海で遊ぶ話
次の日、昨日の天気が嘘のように晴れた。
先生は
「昨日はすまなかった。お詫びといってはなんだが、気分転換にスイカ割りでもしないか?」
と言った。
先生からの遊びの提案は本当に珍しい。
スイカ割りの存在はもちろん知っているが、実際やったことはない。
楽しそうだしやってみようということになった。
スーパーにみんなでスイカを買いに行く途中、すれ違う人々に好奇の目を向けられた。
理由は多分僕たちが和服を着てるからだろう。
僕たちは普段から和服を着ている。
元々はげんじーの祖父が和服好きだったらしく、その流れでげんじーも和服を着るようになって、それを真似して先生もそうするようになったようだ。
そしてそれが僕たちにも受け継がれたというわけである。
「いや〜旅館ってのは浴衣が着れるから良いよね〜。似合ってた?」
天姉が顔を覗き込むように訊いてきた。
「んー。普段から同じような恰好してるの見慣れてるからなー」
「そっかー。そっかー。そっかー。そっかー。いや褒めろや!!」
「うわびっくりした!! 中和滴定曲線みたいなキレ方するな」
「理系は黙ってろ! いや私も理系だわ!」
「ノリが鬱陶しいよ」
日向が僕と天姉の会話を聞いて質問してきた。
「中和滴定曲線ってなんや?」
「ギュイーンってなってる曲線」
けいが適当に答えた。
「それで分かると思うか?」
「横軸に滴下量、縦軸にpHをとったときに現れる曲線のことっていって伝わるか?」
けいがもう少し詳しく説明した。
「日向七歳だぞ。さすがに」
僕の言葉を遮るように日向が
「あー中和滴定ってホールピペットとかビュレットとか使うやつのことか」
と言った。
「いや知ってるんかい」
天姉が苦笑いする。
「二十年くらい前、学生の頃実験したわー」
日向が訳の分からないことを言った。
「だからお前七歳なんだってば。適当な嘘つくな」
けいがツッコミを入れる。
「ほんまやって。本気と書いて、嘘や」
「嘘やんけ」
天姉が日向に注意した。
「日向、嘘はダメだ。嘘をついた者は、地獄の閻魔様にドロップキックされるぞ。これマジ」
「アグレッシブな閻魔様やなー」
話してるうちにスーパーに着いた。
そこでスイカを四つ買った。
こんなに食べられるのだろうか。
ともかく、僕たちはその後水着に着替えて砂浜に行った。
……目立っている。
主に先生とげんじーが。
二人の体には歴戦の猛者を思わせる無数の傷跡がある。
げんじーの年齢を感じさせない引き締まった体に、先生の見ただけで戦意喪失してしまいそうなほど鍛え上げられた体は周囲に威圧感を与えまくっていた。
当の二人は気にした様子もなく、僕たちは誇らしいような恥ずかしいような気持ちになった。
「ねぇねぇ、水着似合ってる?」
天姉が訊いてきた。
「んー。普段から同じような恰好してるの見慣れてるからなー」
僕はさっきと同じ答え方をした。
「おい。セリフを使い回すな」
「これは照れ隠しやろ。なー」
日向が僕の顔をニヤニヤしながらじっと見つめてきた。
「ほら照れて……あれ照れてない。照れ隠しなんやろ? ……アカン自信なくなってきた」
「おい。褒めろや」
「素敵な髪型だね」
「そこじゃねーよ! もーいいや。けいは? どう思う?」
「素敵な髪型だな」
「仲良しか!! もう日向で良いや。褒めてくれ」
「素敵な髪型やな」
「水着だよ! 髪のことはいいよ! じゃあ桜澄さんは? どうですか?」
「素敵な三つ編みだな」
「いや三つ編みじゃねーわ!! げんじー褒めてー」
「良いツーブロックじゃな」
「何が見えてるの!? これはポニーテールっていうんだよ! もうゆずだけが頼りだよ」
「ナイス大和撫子です」
「どゆこと!? 結局水着はどうなの!?」
じゃんけんをして順番を決めた結果、げんじー、先生、僕、日向、ゆず、けい、天姉の順になった。
「最後か。今日はなにかと不憫だな私」
天姉は自分の出したチョキを眺めながら言った。
「わしからじゃの。ほんじゃグルグルバットするかのー」
げんじーは目隠ししてバットを持つと、バットの先を地面に立て、それを中心に回転し始めた。
「いーち、にーい、さーん、……にじゅー!」
みんなでカウントした。
「よし。えーっとね。真っすぐだよげんじー」
けいが指示するとげんじーは
「おう。こんなもんかの」
そう言ってその場からバットを投げた。
投げられたバットはスイカに当たり、スイカはコロコロと転がっていった。
「……は?」
日向が引いてる。
「いや、わし目隠ししててもスイカの場所分かるし、わしが割ってもつまらんじゃろ。どうじゃ? 当たったじゃろ?」
……人は鍛えすぎるとこうなるのか。
覚えておこう。
「次は俺だな」
先生がバットを持った。
「……にじゅー。よし、そのままーあ……」
天姉が先生をスイカに誘導しようとしたが、先生は勝手にスタスタ歩いてスイカの前に立った。
「この辺か?」
先生がバットを振り下ろす。
しかし惜しくもスイカの少し手前の地面を打った。
ズドンッ!
