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話を書く話

 天姉の部屋でお菓子を食べながら談笑していると、桜が何かを見つけた。

「あの絵は何ですか?」
「あ〜前に日向にもらった絵だよ」
天姉がお菓子を口に放り込みながら答えた。

「へぇー。上手ですね!」
「そ、そうか? 私の絵を褒めてくれる人は久しぶりやなー。嬉しい」
日向がはにかんだ。

「えー。上手じゃないですか〜。ねぇ恭介さん?」
「うーん。独創的すぎてよく分からん」

日向がなにか閃いたというように、手のひらをポンと叩いた。

「あ、そうや! みんなも何か作ってよ! いっつも評価される側やからたまには評価する側になりたい!」

「おー。面白そう。何すればいいの?」
けいが興味を示した。

「うーん。じゃあ物語書いてよ!」

「物語?」
僕が首を傾げていると、天姉が慌てて言った。

「ちょっと待てい。私の辞書に、文字はない!!」
「語彙力がないってそんな言い換えがあるんか」
日向が呆れたように言った。

「えーでも〜私理系だし〜ちょっと厳しいっかんじ? みたいな?」

「エセ女子高生やめろ。まぁせっかくだしやってみようよ」
けいにそう言われて、天姉は渋々了承した。

「そしたらそれぞれ自分を主人公にした話を書いてな。内容は別に何でもええで」

こうして僕たちは話を書くことになった。
しかもそれを日向に評価されるのだ。
これは少し気恥ずかしいかもしれない。

僕は何を書くか悩んだ。
物語なんて書いたことないしな。

色々考えている内に秘密基地のことを思い出した。

どんな話にするか何も思いついていないけど、じっと考えていてもアイデアが浮かぶ気がしなかったので、とりあえず体を動かしてみようと思った。

「けい、明日秘密基地行こうよ」
「ん、ああ。そういやこの前ちょっと話したな。行くか」

「え! 何ですか秘密基地って!」
桜が目を輝かせて言った。

「昔、僕とけいで作ったやつだよ。この前見てきたらボロくなってたから直しに行こうと思って」

「へぇー! 何か面白そうですね! 私もついて行っていいですか?」
「別にいいよね?」
けいに訊いてみると
「いいよいいよ」
とお菓子をバリボリ噛みながら答えた。

「私も行きたい!」
「私も~」
天姉と日向も手を挙げる。

「二人にも何回か見せたことあったっけ。じゃあみんなで行こうか」
「そうだなー」
けいはあくびをして寝そべりながら答えた。


 次の日、僕たち五人は秘密基地の前にいた。

天姉は日向を肩車して、秘密基地を前から後ろから、歩き回りながら観察している。

「え……何か思ってたのと違いました」
桜は秘密基地を一目見ると引き気味にそう言った。

「どんなのだと思ってたのさ」
僕が訊くと
「いや、もっと子供らしい感じの、看板にひらがなでひみつきちって書いてあるような、可愛らしいのを想像してました」

「子供が作った可愛らしい秘密基地だろ」
けいが首を傾げながら答える。

「いや! ガチのやつじゃないですか! 何これ!? どうやって作ったの?」
「山で拾ったゴミとか集めて、頑張った」
僕の説明を聞いた桜は木の枝に吊るしてあるランタンを勢いよく指差した。

