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第五話 衝撃のアフロ

 途中、数人の訝し気な視線を受けながら才吉たちは廊下を進んでいく。朝食を終えた二人は、予定通り館の一角にある軍の詰所へと赴いていた。
 すれ違う兵士は皆、深緑色のツナギの上に革製の防具を着用している。煉の話では、これがこの国の軍服とのこと。ちなみに才吉たちのツナギはグレーで、背中と胸には狩野家の紋が刺繍されている。
 石造りの建物の中は最初薄暗く感じたものの、慣れてくると逆に窓から射し込む光が眩しく見える。扉のない部屋の前まで来ると、煉は中にいた兵士に取り次ぎを依頼した。

「では、どうぞこちらへ」

 戻って来た兵士はそう告げると、先導するように再び奥に向かって歩いていく。部屋から続く廊下に窓はなく、壁に固定された照明が周囲を照らしている。よく見ると金属の枠にはめ込まれた円筒形のガラスに中で、いくつかの不揃いな魔光石が光を発していた。
 突き当りには鉄で補強された木製の扉があり、案内してくれた兵士は何も言わずにその傍らに控える。それを見届けた煉が扉をノックすると、中から入室を促す女性のくぐもった声が聞こえた。

「失礼します」

 そう言いながら部屋に入ると、そこは予想よりも広い空間だった。机には頬杖をつきながらジッと才吉を見つめる女性がいる。
 褐色の肌に分厚い唇、細い眉に鋭い眼光。それだけでも視線を集めそうな彼女の頭には、さらに異様に膨れ上がった髪が盛られていた。才吉は思わずその髪に視線が釘付けになる。

「お待たせしてすみませんでした。お連れしましたよ」

 入口から数歩進んだところで煉がそう話す。

「ご苦労様、煉」

 女性は音もたてずにスッと椅子から立ち上がった。

「さて、あなたが那須野才吉くんね?」

「あ、はい」

 彼女の問いかけに、ようやく才吉は頭部から視線を外す。

「ずいぶん若いのね。わたしは安室雪江(あむろゆきえ)。聞いているとは思うけど、この村の守備隊長よ」

 アフロのアムロ。微妙なネーミングで笑いのツボにはまりそうになるのを、才吉は必死で堪えた。そんな彼の前に、彼女は軽々と机を飛び越えて立つ。そのしなやかな動きは黒豹を連想させた。
 すぐに気持ちを落ち着けた才吉は、改めて眼前の人物の威圧感に目を見張った。彼女の背は、一メートル七十二センチの才吉よりも頭一つ分高い。膨れ上がった髪型のせいで、その身長差はさらに大きいものに感じた。

「あなた、あの拳聖の子孫らしいわね? つまり海の向こう、鶴賀の国から来たということかしら?」

 そう言って、彼女は値踏みするように才吉に視線を這わせた。才吉は内心、少し驚いていた。ここが両親の国でないことは気付いていたが、まさか別の大陸だったとは。だが、それを悟られてはいけない。平常心を装いながら、才吉は彼女の質問に答える。

「はい、その通りです」

「あなたみたいな若い人が一人旅なんて、珍しいわね」

 才吉は予め転移前に練っておいた架空の出自や境遇を思い出し、こう述べた。

「武門の出なので、十五歳で武者修行の旅に出るんです」

 彼女の眉がピクリと動く。そして踵を返すと一歩、二歩と才吉から距離を置いた。

「で、大事な身分証は荷物と一緒に盗まれてしまったと?」

「意識がなかったので断言はできませんが、おそらくは」

 彼女は再び向き直ると、ニヤリと笑みを浮かべた。その顔はまるで道化の仮面のようだと才吉は感じた。

「ふうん……。じゃあ、どうやって身元を証明してもらえるのかしら?」

 一瞬、才吉と煉の目が合う。どうやら安室は才吉の素性を疑っているようだ。それなら、この身をもって証明すればいい。そう才吉は考えた。
 この世界では魔法属性を遺伝的に引き継いだ事例は多く、魔法の吸収は転移者だけが使える特殊能力。ならばそれが拳聖との血の繋がりを示す証拠になると彼は判断したのだ。それはどうやら煉も同じだったらしく、彼はすかさず何かを提案しようと口を開いた。

