗教的な建物の鐘で、日時計と水時計を併用している。母に教えられた知識を思い出すと同時に、才吉はある事を確信していた。それは、ここが母の転移先とは違う国だということ。理由は文化の違い。彼女の転移先、すなわち才吉の父の生まれ故郷は日本そっくりな和の文化を持つ国だったが、ここは明らかに西洋風なのだ。そんなことを考えていた才吉に、煉は建物群を振り返りつつさらに説明を続ける。
「あちらは
「先程の水道設備といい、もう町と呼んでもいいほどの発展ぶりですね」
「はは、そう言ってもらえると領主冥利に尽きます。水道が通ってからは年々人口も増えてますから、いずれは町の条件を達成できるかもしれません」
それにしても、これだけの設備を整えるための資金はどう工面したのか? 才吉にはそれが疑問だった。
「朝食を終えたら、館に行きます。会っていただかなければならない方がいるので」
「どなたですか?」
「村の守備隊の隊長さんです。彼女は治安維持の責任者なので、身分証のない人が村に入る場合、必ず話を通さなければなりません。才吉くんは病気だったので、特別に手続きを後回しにしてもらったのです」
「そうでしたか。お手数かけます」
才吉はそう言葉を返しつつ、煉の話の中の彼女という部分が気になっていた。どうやらこの村の守備隊長は女性らしい。いずれにせよ、自分のような余所者を村に入れるにあたって責任ある立場の者が素性を確認するのは至極当然の事。そう才吉は思った。