「ってことはランタンがその辺に落ちてたんですか!? じゃあこのツリーハウスみたいなのは?」
「気合で作った」
「作れるか!」

「まぁなんというか、僕たち結構器用なんだよ」
「もうわけわかんないですよあなた達……」

僕と桜の会話を聞いていたけいが
「んなこたいいからとにかく直すぞ。雨漏りとかしてるし中々大変だぞこれ」
と、ノコギリを手にして言った。

「え、そのノコギリは……」
「拾った」
「こわ!」


 僕とけいで雨漏りしてる部分の屋根を補修した後、中の掃除をすることにした。

けいが何も置かれていない木製の本棚を見て言った。
「良かったな本とか置きっぱにしてなくて」
「そーだなー」
僕は床を掃きながら答えた。

「あ! この木刀ここに置いてたのかー。失くしたと思ってたわ」
けいが木刀を持って懐かしそうに眺めだした。

「あー。それけいのお気に入りのやつか。訓練で使ってたらすぐ折れるからここに置いといたんだろうね」

「訓練ってなんですか?」
桜が訊いてきた。

「先生に追いかけ回されたり、先生に物をぶん投げられてそれを避けたり、先生にボコボコにされたりすること」

僕が答えると
「あー昨日やってたあれって喧嘩じゃなかったんですね。二人がかりで桜澄さんに木刀で殴りかかってたからビックリしましたよ」
「たはは」

「何ですかそのリアクション。まぁでもあんなこと普段からやってたらそりゃ日常的に医療キット持ち歩くくらいしますよね」

話を聞いていた天姉が首を突っ込んできた。
「あー桜ちゃんの怪我を恭介が手当てしたんでしょ? いいね〜ロマンティックな出会いだね~」

「トイレに行こうとして遭遇したんだけどね。手当てしてる時も送ってる時もずっとトイレ行きたかったし」
「そうだったんですか!? 言ってくださいよ」
「たはは」
「それやめんかい」


 それから二時間くらい色々して、なんかいい感じになった。

「うん。いんじゃね?」
けいが秘密基地を上から下まで見て頷いた。

「そうだね。また今度あれしようよ。釣竿まだ使えそうだし」
「いいね~。結構楽しいよなあれ」
けいは伸びをしながら言った。

「釣りですか?」
桜が僕に訊いてきた。

「うん。そこの川で魚釣って塩焼きにして食べるの」
僕は川の方を指差しながら答えた。

「なんか、本当すごいですね。何でもできるじゃないですか」

「ずっと山に住んでたらみんなこうなるんじゃない?」

「私の家は海の近くですからねー。こういうのは新鮮で楽しいです」
桜はニコッと笑った。

すると天姉が突然
「……ちょっと待て。ここに作るのはどうだろうか? 良くないかいけい」
と、けいの方を向いて言った。

「ないかいけいってリズム良く言われても。僕が内科医みたいになってるし。ここに作るって何のこと? いや、あれか。ハンモック」
「そう! ここに作ってはいけないかい?」

「良いと思う。いいなそれ。すごくいい」
「よっしゃあ!」
天姉は勢いよくガッツポーズをした。

こうして僕たちは秘密基地を改良していくことにした。

なんだか懐かしい。
この秘密基地を作ろうってなった時も、けいと色々アイデアを出し合っていた。

……そういえばその頃にはまだ見えていた。
いつの間にか見えなくなっていて、なぜか今の今まで忘れていたけど。

いや、違うな。
いつの間にかじゃない。
何か決定的な出来事があったような気がする。

そうだ。
このことについて書いてみるか。
書いている内に詳しく思い出せるかもしれない。
そんな気がする。

僕は自分の昔話を書くことにしよう。


 それからしばらくして、ついに日向に評価される日がやってきた。
僕たちはリビングに集まっていた。

「桜ちゃんも書けば良かったのにー」
天姉が原稿用紙の束を机にトントンして揃えながら言った。

「私は根っからの審査員体質なんですよ」
「なんだそれ。よく分からんけど、まぁいいや。っていうかみんな見るのね」

天姉が先生たちを見て言った。
この場には全員揃っている。

「わしらにも見せてくれよ〜」
「まぁいいけども。んじゃ誰のから?」
天姉が訊くと、日向は
「えーっとじゃあ天姉のから!」
と言って両手を天姉の方に手のひらを上に向けて差し出した。

