第3話 始まりのキャンディー缶
レイラのちょっとはおかしいんじゃないだろうか。
彼女に付き合わされてから三時間後、ようやく解放されたリプカは、気怠い体を引き摺りながら自宅への帰路へと着いていた。
こんな時、タウィザーと一緒に魔術の勉強をしていて良かったと思う。
治癒魔法によって、体の簡単な傷は癒せるからだ。……とは言っても、さすがに心の傷までは癒せないが。
(ムナールにちょっと愚痴を聞いてもらうだけのつもりだったのに。何でレイラにボコボコにされているんだろう……)
治癒魔法は掛けたものの、心なしか痛む体に溜め息を一つ。
とにかく今日はもう帰ろう。
そう思いながら街中を歩いていたリプカであったが、ふと、彼女は足を止める。
(あ、そういえばまだ営業中だっけ)
賑やかな商店街から、少しだけ離れた場所に立つ小さな木の建物。
それこそが、リプカが働いているギルド・ブロッサムだ。
この街――オールランド――は、ドーナツ状に繋がる本州のちょうど真ん中に位置する小さな島国だ。
周りを海と森で囲まれているこの国には、人を襲う『魔物』という怪物が多く生息している。
幸い、今のところそれらが街の中まで入って来た事はないが、いつそれらが街中に入って来ても、おかしくはない環境にある。
そこで必要となってくるのが、オールランドにいくつか存在している『ギルド』という組織であった。
リプカの所属するブロッサムを始め、ギルドの主な仕事は魔物の牽制であった。
街の近くで魔物を見たという情報があれば、そこへ向かいそれを討伐し、何らかの魔物がどこそこで大量発生していると聞けば、その数を減らしに向かう。
そうやって、街に魔物の被害が出ないようにしているのだ。
しかしギルドとは何でも屋も兼ねているので、魔物退治だけでなく、要望があれば剣術指南から、依頼があれば浮気調査までと、何だかよく分からない仕事もしている。
要するに、街の便利屋とも言えるのである。
(みんなまだいるかなー?)
自分は休みではあっても、今日は営業日。
日が傾き始めた今でも、誰かしらがギルドにいるハズなのだ。
せっかく近くまで来たのだからと、リプカはギルドの扉を開ける。
カランと軽い音が鳴り、彼女の来訪を中の者へと告げた。
「いらっしゃ……って、何だ、リプカか」
「何よ、何だって」
客用の挨拶をして損したと、受付に座っていた青年は溜め息を吐く。
癖のある赤茶の髪に、一瞬冷たい印象を受ける、サファイア色の切れ長の瞳。本日は事務仕事をしているからだろう。いつもは剥き出しになっている筋肉の付いた太い腕も、青いジャージによって隠されていた。
「でも珍しい人選ね、カルトがそこにいるなんて。てっきりローニャが座っているものだと思ってたわ」
カルト、と呼ばれたその青年。戦闘能力においては、このギルド・ブロッサムで一番秀出ている男である。
そのため街の住民からの信頼も厚く、魔物討伐の依頼とくれば、彼を指名して依頼する者が後を絶たない。
それ故に、彼は常に魔物の住居に繰り出してはそれらを狩っているハズなのだが……。
それなのに何故、今日はこんなところで受付嬢もとい、受付ボーイなんかやっているのだろうか。
「昼過ぎまではローニャが受付にいて、オレが魔物討伐に行っていたんだ。けど、それが終わって戻って来たらサイドとグラディウスがいて……」
自分がここに座っている理由。
それを途中まで説明したカルトは、そこで一度言葉を切ってから更に続けた。
「ローニャと三人で魔物の討伐に行きたいから、留守番していて欲しいって頼まれた」
「……」
先にローニャの人気が高いと説明したが、何もそれは一般客に限った話ではない。このギルド内でも彼女の人気は高いのだ。
カルトが口にしたサイドとグラディウスという二人もまたローニャに気があり、隙を見ては三人で適当な魔物退治に繰り出している。
どうせ魔物と戦うカッコイイ姿でも見せようと思っているのだろう。
そしてその恋する男子の計画が、ローニャではなくリプカが常に受付嬢をしている原因の一つでもあるのである。
