季節はずれの花.1
《法の家》の北東には、
そこから南西の方角――湖ごしに見る大地の彼方に、こじんまりと
地下に水源をおくその
この地方では、さして珍しくない植物だったが、このあたりで一帯を埋めつくすような育ち方をしているのは、千の魔が封じられたといわれる丘のかたわらに湧くその湖の北側だけだ。
日が短くなってくると赤茶色の茎をのばし、全体に短い
周期的に他属
その花芽が育つにはまだ早い初夏。
あたりは成人の
太陽がようやくその全貌をのぞかせようかという頃。
その煙るような青緑色の草原を踏みわけてゆく、若い男の姿があった。
年は、十八、九だろうか?
いくぶん、肩の鋭角さがきわだって見える、厚みがさほどでもない長身
さらと流れる髪は明るいとも暗いとも言い切れない色調で、
ブツッ…ブチッ……ッ
彼が向かっている方角から、なにかをひき
プチ……ブツッ……
青年は、まなざしを細くしながらも歩調を乱すことなく。音がする方へ向かった。
草地の向こうにあって。進むほどに
その手前の緑帯びた青白い
不充分な日ざしに、鈍い艶をはなつ金色の頭部が見えた。
彼の気配をさっしたのだろう。動きを止めたその人物は、ふり返ることなく声をあらげた。
〔——なにをしにきたのっ!〕
彼女がいるあたりの青緑が薄くなり、土がのぞいている。
地面にふせり、泣きながら
〔あなたに、ここに来る資格なんてないのよっ! 守れなかったくせに……。守れな…………守れなかったくせに……!〕
〔…。プルー……〕
〔呼ばないでよっ! あなたに呼ばれたくない……〕
身体をひねって、ふり返った彼女は、青年を睨みあげた。
〔嫌いよ、あなたなんて……。あいつも嫌い…。だいっ嫌い…——こんな大地……。闇に食われてしまえばいいんだわっつ!〕
嘆きの激情のなかに青年を映すのは、感情の乱れそのままに色相が
その双眸が、見たくないというように彼から
〔…どこか行ってよ……。……〕
青年は力なくおろしていた両手を、ぎゅっとにぎり
〔ごめん……。だけど。彼女が好きだった花……植物だよ?〕
〔うるさい…! あなたの言うことなんて聞きたくない! 帰れ! 帰って! ……消えてしまってよ……〕
ちぎられ、青年めがけて投げられた青緑。それは目標に届くことなく微風にさらわれて、空中を舞った。
はらはら、ひらめき、
ばらばらに
🌐🌐🌐
東では、相手が名乗る前に名をたずねることが礼儀にもとる行為とされていた。
それゆえ東で生まれた子は、人の名前は
相手が自分から告げるまで待つものだと。
それは身近な
『——その…。おまっ。……君、は、知ってるんだしさ。オレが知らないのは不公平だと思うんだ。いろいろ不便だし。それで…、……。だから――…聞いても怒らない?』
『なにを?』
『んっと……。嫌ならしかたないけど…。でも……。その…だから、おまえの…な……。…な……、なまぇっ…だけど』
『ぼくは……。――ヴェル…。西じゃ、たずねるくらい平気だから気にしなくていい』
『ヴェル
『……。耳が悪いのか?』
『え? 西にいたってことだろ?』
名をたずねることを
名前をそのままに呼ぶことは西でもダブー視されていて、ふだんは省略した名前か通名。愛称を多用する。
通称は気づけばそうなっていたというような習慣性もあったが、ある程度までは、本人の主張、希望が優先される。
たとえそれが、本名と似ても似つかない
状況、環境によっては、本人の主張が無視され、より強硬な者、立場的な上位者がこれと
ともあれ。
大切なその人が、彼のことを《セレグ》と呼んでいたので、少年は、その響きを封印し、ここでは《レイス》と名乗った。
彼の援護者……支援者であり、
忘れたわけではない。
けれども捜し人は、いっこうに姿を現さず、時の流れが待ち続ける少年の心を
少しずつ現実を受け入れ、置かれた環境に慣れてゆく。
実情は、こうなのだと見せつけるような暮らしのなかに、その人との再会をあきらめられたわけではなかったのだけれども――…。