「私からかー。はいどうぞ」
天姉は日向の手のひらの上に原稿用紙を乗せた。

「はいどうも。では読みます。何の話書いたの?」
「私たちの話だよー。まぁとりあえず読んでみて」


 私の名前は白石天音。
今、私と二人の弟は私の部屋に集まっている。
何をしているのかといえば、口論の真っ最中だ。

「だから!! 何でお前はそうやってネガティブなことばっかり言うんだよ!」

私に対してブチギレているこの子は恭介。
いつも暗いことばかり言う私に対して腹を立てているのだ。

「うるさい。落ち着け恭介」

そんな恭介を宥めるこっちはけい。

私に似て死んだ目をしているが争い事は嫌いなようで、恭介が私に対して文句を言って、けいが恭介を宥めるのというのがいつもの流れだ。

「なんでこんな奴らと暮らさなきゃいけないんだ! クソッ! あいつのせいだ!」
恭介が怒りの矛先を私からあの人に移した。

「あの人に誘拐される前の方が良かったのか?」
けいが冷静に訊くと、恭介は憤慨した。

「っ。何なんだよクソが!」
「どれだけ嫌でもあの人の方が圧倒的に強い。逆らうことはできないだろうな。今の僕たちには何の力もない。言うこと聞きたくないならあの人より強くならないと」

「あんな化物に勝てるわけねーだろ! ふざけんな!」

「僕に当たられてもな。まぁまず逆らう必要があるのかって話ではあるが」

私はこの時ずっと俯いていた。

「もうどうでもいいよ。どうせ私たちなんて」
私がボソッと呟いた言葉に反応して恭介がまた腹を立てた。

「お前それをやめろって言ってるだろ!! 次やったら殴るぞ!」
「落ち着けって」

そこへ結輝さんがやってきた。

「三人ともご飯ですよ。……リビングで一緒には……食べないですよね。持って来ます」

結輝さんは私たちの表情を見て察してくれた。
そしてすぐに踵を返した。
ご飯を取りに行くのだろう。

「ああ。悪いね結輝さん」
呼び止めるように恭介が結輝さんに謝った。

結輝さんは一度立ち止まると、私たちの方に振り返って
「……あの! 桜澄さんは! ……いえ、やっぱり何でもないです」
何かを言いかけてやめた。

それから結輝さんはとぼとぼ歩いてご飯を取りに行った。

この市川結輝さんは私たちのお世話をしてくれているお目付け役みたいな人だ。

「……恭介って結輝さんに対してはそんなに反抗とかしないよね」
けいが言った。

「あの人は悪い人には見えない」
「僕には小野寺さんも悪い人に見えないけどな」

「でも! あいつのせいで!」
「あーごめん。今のは僕が悪かった。……あんたは小野寺さんとか結輝さんとかのことどう思ってるの?」
「……」

けいは私に訊いてきたが、私は答えなかった。

「だんまりか。まぁいいけど」
けいは私から視線を外した。


 コンコンコンとノックの音がした。
結輝さんがご飯を持ってきてくれたのだろう。
そう思った。
しかし

「どーぞ」
「邪魔するぞ」

恭介の返事を聞いてドアを開けたのは小野寺さんだった。

「! な、なんでお前が来るんだよ! 入ってくるな!」
恭介が後ずさる。

「悪いな。話があるんだ」
そう言って小野寺さんは私の方を向いた。

「天音。ここのところまったく食べていないな。最後に食べ物を口にしたのはいつだ? もう二日は食べていないだろう」
「……」

私は膝に顔を埋めて小野寺さんのことを見ないようにした。

「あのな。言うまでもないことだが、ずっと何も食べなければ死ぬぞ」

「……もうどうでもいいよ。私は妹を守れなかった。目の前で死んでいくお母さんに対して何もできなかった。私なんて幸せになる権利も生きている資格もないんだ」

それを聞いて小野寺さんはため息をついた。

「お前は自分のことを特別な人間だと思ってるんだな」

「……え?」
私は顔を上げた。
小野寺さんは真っ直ぐ私の目を見つめた。

「世の中にはたくさんの人間がいる。俺は会ったことがないが、その中には幸せになる権利や生きている資格がないような特別な人間もいるかもしれない。だが、お前は断じて特別な人間なんかじゃない。普通の人間だ。確かに普通ではない事情を抱えている。でもその程度のことだ。それがあるからといって、お前が普通の人間から逸脱した存在になるということは決してない」
「……」