「カルディアは? カルトは抱えている仕事多いんでしょ? 受付嬢なんてカルディアに任せれば良かったじゃない」
「珍しく指名依頼が入ったからって、今日は朝から張り切って出掛けて行ったよ。オレの仕事で急ぎのヤツはないから。だから消去法でオレが昼過ぎから受付嬢」
「そっか、お疲れ様。ところで今日は、ローニャ目当ての客来なかったの?」
「来たよ。「何だ今日は男かよ。クソ使えねえな」って言われたけど、オレは大人だから聞き流した」
「……」
グサリと、その一言が突き刺さる。
悪かったな、受け流せる大人じゃなくて。
「でも助かったよ、リプカが来てくれて」
「え?」
「ちょっと代わってよ、受付嬢」
「は?」
ガタンと音を立てて席を立ち、早く座れと促すカルトに、リプカは眉を顰める。
ふざけるな 今日の私は お休みだ。
「ヤダよ、だって今日はお休みだもん。ちょっと近くに寄ったから顔を出しただけ。もう帰るわ」
「いいじゃん、どうせこの後暇だろ」
「ひ、暇じゃ……暇じゃないもの!」
確かに暇だ。
しかしここでそれを認めるわけにはいかない。
だってそれを認めたら、ここで受付嬢をしなくてはいけなくなるのだから。
「さっきからシャワーぐらい浴びたいと思っていたんだ。だから助かるよ」
「代わるってなんて一言も言っていない!」
「一時間ぐらいで戻ってくるよ」
「長いわ!」
リプカの意見など聞くつもりもないのだろう。
勝手に話を進めると、カルトは懐から取り出した小さな缶を、彼女へと差し出した。
「まあ、そう言わないで。これあげるから」
「え?」
半ば押し付けられる形で渡されたのは、桃色に白い雲のような模様が入った、掌に乗る程度の小さな丸い缶であった。
何かと思い開けてみれば、そこには虹色のセロハンで包まれた小さなキャンディーが、ゴロゴロと沢山入っている。
リプカとて女子だ。可愛いモノが大好きだ。
だから思わず、彼女はふにゃりと表情を緩めてしまった。
「わあ、かわいい!」
「じゃあ、よろしくー」
「えっ、ちょっと待って! まだ貰うって言っていない!」
ヒラヒラと手を振りながら去って行くカルトを呼び止めるものの、彼女の声などお構いなしに、彼はさっさとその場から立ち去って行く。
そのせいで一人ポツンと残されてしまったリプカは、仕方なさそうに溜め息を吐いた。
視線を落とせば、目に入るのは可愛らしいキャンディー。
一つ取って口に入れれば、甘い苺の味が口の中に広がった。
「……まあ、いっか」
半ば押し付けられる形ではあったものの、一応バイト代(?)は貰ったのだ。
ここは大人として大目に見てやろう。
そう思い直すと、リプカはいつもの席にストンと腰を下ろした。
□
午前中の一仕事を終えたら汗を掻いた。
だからギルドに戻ったらシャワーを浴びたいと思った。
それなのに帰るなり受付嬢を代わってやって欲しいと、サイドとグラディウスに頼まれてしまった。
そこで断ったり、シャワーを浴びるまで待ってくれと言えば良かったものの、すぐさま代わってやった自分は、何てお人好しなんだろうと、つくづくと思う。
まあ、友人の恋の応援をしてやりたいという気持ちがあるのも事実なのだが。
(でも本当に助かったな、リプカが来てくれて)
本来なら休みである彼女に仕事を押し付けた事は申し訳なかったが、一応バイト代(?)はくれてやったのだ。多少の事は大目に見てもらおう。
「あれ?」
一時間とは言ったが、なるべく早く戻ってやろう。
しかしそう思いながら服を脱いでいたカルトは、不意にその手を止めた。
鏡に映った自分のその姿。
そこに、昨日まではなかったそれを見付けてしまったからだ。
「何だよ、これ……?」
最初は見間違いかと思った。
けれども違う。
それは見間違いでも幻でもない、自身に起きてしまった受け入れたくない現実。
左肩にしっかりと刻まれたその文字に、鏡の中の自分がみるみると青ざめていく。
「うそ、だろ……?」
震える手で、肩に現れたその文字をギュッと握り締める。
――氷
肉付きのいいその肩には、その一文字がはっきりと刻まれていた。