およそ砂浜を叩いたとは思えない凄まじい音がした。
海水浴を楽しんでいた人々が一斉にこちらを向く。
先生は目隠しをとると
「ん? あー外したか」
と少ししょんぼりしていた。
「はっはっは。まだまだじゃの〜」
げんじーが楽しげに笑う。
「いやなんで二人ともノーヒントでやるんや……」
日向がドン引きしながら言った。
次は僕の番だ。
僕はさすがにノーヒントでは無理なので普通に指示を聞く。
「んーもうちょい右! よしそこだ! やっちまえ!」
天姉のその指示を聞いて、僕は思いきりバットを振り下ろした。
さっきのバットは先生がへし折ってしまったので、このバットは二本目だ。
「おりゃ!」
ドンッ!
スイカに当たった感触があった。
なるほど。
これは結構楽しいかもしれない。
ウキウキで目隠しをとると、グッチャグチャになったスイカが目に飛び込んできた。
「……恭介、力加減って知ってる?」
「天姉にそれを言われるとは……」
多分こうなると思って多めに買っておいたのだろう。
僕はちょっと悲しい気持ちになりながらみんなの元に戻った。
次は日向の番だ。
「よーし。やったるで一。……うおバット重! 何キロあんねんこれ」
「十キロくらいじゃないか?」
先生が答える。
「重すぎやろ! こんなもんどうやったらへし折れんねん」
「気持ちの問題だ」
「なんやそれ。まぁええわ。よっこいせっと」
日向は僕たちの指示を聞いて、バットを引きずりながらフラフラと歩いてスイ力の前に立った。
「よしそこだ日向!」
天姉が指示を出す。
「おっしゃーいくでー! ……ぐぬぬ! うぬぬ! ふんがー!」
日向はバットを持ち上げようとしたが、バットは全然持ち上がらず、結局スイカから十センチくらい上からこつんと落とした。
「今はこれが精いっぱい」
日向は跪き、微笑んだ。
スイカは割れなかった。
ちょっとだけひびが入ったけど。
「次は私ですね」
ゆずはグルグルバットが苦手なようで何度か尻餅をついていた。
「お、お待たせしま、うっ」
すごくフラフラしてる。
普段しっかりしている印象が強いのでなんだか新鮮だ。
「真っすぐ進んでーそう! そこだやっちまえ!」
天姉が元気よく言った。
「えい!」
いい感じにスイカが割れた。
「やりました」
ゆずは満足気な顔で小さくガッツポーズをした。
次はけいの番だ。
「ちょい左で、一歩前! そこ!」
天姉の指示に一度頷くと、
「オッケイ。そりゃ!」
けいは信じられないくらいの速さでバットを振り下ろした。
スイカは粉々に砕け散り、そのあまりの迫力に砂浜にいた人々は思わずけいに向かって拍手した。
「え? あーどうもどうも」
けいは目隠しをとると、自分に向かって手を叩く人々に気づき、困惑しながらペコペコと頭を下げた。
「どうもじゃないよ! だから力加減!」
天姉がけいに向かって文句を言う。
「いやこのバット重すぎて加減しにくいんだってば」
「それにしたって跡形もないじゃん」
「ごめんってば」
「はぁ。仕方ないなぁ。私がお手本見せたげるよ」
ということで、最後。
天姉の番となった。
「……えーっと。もうちょい左向いて、そう、そこだよー」
けいがのんびりした口調で指示した。
「そいやー!」