「普通の人間であるお前が幸せになってはいけない道理はないし、生きていてはいけないわけがない」

私は今まで普通の人を見たら気分が落ち込んでいた。
自分が惨めになるからだ。
でも……そうか。
私も普通の人間の一人なのか。

「……私は、幸せになりたいと願っても、生きていてもいいんですか?」

「だからいいっつってんだろ。ちゃんと話を聞け。飯抜きにするぞこの野郎」
「や、やめてくださいよ! ……あ」

「ハハ。飯抜きは嫌か。じゃあいっぱい食べろよ。邪魔したな」

小野寺さんは部屋から出て行った。

「……どうだよ恭介。あれが悪い人に見えるか?」
けいがニヤニヤしながら恭介の方を見た。

「……ちっ」
恭介は舌打ちしてそっぽを向いた。

「ハハ。まだ認められないか。お前が丸くなったら僕としても楽なんだけどなー」


 日向が読み終えたところで、天姉が僕に向かって謎にドヤ顔してきた。

「え、僕こんなにやさぐれてたっけ?」
「ヤバかったよ。マジ宥めるの大変だったもん」
けいが肩をすくめてみせた。

「え、わしの出番は?」
げんじーが自分を指差しながら言った。

「あ、ごめん」
天姉が適当に謝る。

「私もおらんなー。いやそんなことより、やっぱり桜澄さん変わらんなー。私桜澄さんのこういうとこ好きや」

「私も大好きです」
ゆずが同意する。

「わしも」
「僕たちもだね」
「だな」
僕たちも頷いた。

「俺もお前たちの素直なところは好きだ」

「何ですかこれ。みんな仲良しですねー」
桜が若干引き気味に言った。

「それで? 評価は?」
天姉が日向に訊ねる。

「みんなのを読んでから判断する。さてお次は、恭介だ!」

「うわ僕か。僕もノンフィクションなんだよね」
僕は日向に原稿用紙を手渡した。

「私たちの昔話?」
天姉が訊いてくる。

「いや、僕たちってより僕の話だけど」
日向が読み始めた。


 僕は佐々木恭介だ。
僕には昔、友達がいた。

その友達は他の人には見えないようで、今は僕にも見えなくなってしまった。

所謂イマジナリーフレンドってやつなんだろうか。
もしかしたら防衛機制で幻覚が見えていただけなのかもしれないが。

僕にはいつも狐が見えていた。
その狐はただそこにいるだけだった。

僕が父に殴られていても蹴られていても、ただじっとこちらを見つめていた。

先生に連れられてこの家に来てからも狐は見えていた。

僕は何度も狐に話しかけたが、見つめてくるだけで何も言わなかった。

僕はこの狐をりんと呼んでいた。
理由は単純で、凛としてるからだ。

他の人に見えないことは分かっていたので、人がいるところで話しかけたりはしなかったが、誰もいない時にはりんに愚痴ったり、楽しかったことを聞かせたりしていた。

僕のことを肯定も否定もせずにただ話を聞いてくれるりんの存在は僕の心を落ち着かせてくれた。


 ある日、りんが動いた。
部屋の中をゆっくりと歩いていた。

こんなことは初めてだった。
いつもいつの間にかそこにいて、じっと動かなかったのに。

