異端.3
数枚の紙に記《しる》されていたのは――名前と年齢。性別。
それに、各自《かくじ》がいま寝起きしている宿舎と部屋の情報だ。
「……。《住居不定》とか《主に
敷地の全体図をはじめ、数十枚におよぶ各方面の配置の略図も資料として渡されていたが――セレグレーシュは、いま、氏名が記載されているリストの方に視線をおとしている。
「友人の
だいたい特定できる例もあるが、数カ所にまたがる場合が少なくないし、そういった施設を住居と位置付けるのもおかしなものだ。
それでも初めは大抵、宿舎に入るんだがな。こちらも正式入門した後は、
この家の代表。
「いずれにせよ、そこにあるのは門下生のみだ。それ以外の
《
あと、そこにない入門希望者にも、そのくらいの年齢の者があるが、そのあたりは北の寄宿舎に足をのばしたおりにでも探りを入れてみるといい――入門後も北(の寄宿舎)に
「ヴェルダは男なんだけど」
「あいさつがてら確認してみるのもいいだろう?
どうせ本人や家もとに
「うん…」
十三から二十歳までで二二八の名があったが、四割
さらに年齢層の上下を後回しにすれば、
そこで、おもむろに立ちあがった彼――この家の
ゆったりした足どりで、部屋の窓ぎわに歩みよる。
それから遅れをとること十秒あまり。
二階から
〔変わったものをひろったのね〕
その執務室の
人間が使う
霊的な
〔ジュヴヴィナか…〕
ふりむくことなく答えたフォルレンスの目が、愛情をもって細く
どこからともなくあらわれ、そこが自分の居場所だというように彼の右腕に腕をからめたのは、二十代も後半……そこそこ人生の
ほっそりした腰のあたりまで波うつパールホワイトの豊かな髪が、みずみずしい艶をはなっている。
やわらかな光をたたえる瞳は紫苑色。
やさしく素朴そうでありながら、妖しい
それでも彼女を見るフォルレンスの目は、とてもおだやかだ。
素の足にサンダルをはいている彼女の頭が、彼の目の高さにある。
〔
フォルレンスが視点をそそぐだけの所作で、その少年を示した。
〔見ろよ。無意識か意図してか…、《法印》を避けて歩く。難儀なことだ。《丘》をどう越えてきたのか見てみたかったな〕
〔おっかなびっくり……といったところでしょうね〕
〔うん。だろうね。ジュジュ。君には彼がどう見える?〕
話をあわせていても関心なさそうにしていた女人の瞳が、ついと少年に向けられた。
視線の先にある少年の姿が風雨よけの屋根に隠れ、物理的には見えなくなる。それでも彼女には、死角をゆく
その動きをしっかり追いかけている。
いま。
存在するものが発する、三次元的には、ほぼ不可視となる光と色と気配を――。
〔……。
冴え冴えときらめき
内がほとんど読み解けないのに、可変的な気配。
表層に深く浅くも
先へ先へ。着実に離れてゆく
〔……
変わってる……。
……不思議と懐かしい気も(して…)…。
なにかあるようなのに気配だけで、闇人でも混ざりものでもなさそう。
人間のようなのに異質で、正体……性質が見えてこない……――生意気だわ。
そうね。彼自身が法印みたいな……。
独自性の強い人型の法具ででもあるような……あれはあれで、磨けば光るんじゃない?
