「辛く苦しい時こそグッと我慢して」
「辛く苦しい時こそグッと我慢して」
「始め!」
先生の合図と共に、おれや他の生徒たちは一斉にサンドバッグへとキックを行っていく。
ストップウォッチで時間を計られていて、先生が止めるまで続けなければならない。
短時間で一気にラッシュする感じなので、すぐに汗がブワッと溢れて体は重くなる。
ここは兵庫県三田市内にある『ナックルキックボクシングジム』。毎週日曜日に子供教室が開かれていて、同じ小学校の四年生で友達の風翔や敬磨も一緒だった。
「もう無理だぁ……」
連続でキックを続けることに疲れ切ったおれは、思わず弱音を口にした。
そこでまだ時間が来ていないのに、動きを止めてしまう。周りを見ると、おれに続くように諦める子供が何人かいた。
その後、休憩となったタイミングで先生がそばにやって来た。
「健心くん、辛い時でもね、弱音を吐いちゃいけないよ」
先生は諭すように言った。
だけど、あまり悪いことだとは思っていなかったおれは問い返す。
「どうして?」
「弱音はせっかく頑張ってる自分の心をくじけさせてしまうんだよ。その証拠に、君は弱音を呟いてからすぐに止めた。言わなければ、きっともう少し頑張れていたと思うんだ」
言われてみればそうだったかもしれない。弱音を口から出したことで途端にしんどさが増したように思う。
「それに、その言葉を聞いた周りの人も暗い気持ちにさせてしまったりするからね。見ただろう? 君に釣られてやめてしまった子がいたのを」
「それは……うん」
「辛いとか苦しいとか思った時こそ、グッと我慢することが大切なんだ。キックボクシングの試合でも、痛そうな顔をしていたら相手を勢いづけてしまう。だから、勝つ為にはどれだけ苦しくても無表情でなきゃならない」
先生の言いたいことは分かる。その上でおれは言う。
「でも、そんなのは難しいよ。痛いのとかどうしても出ちゃうと思う」
「そうだね。とても難しいことだ。いきなり完璧には出来なくても良いから、普段から意識してみて欲しいなって思う。もし周りの人が弱音を吐いていても、君が我慢してその人たちを励ますことが出来れば、上手くいくことだってあるんだから。そのことを覚えておいてくれないか」
「……わかった」
おれがうなずくと、先生は満足そうに離れていった。
数日後、おれのクラスは体育の授業でグラウンドに出ていた。
この小学校では冬に持久走が行われる。2kmも走らなければならない。いくら毎週ジムでランニングもしているとは言え、かなりきつい距離だ。
おれはあまり走るのが得意じゃないので、始まる前からテンションが下がっていた。
いよいよ持久走が開始される。寒空の下、クラスの全員が一斉に走り始めた。
しばらくして、おれは後方で息も絶え絶えに走っていた。やっと半分くらいだ。
その時、すぐ前で走っていた二人のクラスメイトが苦しそうにしながら呟く。
「もう無理……」
「限界だ……」
正直、おれも同感だった。辛い。苦しい。今すぐ足を止めてしまいたい。そうすれば楽になれる。
けれどそこで、ふと先生の言葉を思い出した。
『辛いとか苦しいとか思った時こそ、グッと我慢することが大切なんだ』
おれは口から出そうになっていた弱音を何とか抑え込んだ。
そして、足を止めそうになっていたクラスメイトに向けて言う。
「終わりが見えてきてるんだ、頑張ろうっ……!」
「……ああ、そうだね」
「……せっかくここまで走ってきたしな」
彼らは驚いた様子だったけど、おれの言葉にうなずいてくれた。
そうして、おれ達は足を止めずに走り続け、何とかゴールまで辿り着くのだった。
「健心が言ってくれなかったら止めてたかも」
「元気づけてくれてありがとな」
二人に感謝の言葉を告げられる。それを聞いたおれは、先生が言っていたのはこういうことだったんだ、と実感した。
辛く苦しい時でも、弱音を吐かずに頑張れば、道は開けるんだ。そう思ったおれは、持久走終わりで疲れ切っていたはずなのに、清々しい気持ちでいっぱいだった。