僕は嬉しくてりんに話しかけたが、りんは何も言わない。

僕があたふたしていると、突然りんが走り出した。
部屋から出て、どうやら外に向かっているようだ。

「待って!」
僕も走って追いかけた。

外に出てからもりんは走り続け、山の奥へ奥へと進んでいく。

りんは時々こちらに振り返った。
ついて来ているか確認しているようだ。

りんは小さな祠の前で立ち止まった。
僕が追いつき、息を整えていると、すーっと空気に溶けるようにりんは消えてしまった。

祠に近づいて見てみると狐の像があって、その足元には胡蝶蘭の花が添えてあった。


 その日から毎日、僕は祠に手を合わせに行った。
この狐の像がもしもりんなら今までの感謝を伝えたいと思った。


 ある日、いつものように祠に手を合わせていると、突然背後から
「こんにちは」
と話しかけられた。

驚いて振り返ると、そこには狐のお面をつけた和服姿の子供が立っていた。
僕と同じくらいの年だろうか。

顔は見えないのにニコニコしているのが分かる。

「こんにちは恭介。りんだよ」
またまた驚いた。

この子は今、自分のことをりんと言ったし、僕の名前も知っていた。

「き、君はりんなの?」
りんは頷いた。

「恭介が毎日手を合わせてくれるからこの山の神様が信仰を取り戻して、少しなら私も人に化けたりできるようになったんだ。ありがとう。恭介のおかげだよ」
「え? ど、どういうこと?」

「細かいことは気にしない! とにかく、私たちはあなたに感謝してるの! それで私たちの住処にご招待することになりました! イェーイ!」
りんは一人で拍手した。

何が何だか分からずオロオロしてると
「あ、あれ? あんまり嬉しくない?」
と不安そうにりんが訊いてきた。

僕はなんだか申し訳なくなって慌てて答えた。

「な、何だかよく分かんないけど、行ってみたい!」

僕の答えを聞いて、りんは嬉しそうにニッコリと笑った。
多分。
お面をつけているから言い切ることはできない。

「やった! よし。じゃあ、そこの狐の像に触れて目を閉じて」

言われた通りにすると、なんだか宙に浮いたような感覚になった。

「まだ目を開けないでね。もう少しだよ。……よし着いた! 目を開けていいよ」

目を開けると先程までと変わらない風景が目に入った。

「え? 何も変わってないよ?」
僕がそう言うと、りんは首を傾げた。

「あれ? なんでだろう? ……あ、そういえばまだ渡してなかったね。これつけて」
りんは懐から狐のお面を取り出して僕にくれた。

「これをつけたら恭介にも見えるはずだから」
「……何、これ。石段が……」

狐のお面をつけてみると、山頂へと続く石段が見えるようになった。

「お、ちゃんと見えてるっぽいね。この石段を登ったら私たちの住処に行けるよ。あ、真ん中は歩いちゃダメだよ。とおりゃんせとおりゃんせっつってね」
りんは楽しそうに言って、石段の端を歩いて上り始めた。
僕もりんの後ろからついて行く。