「安室隊長、それなら――」

 だが次の瞬間、彼女は広げた手を突き出し煉の言葉を遮った。才吉は凍り付いたように安室を注視する。彼女からは、そうさせるだけの気配が発せられていた。そしてその緊張が引き金となり、才吉のなかで反射的にマナの燃焼が始まる。
 彼女は伸ばした右腕をゆっくりと動かし、才吉へと向ける。その表情が悪魔のような笑みに変わったときには、すでに彼の感覚は研ぎ澄まされ始めていた。

「手伝ってあげるわ!」

 叫んだ瞬間、安室の手の平に緑色の光で描いたような紋様が浮かび上がった。刹那、陽炎のような揺らぎが生じ、瞬時に具現化した石の塊が才吉めがけて弾き出される。
 だがこのとき既に、才吉は攻撃の軌道から外れるべく斜め前方へのステップを踏み出していた。上体をやや前のめりにさせつつ石をかわすと、魔法を放ったその手首を掴み取る。そして踏み出した足を軸に身体を回転させ、力を加減しながら手首を極めた。
 この一連の動きは、彼女が放った石が壁にぶつかるまでのほんのわずかな時間の出来事であった。通常は不可能な反応速度、おそらくは身体強化の恩恵によるものだと才吉は悟った。
 ここで彼はようやく失敗に気付く。避けなければ当初の予定通り魔法吸収の実演になったはずであったが、これまで積み重ねてきた訓練が彼の体を反射的に動かしてしまったのだ。
 手首を極められた安室はぐらりと片膝をつき、わずかながら苦痛に顔を歪めた。だがその表情はすぐさま悪魔の笑みへと戻る。

「やるじゃないか! 小僧!」

 手の平に再び紋様が現れた瞬間、才吉の周囲の床に揺らぎが生じた。才吉はとっさに手を放し、素早い足捌きで距離をとる。直後、彼が立っていたところ目掛けてツタのような植物が床から飛び出す。

「甘い!」

 そう叫んだ彼女のもう一方の手の平には、先程と同じ紋様が浮かび上がっていた。両手に発現部位があると気付いたときにはすでに遅く、才吉は飛び出したツタにその身を囲われていた。
 反射的に防御の姿勢をとる。だが、縛り上げられることはなかった。ツタは身体に触れる寸前でたちどころに消え去り、それと同時にマナが体内に流れ込んできたのだ。

「へえ、それが噂の魔法吸収ってやつかしら?」

 ますます恐ろしい笑みを浮かべる安室。彼女は腰の得物にスッと手を伸ばす。それがメイスと呼ばれる打撃武器であることを、才吉は知っていた。
 竹刀や六尺棒を相手に練習したことはあるが、殺傷能力が高い武器は初めての経験である。全身が泡立つような感覚を覚えながら、才吉は彼女の表情を窺う。どうやら途中で止めてもらえそうもない。そう感じた彼は、覚悟を決め身構えた。

「それまで!」

 突如、耳鳴りがするほどの大きな声が響き渡る。声の主は煉であった。彼はいつになく厳しい表情で、彼女に向かって言葉を続ける。

「安室隊長、もう十分でしょう。彼が拳聖の子孫であることは証明されたはずです」

 安室はメイスにかけた手を下ろし、攻撃の構えと解く。

「ふん、まあいいわ。認めましょう。ただしあなたの監視下に置くことが条件よ、煉」

「わかりました。では、これで」

 彼女の気が変わらない内にと考えたのか、煉は早々に切り上げようとする。興奮冷めやらぬまま、才吉は彼に促されてその場を後にした。
 館の門を出たところで、二人はようやくホッと息をつく。

「いや、申し訳ない。まさかあんなことになるとは……」

「煉さんのせいじゃないですよ。僕も配慮が足りませんでした。最初の魔法を受けていれば、それで済んだかもしれなかったのに……」

「まったく彼女には困ったものです。弱い者には優しいのに、強い相手となると見境がなくなる」

「さすがは軍人さん、血気盛んですね」

「彼女は特にそうなんです。この辺りじゃ有名ですよ、狂犬アフロなんて呼ばれてて。まあ、辛いこと続きでイライラしていたのはわかりますが……」

「煉さん、アフロって言ってますよ。アムロの間違いじゃないですか?」

「おっと、聞かれたら大変だ。あはは」

 煉は一頻り笑った後で、こう言った。

「しかし、とても盗まれた荷物のことを相談する雰囲気ではありませんでしたね?」

 その言葉に、才吉はハッとした。

「すみません、すっかり忘れてました」

「はは、私もです。でもまあ、それは次の機会にしましょう。いずれにせよ、才吉くんにはもうしばらくここに滞在してもらいたい」

「しかし、ご迷惑では?」

「とんでもない。うちは男手が少ないので、少し力仕事を手伝ってくれると助かります。それに、父の仕事を受け継いでからは年の近い人と話す機会が少なくなりましてね。話し相手ができれば私も嬉しい」