天姉が美しいフォームで構えたかと思ったら、次の瞬間にはバットが地面についておりスイカは消滅していた。
遅れて音が聞こえてくる。
激しい爆発のような音に思わず後ずさってしまった。
「やべ。やっちまった」
目隠しをとった天姉は気まずそうに頭を掻いた。
直後、大歓声が上がった。
割れんばかりの拍手が沸き起こり、天姉は照れ臭そうにしていた。
「え、あ、え? あぁ。うへへ。ありがとうございます~」
けいと同じようにペコペコと頭を下げている。
「ちぇー負けた」
けいが悔しそうに言った。
「なんの勝負してんだよ。ってかまともなスイカー個しかないじゃん」
「まぁ楽しかったからいいだろ」
「んー。それもそっか」
その後、日向とゆずが割ったスイカを食べた。
海を眺めながら食べるスイカは、なぜだかいつもより美味しい気がした。
今日までゆっくりして明日から訓練ということになったので、スイカを食べた後も砂浜で遊ぶことにしたのだが、さっきの様子を見ていた子供たちが僕たちに話しかけてきた。
「おにーちゃんたちすげーなー! いっしょに遊ぼー!」
キラキラした目で言ってくるので断れず、いっしょに遊ぶことにした。
「何して遊ぶの?」
天姉が子供と視線の高さを合わせるように屈み込みながら訊いた。
「みずでっぽう!」
そう言って僕たちの分の水鉄砲を渡してきた。
「ちーむにわかれてやるんだよー。ぎぶあっぷしたら負けだよー」
じゃあギブアップしなければ終わらないのか。
全然終わらなさそうだなそれ。
子供たちは四人いたので四対四に分かれることになり、僕と日向と子供二人と、けいと天姉と子供二人のチームになった。
開始から二分。
僕の予想に反し
「ぜんぜん、あたんねー。も、もうだめ。ぎぶあっぷー」
子供たちが次々とギブアップし、日向も
「水なくなってもうた」
と言ってギブアップした。
子供たちがリタイアして二対ーになった途端、僕たちは真剣な目つきになった。
先程までと打って変わって鋭い緊張感が走る。
二人は一切の油断なくこちらの出方を窺っている。
前触れなく天姉の放った水が飛んできた。
それを避けた先には、けいが放った水が迫る。
僕は後ろに跳んで避けた。
今は二人とも正面にいるが挟まれるとマズいな。
じりじりと二人が迫ってくる。
すると大胆にも天姉が僕に向かって走りだした。
天姉が走りながら放った水を地面に倒れ込むようにして避けつつ天姉に水を放つ。
天姉は側転しながらそれを躱した。
マズい。
挟まれてしまった。
獲物を追い詰めるようにじわじわと距離を縮められる。
僕は覚悟を決め、けいに向かって水を放った。
けいが左に避けた先に水鉄砲を投げる。
それをけいが後ろに跳んで避ける、その一瞬で距離を詰め、スライディングしながら水鉄砲を拾うと同時にけいを撃つ。
水が顔に命中し
「うわ!」
と、けいが体勢を崩す。
そこへさらに二発撃ち込んだら、今度は天姉に向かって全力で距離を詰める。
迫る僕に対して天姉が慌てて放った水を左にしゃがみながら避ける。
そして右斜め上に思いきりジャンプしながら天姉を撃つ。
「くっ!」
天姉は顔を手でガードした。
僕はガードの下に水を撃ち込む。
「グアァ! ……ふっ。負けたぜ」
天姉が膝をついた。
僕たちのチームの勝ちだ。
子供たちから歓喜の声が上がった。