「わ、わかった。それより……おしゃべりなんだね。狐の姿のときは何も言わなかったのに」

「何もできなかったんだよ。この山の信仰はそれだけ失われている。今は恭介のおかげっていうのと、まぁ……ラストラリーみたいなもんだよ」
「らすとらりー?」

「恭介は気にしなくていいよ。それより、そろそろ見えてきたね。あの神社が私たちの住処だよ!」

上を見ると荘厳な鳥居があり、その奥には美しい神社があった。
普通狛犬がいる位置には狐がちょこんと座っている。

「そういえばさっきまで昼だったはずなのに、いつの間に夕方になったの?」

上を見たことで気がついたのだが、さっきまで青かった空が茜色に染まっていた。

「ここはずっと夕方なんだ。あと時間の流れが現世と違う。でも浦島さんにみたいにはならないから安心してね。こっちで三日経てば現世で一日経つ、みたいな感じだよ」


 階段を上り終えた僕たちはそれから手を洗ったり、ポケットになぜか入っていた小銭を賽銭箱に入れたりと普通に神社でやるようなことをした。

「おー子狐。戻ったか」

二礼二拍手一礼を済ませると、神社の中から声が聞こえてきた。
りんが元気よく答えた。

「はーい! 恭介、今から会うのがこの山の神様だよ」

靴を脱いで御社殿に上がった。
山の神様は少し口角を上げて僕を見ていた。
大きく、白く美しい毛並みを持つ狐だった。

「よく来たね、人の子よ。お前のおかげで私たちは少しではあるが力を取り戻せた。感謝する」
「え、いや。僕は何も……」
僕は目を逸らして頭を掻いた。

「フフ。まぁ良い。礼をさせてくれ。といっても大したことはできんがの。食事を振る舞おう。安心しろ。黄泉戸喫などにはならんよ。ちゃんと帰らせてやる」

それから色々な食事が持ってこられた。
りんはきつねうどんをおいしそうに食べていた。
うどんの麺が狐のお面に吸い込まれるように消えていく様は不思議で面白かった。

僕も口元に箸を持っていくと食べ物がお面に吸収されるように消えて、お腹が満たされていく感覚があった。

新鮮な食事体験だった。

僕が御馳走を平らげている間、山の神様が人に化ける様を見せてくれたり、狐の嫁入りの話を聞かせてくれたりして楽しかった。

「あー。おいしかったし楽しかったー」
僕はお腹をポンと叩いた。

山の神様はそんな僕を見て嬉しそうに目を細めた。
「そうかそうか。それは良かった。では名残惜しいが、子狐よ。家に帰してやれ」

「はーい。じゃあ恭介。帰ろうか」
「……もっとここにいちゃダメ?」
ずっといたくなるくらい楽しい時間を過ごしていた。

山の神様は諭すように
「お前には帰るべきところがあるだろう? 寂しいがお別れじゃ」
「そっか。……じゃあ、またね!」
「……気をつけて帰れよ。お前と会えて良かった」
山の神様は最後にそう言った。


 石段を降りている途中で言い忘れていたことがあるのを思い出した。

「りん」
「なーに?」

「言ってなかったけど、狐の姿のとき、僕の傍にいてくれてありがとう」
「……うん」
りんは悲しげに頷いた。

「ど、どうしたの? 元気ないね。どこか痛いの?」
僕が訊いてもりんは答えなかった。

しばらくりんは黙って俯いたままだったが、やがて顔を上げた。
お面の奥の目と目が合った気がした。
りんは言った。

「……実はね。私たちそろそろ消えちゃうんだ」
「……え?」

「この山はあまりにも信仰を失いすぎた。もう私たちが存在し続けることは難しいんだ」
「そ、そんなの嫌だよ!」

「仕方がないことなんだよ。これも諸行無常ってことだね。私たちが消えるのはきっと運命なんだ。最後に恭介と会えて良かったよ」
「そんな……」
「……じゃあ……元気でね」
「待って!」

その時、僕がつけていた狐のお面が消え、気づけばあの祠の前にいた。

僕は……何もかも忘れていた。
石段のことも神社のことも、どうして自分が今祠の前にいるのかも。

ふいに気配を感じ、振り返った。
狐のお面をつけた子が笑ったような気がした。


 読み終えた日向がこっちを向いた。
「なんでこんなことあったのに今まで黙ってたん?」

「いや忘れてたんだってば。書いてる内になぜかどんどん思い出してきてさ」
「へぇー。この山にはお稲荷様がいたんやなー」
日向が山頂の方を見て言った。

「思い出してみても夢なのか現実なのか分かんないんだけどね」

「そういや昔、恭介が部屋で一人ブツブツ言ってたの見たことある気がする」
けいが記憶を探るようにうんうん唸りながら言った。

「天音ちゃんの話のやさぐれ恭介さんと今のショタ恭介さんの話のせいで、今私の中のあなたの印象がめちゃくちゃになってます。あなた一体なんなんですか?」
桜が僕に訊いてきた。

「そんなこと言われても」
答えに困った僕にげんじーがまた
「え? わしの出番は?」
と言った。

「ごめんげんじー」
僕は適当に謝った。

「なるほどなー。うーん。そうやな。個人的には好きな話や」
「日向動物好きだもんな」
けいが床に置いていた原稿用紙を取りながら言った。

「よし。じゃあ最後! けい!」
「ほいよ」
「どんな話なん?」
「うーん。ファンタジー?」
「なんで私に訊いてくるんや」
「いやなんかもうよく分からん」
「とりあえず読んでみるか」