「もちろんです。そんなことなら、いくらでも」

 才吉は心の内で安堵した。仮に安室に荷物の件を相談したところで元々ないものが戻るはずもなく、ギルドも身分証もない現状では仕事も得られそうにない。とにかくこの世界で生き延びるには眠る場所と食事、あるいはそれらを買うお金が必要なのだ。転移前は魔生石を売ることも想定していたが、できれば手放したくはない。そんなわけで、今のところは煉に頼る以外に方法がないのだ。

「それにしても、やはり拳聖の血は伊達ではありませんね。あんな近距離で魔法をかわす人は初めて見ました。常人離れした反射神経だ」

「身体強化のおかげですよ。それがなければとても」

 そう謙遜しながら、才吉は改めて安室との手合わせを思い返していた。魔法のことは幼い頃から何度も聞かされてきたが、本物を目にするのは初めてだった。
 安室の手の平に浮き出た光る紋様は、マナを魔法に変換する主発現部位(しゅはつげんぶい)と呼ばれる組織。地球では魔法使いといえば多種多様な魔法を使うイメージが強いが、こちらの世界では主発現部位の種類で使える魔法属性が決まってくる。よって普通は二、三種類程度の魔法しか使用できない。
 ただし魔法にはレベルがあり、それが上がれば同属性のより強力な魔法が使用可能となる。ここでいうレベルとは、魔法管が到達した魔臓器の階層数のこと。魔臓器は階層構造を持つ器官であり、深い層ほどマナ濃度が濃くなるといわれている。つまり初めは第一層にしか繋がっていない魔法管が、錬度の向上と共に弁を形成しながら深い層へと伸びていき、その結果さらに強力な魔法が使用できるようになるという仕組み。階層数は先天的なもので、それが多いほど成長の幅が広く才能があるということになる。
 そんな母の教えを思い出しながら、才吉は先程の相手の実力がどのくらいのものだったのか気に掛かった。

「あの、安室隊長は何層レベルの使い手なんですか?」

「彼女は土属性第二層レベルです。ちなみにさっき使ってた飛石魔法(ストーンバレット)拘束魔法(バインド)はどちらも第一層レベル。そうでなければあれほどの連続使用はできません」

「じゃあ、さらに強力な魔法も使えるわけか……」

「しかし、才吉くん。なぜ魔法を避けたのです? 吸収できるのだから避ける必要はないのでは?」

「体が反応してしまったというのが正直なところですが、僕をそう訓練した母の影響もあると思います」

「というと?」

「能力に頼り過ぎるなということです。必要があるとき以外は、たとえ低レベルの魔法であっても怠けずに避ける癖をつけろと教えられました。そうでなければ、高レベルの相手には太刀打ちできないと。自分の階層よりも高いレベルの魔法は吸収できませんから」

「なるほど、そういう訳でしたか。うん、素晴らしい教えだ。拳聖の血は父方ではなく、母方から引き継いだのですね?」

「あ、はい。そうです」

 才吉は少しヒヤリとした。思わず口が滑って母の話をしてしまったが、どうやら問題なかったらしい。
 それにしても今は、母の時代から何年後の世界なんだろうか? そんなことを思いながら、才吉は煉と共に来た道を戻っていく。そして玄関の取手に手を掛けた矢先、急に煉が振り返りこんなことを言い出した。

「実は、才吉くんに相談があるのです。今から少し時間を貰えませんか?」

「え?」

「いや、相談というよりお願いというべきかもしれない。不躾な話で悪いのですが……」

 才吉はようやく腑に落ちた気がした。煉にはどこか自分を引き留めようとする節があると感じていた。もちろん彼が親切であることに疑う余地はないが、やはりそれだけではなかったのだ。
 何にせよ、ちょうど自分も身の振り方について相談しようと考えていたところ。才吉は迷うことなくこの申し出を快諾した。

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