磨かなきゃ、あのままでしょうけれど……〕
そこで、うっそりと開かれた紫苑の双眸。
突き放すように告げた彼女は、その見目好く整ったおもてにことのほか冷えた微笑をはりつけることで、とりつくろった。
それと
〔人が
薄くも思えるのに確かな……本性隠して見せようとしない霊的なヒトガタ。不透過性の強硬な皮がはりめぐらされている感じなのに、そうありながら特別なことなど無いとでもいうように……。ありきたりの人類みたいに…――
どこか〝ふつう〟じゃない。
…実体……存在感まで
初めて見るものだわ。
そうね。あなたの言葉を借りるなら、一〇〇〇年にひとり、出るか出ないかの逸材かもしれない。
独特だから実際の確率は、もっと低くて、その方面の才能を見せるとは限らないでしょうけれど……〕
〔契約を考えてみるかい?〕
〔ごめんだわ〕
即答した彼女は、その優しげな瞳に不満そうな光を宿して、ぷいと顔を背けた。
〔言い争いも戦いも嫌いよ。それに……知っているでしょう? わたし、自分より力がありそうな男は苦手なの〕
〔それはまた! 有望そうでなにより。
フォルレンスの青いまなざしが、そっと伏せられる。
となりに寄りそうほっそりした闇人は、穏やかな光をたたえる彼のその視線をのぞき込むようにして
〔あの子には目をつけている坊やがいるみたいよ〕
〔坊やというと……〕
〔でも大丈夫かしら? 見た目どおりとも思えないけれど、まだ、ほんの子供〕
〔ぁあ。やはりそうか〕
〔フォル。嬉しそうね〕
〔このところは、なかなか《
《法印士》に出来ることは限られている。《
増殖する法印の管理にも手をやいているのに、
〔ふふっ、ろくに仕事もしないで、早々引退した人の言葉がそのていどなの? 無責任ね〕
〔お願いして《絆》を結んだ闇人が喧嘩嫌いだったものでね。
おまけに独占欲が強く、手に負えない甘ったれだ。人選を間違えたよ〕
〔否定はしないけれど――わたしのせいにするのはやめてね。
〔フォル。人手が足りないからといって子供に頼ってはダメ。
宝を腐らせる……。
――武器は
逆がないとは言わないけれど……癖が強すぎて、あれは
おとなしく飼われるとも思えないし……。
育てても使えないかも知れない――〕
〔それは
指摘された
〔そうね。どんなものにも言えることだった……〕
🌐🌐🌐
その日のうちに確認できたのは、六名……。
六人とも捜している人物ではなかった。
残りは未確認。
そのへんに見かけて違うと認識した者も名を聞いて名簿と照らし合わせたわけではないので、検索対象から外すまでには
生徒が割りあてられる宿舎は、入門希望者の選別施設としてあるものを含めると七カ所。
けっこうな規模を備えるこの敷地の
なかには敷地内に点在する戸建ての
なにかの試験で外出していて、ふた月ほどは確かめられないとわかった者もある。
部屋にいそうなのに出て来ない
仕方ないので、「今日のところは」と見切りをつけたセレグレーシュは、いま、
どっかり腰をおとした寝台に、背中から倒れこむ。
ぼんやり天井を見据えながら彼は、三日前、髪を切ったことで、やたら軽く感じられるようになった頭を右手でおさえつけた。
目を閉じ……
いま、自分が置かれている状況、環境を考えてみる。
屋根は、材質が
床材や支柱などの素材は、石、モルタル、木、金属など、
居心地や機能、ゆとりを重視しながらも型にはまりきることなく、その場その場の
広域を占める風流な人里のようでありながら《法の家》《神鎮めの家》と呼ばれている組織。
ヴェルダが示した指標は、これに間違いなさそうなのだが、いることを期待した人物は、
最後に彼を見たのは、一年近く前になるか……。
セレグレーシュの異質な能力を知っても、態度を変えることなく味方でいてくれた人。
——…少し整えて、そのままにしておいたら? ぼくは、君のその
——……。けど、目立つのはまずいから…。
——もっと西へゆけば、さほど問題にならなくなる。
(嘘じゃないか、そんなの。問題だらけだ)
心の内でやつあたりしたセレグレーシュは、思いなおして、ひとり反省した。
そんなことを言って責めたいわけではないのだ。
(だって、いないじゃないか…。おまえ……。どこにいるんだよ…——)
――きちんとすれば、ほら……。奇麗な色だ。
こんな奥ゆかしい華美、持っているやつは、そうはいない。
大事にしろ…——
その人の好みがどうあろうと、
余人の目をひくことに変わりはなかった。
頭ごなしに妖威あつかいされることはなくても、珍獣でもいるような目を向けられる。
『気にするな。見なれてしまえば、それも普通になる』
そんなふうに気遣ってくれる者もあったが、彼がいま欲しているのは、そんな言葉ではなかった。
彼が見つけたいのは、たったひとり。
――ヴェルダ。
セレグレーシュにとっては、唯一無二。かけがえのない存在。友人だ。
そうこうしているうちに見つかるかもしれない。
いまはどこかに出かけているだけで、そのうち戻ってくるのかも…——思う一方で、それなりに殺伐とした現実を見聞きし体験もしてきた彼には、最悪の結論も想像できてしまうので、気が
いずれにせよ、可能性が消えたわけではない。