 遥か昔、神が世界を作り、生き物が誕生した。
生き物は増え、世界はどこもかしこも生き物で満ちた。
神はそんな様子を眺めていた。

そうしているうちに神はやがて頭を悩ませることになる。

人間という種が激増したことで世界のバランスが崩れたのだ。

神は世界に自ら介入することを好まないが、やむを得ず世界に調整を加えることにした。

魔族の誕生だ。
魔族は次々に人間の国を滅ぼしていった。

しばらくして、人間は魔族を真似て魔法を使うようになった。

これにより、魔族優勢ではあるが、世界はある程度バランスのとれた状態になった。
神は満足し、また世界を眺めることにした。

ところが数年前、また神は頭を悩ませていた。
小野寺桜澄の存在だ。

彼は人間として辿り着いてはならない程の高みに上り詰めてしまった。

たった一人で人類を圧倒的に優勢にしてしまったのだ。

大きくバランスが崩れた世界に神はまた手を加えることにした。

そうして世界に魔王が誕生した。
魔王の誕生は魔族全体の強化を生んだ。

人類と魔族の総合的な力は同じくらいになったが、人類は小野寺桜澄がいるから総合力で負けていないだけだ。

小野寺桜澄は一人しかいない。

全体的に強くなった魔族は同時多発的に人間の国を襲った。

それを彼一人で対処することなどできるわけもなく人類は大きく数を減らした。

その責任は小野寺桜澄に向けられた。

「お前のせいで魔王が生まれたんだ!」

それまで英雄として崇められていた生活から一変。
町を歩けば石を投げられ、水をかけられ、罵られる。
彼は人類に失望し、戦うことをやめた。

 そうして過ごしていたある日、彼の家族が魔族に殺された。

深い絶望に打ちひしがれる暇もなく、今度は友人が攫われた。

これはこの国の偉い人からの命令で、彼を戦わせるために人質をとろうとしたのだ。

友人は激しく抵抗し続け、おとなしくさせるために脅しで兵士が放った魔法が誤って当たってしまい死んでしまった。

彼は怒り狂いその国を滅ぼした。
それから彼は、人類とも魔族とも敵対した。

そうして人類対魔族対小野寺桜澄という三つ巴の戦いが始まった。

 人類は魔王と交渉を試みることにした。
小野寺桜澄に勝つには人類と魔族が手を組むしかないからである。

そして魔王の元に、魔族を殺さずにたどり着くことができるような強者、勇者が選ばれた。

大軍で魔族を殺しながら魔王まで辿り着いても交渉に応じてくれないだろうという考えからだ。

生き残っている国のうち、代表の大国からそれぞれ一人ずつ、計四人の勇者が選ばれた。

彼らは合流した後、魔王がいる城に行くことになっている。
今日はこの国の勇者の旅立ちの日だ。

「おっちゃん。お茶ちょうだい」
僕は目の前でグラスを拭いている中年男に言った。

ここはバーだ。
僕はカウンター席に座っている。

「うるせえ」
おっちゃんはこっちに視線を向けることもなく答えた。

「あとな。マスターって言えっつってんだろクソガキ。大体なんでバーで未成年相手にお茶出してやらなきゃなんねぇんだ。ってか未成年がバーに来んなボケ。ふざけんな。……まぁ今日くらいいいか」

「お、マジで? 初めてじゃない? おっちゃんが注文受け付けてくれるの。あと僕は十八だから一応成人してるよ」

おっちゃんは安っぽいグラスに氷を入れて水を注いだ。

「……お待たせしました。こちらロックの水割りです」

「お前京都人かよ。バーで酔ってもない相手に氷水出すのもふざけてんだろ。帰ってほしいなら帰れって言えよ」
「帰れ」
「本当に言うなよ」

「うるせえな。文句言うな。あれだ。チェイサーってやつだ。せっかく出したんだからつべこべ言わずにさっさと飲め」
「酒飲んでもないのにチェイサーなんかいらねぇよ」

僕は文句を言いながらも、一応氷水を飲んだ。

「黙れ。お、飲んだな。飲んだんだからちゃんと金払えよお前。お会計、一億になります」
「……単位は?」
「ジンバブエドル」
「なんでだよ……。いやまぁタダなら遠慮なくいただくけど」
僕はもう一度氷水に口をつけた。

「なんでこんなガキが勇者なのかねー」
おっちゃんは僕の眉間を指で軽く突きながら言った。

「こんなガキより強いやつがいないからだろ。まぁそれでなくても先生を止めるなら僕たちしかいないと思うけど」

小野寺桜澄は僕たちの先生だ。
選ばれた四人の勇者は全員先生の教え子なのである。

孤児院で僕たちは育った。
先生が滅ぼしちゃったから今はその孤児院があった国はないけど。

その孤児院で先生に出会った僕たちは先生に鍛えられたのだ。

そして国が滅びた後、なんとか生き残った僕たちはそれぞれ別々の国に身を寄せた。

「じゃあなおっちゃん。達者でな」
僕は氷水を飲み干して立ち上がるとおっちゃんに手を振った。

「……気をつけて行ってこいよ」
おっちゃんはそっぽを向いて呟くようにそう言った。

この国の人達にはずいぶん世話になった。
その後も顔なじみに挨拶してまわった。

そして最後は先生の師匠だ。

「お? けいか? こんな辛気臭い牢屋までよく来たの~」

先生の師匠、げんじーは先生を強くしたことで魔王を誕生させた罪人として囚われている。

「今日出発するよ」
僕が言うと、げんじーは一度頷いた。

「あーそうか。ハハハ。気をつけて行ってこいよ。桜澄に会ったらよろしくな」
「会ったら殺されるってば」
「じゃあお前の最期の言葉は、げんじーがよろしく言っといてくれって言ってた、じゃの」
「はいはい。……んじゃまぁ。行ってくるね」
「おう。いってらっしゃい」

僕は牢屋を後にした。
げんじーを解放するためにも早く先生を止めないと。


 ……え?
日向が唖然としてる。

「は!? ここで終わり!?」
「うん。力尽きた」
「プロローグで終わってんじゃねーよ!」
日向が激しくツッコむ。

「ちなみに魔王はゆずで、ラストはげんじーも脱獄して六人でなんとか先生を倒す」
「そこまで考えてんなら書けや!」

「いやもう疲れたんだって。それぞれで脳内補完しといて」
「えー」
日向は納得いかない様子だ。

「俺、ちょっと強く書かれすぎじゃないか?」
先生が言った。

「いやーこんなもんでしょ」
「だな」
けいが答えて、僕も同意する。

「いや悪い気はしないが。それにしてもこんなに強くないと思うが」
先生は一人でブツブツ言い始めた。

「まぁそれはさておき。けっかはっぴょー!!」
「うお声デカ! 後半の伸びがすごいな」
天姉がびっくりした。

「けっかはっぴょぉぉうぅぅ!!!」
「いやもういいって」

「第三位からいくで。第三位は、けい!」
「まぁ話が途中だし、しょうがないでしょうね」
桜が言った。

「そうだよ! まぁでも長くなりそうだったし仕方ないかもな。とりあえず次、一位! 第一位は……恭介!」
「おーマジか。嬉しい」
「私は二位か」

「個人的な理由で申し訳ないけど、やっぱ私動物の話好きなんよねー」

「あーそういえばその祠ってどこにあるの?」
けいが訊いてきた。

「無くなってた。あの日の次の日に気になって見に行ったんだけど祠が無くなってて。結局文字に起こすまでなんであの場所にいたのか忘れてた」
「なんだか不思議な話ですね」
桜が興味深そうに言った。

「あーでもその後、なんか自分にとって大切な存在が消えちゃったような感覚だけは残ってて、石ころとかを並べてお墓みたいなのを作ったんだよね。それで毎日そこまで走って行って手を合わせているうちに走るのが好きになったんだ」

「へぇそうだったんだ。恭介が走るの好きなのってそんなとこに起源があったんだね」
天姉が意外そうに言った。

「今度みんなで手を合わせに行くか」
先生の提案に僕は
「そうですね」
と答えた。

こうして日向の思いつきで始まった僕たちが話を書くという話は幕を閉じた。

しおり