あきらめる段階ではないし、
立ち入れない書庫や建物、部屋があった。
法具をあつかっている店では奥に入ることを拒否されたし、門下生のリストを手に確認して歩く
だから…、
ほとぼりがさめるまでは、たち去る気はない。
ここには雨風をしのげる立派な屋根があり、壁があり、水と食べ物がある。
文字や計算を教えてくれるというし、それも無料だった。
ここに滞在するあいだ要求されるのは学ぶことだけだ。
修練生の食費・衣料費などが、どこから
その
目的によって仕様を変える多目的な
組織が専門に製造する利器(法具)に毛が生えた程度の一般向けの道具を販売するかたわら、いたる方面から寄せられる依頼や相談を受けいれ――さらには、
ここでは《
その道を目指せば、組織に縛られそうなところだ。
そうありながら、追い出された者、出ていった者が、それまでにかかった費用(借財はべつ)の
うますぎる話で、裏がありそうな予感がしないこともないのだが、それでも出ようと思えば、いつでも抜けられるという組織。
そんな
第一に。
彼は、これと目指す少年と出会えそうな手札をほかに持っていないのだ。
不向き・有害と判断されれば、追い出されることもあるらしいが、一度、入門を
とりあえずヴェルダに会えるか、それらしい情報が耳に入ってくるまで。
追い出されないためには問題を起こさないようにしなければ――…
思いめぐらしていたセレグレーシュは、昨夜、日も昇らぬうちに起きたかも知れない出来事を意識した。
目が覚めると、そうだったことを明かし立てられるものはなにもなく――悪い夢だったような気もしていたが、いずれにせよ、ここにいたいなら、それは
意識して自分自身を強く
闇人がいるとも聞いていた、この館の敷地を歩きまわっているが、いまのところ、それとわかる者は片手で数えられるくらいしか見かけていない。
フォルレンスという、この組織の
人がその都度、
ヴェルダにも注意されていたし、セレグレーシュ自身もそう感じていた。
そのありようを明確に把握している者がほぼ無いなかにも、生まれ育った土地では、質の悪い妖威のように
——闇人召喚——…
いまだに彼自身、備えているのかいないのか、雲つかむような自覚しかなくても、どこからか闇人を呼びこむ要素が彼にはあるのだ。
里を離れてからは、あまり起こらなかった。
けれど、
本人の認識が危ういだけに、まったくといっていいほどコントロールがなっていなくて、亜人めいた髪や瞳の色よりも
目がさめた時、そのへんに血まみれの指先や足が転がっているということが、あたりまえのようにあり……
物心ついた頃には、みんなが彼を知っていた。
あいつだと指さされた。
それに
ヴェルダに出会い、これという目標を示されるまで、彼は《異端》として否定されつづけた。
他人の反応……まわりの出方を
なにを考えていようと言われるままに行動するばかりで、自分というものが無かったような、そんな感覚さえある。
九つの時、優しかった父を亡くし、母とともに里を飛びだしてからはことさらに。
心を凍結しなければ、生きられなかった。
だから、その人と知り会えたことは、彼にとって目が
(知られないようにしよう。ここにいないと、ヴェルダに会えなくなる……)
その人を半年以上……ほぼ一年も見かけないのは、きっと、どこかではぐれたからだ。
現れては去ることをくりかえしていたその少年が、彼の足どりを見失ってしまったからに違いないのだ。
そうなってしまうタイミングにこころあたりがないこともなく…――
気づいたら背負われて運ばれていたり、ちょくちょく方向修正を示唆されることもあったが、大半は別々に行動していた。
常識的に考えれば、これまで、はぐれなかったことが不思議なくらいなのだ。
とにかく、ここにいればきっと会える…——そう思うことにして、
セレグレーシュは、認めたくない《事故》《病気》《死》という不吉な単語を心の奥底に封印した。
(…おまえがいなきゃ……つまらない…。——どうしていいかも、わからない…。おまえの忠告は、ちゃんときく…。全部きくから……。だから…、ヴェルダ……)
——オレを見つけて……——
🌐🌐🌐
《法の家》の敷地内部に点在する寄宿舎。
そのひとつがのぞめる中庭の木の陰に、ひっそりとたたずんでいる人影があった。
夜半の暗さを恐れるふうもなく、そのあたりにのこされている静寂のなかにあるのは、大人と
淡紅色の外壁に、一定の間隔でならぶ小さな明りとりの窓。
琥珀、銀、黒、紫、
複数の色彩が
青磁色の髪の少年が、この家の敷地に迷いこみ、その部屋で眠るようになってから
成人に満たないその闇人は、彼のようすを遠まきにうかがっていた。
声をかけようとはせず……。時には近づいてみたりしながら。
そこにわだかまる苦悩・悲嘆を
――ただ、
※ 屋根の色ですが、語呂的な選択です――臙脂も蘇芳も似た色彩なので併用してもよいかなと……。
屋根に限らず、その時の流れや語呂、イメージ、思いつきで、類似色による表現の変化、けっこうやらかしております。
▽▽ 予告 ▽▽
次回、第三章【季節はずれの花】に入ります。
ここから二年後(セレグレーシュ 15歳弱)のエピソードになります。