「義を見てなさざるは勇なきなり」
「義を見てなさざるは勇なきなり」
「はぁ……」
下校の時、僕は無意識に溜息を吐いていた。
「どうしたんだよ、敬磨」
「そんな大きな溜息なんて吐いてさ~」
一緒に歩いていた風翔くんと健心くんが言った。
彼らは僕と同じ小学四年生で、学校も一緒だ。毎週日曜日には三人で『ナックルキックボクシングジム』に通ってもいる。
「実は……僕のクラスで最近ちょっといじめられてる子がいるんだ。いじめって言っても、からかわれてるってくらいなんだけど……」
前に僕も同じようにされたことがあるけど、一度言い返したからか、最近はしてこない。抵抗してこない相手だから好き放題に言うんだろう。
本当は止めたいって思う。みんなで仲良くできた方が良いに決まってるんだから。
でも、もし僕が何かをすれば、また自分がその対象になってしまうかもしれない。前より酷いことになるかもしれない。
そう思うと、一歩踏み出せずにいた。
「俺がそっちの教室に行って、きつく言ってやろうか?」
風翔くんはそう言ってくれたが、僕はうなずけなかった。喧嘩になってしまいそうだ。それは困る。できれば穏便に収めたい。
「ん~、ならまた先生に聞いてみたらどう? いつも良いこと教えてくれるしさ」
健心くんはそう言った。ここで言う先生は、担任の先生ではなく、ジムの先生を意味していると分かった。確かに、先生は相談したらいつもアドバイスをくれる。
「……うん、そうしてみようかな」
次の日曜日、僕たちはジムに少し早めに行って、先生に事情を打ち明けた。
「僕はどうしたら良いですか」
「ふむ、なるほど……」
先生は少し考える様子を見せてから、ポツリと呟く。
「義を見てなさざるは勇なきなり、という言葉がある」
そう言ったけど、僕はピンと来なかった。すると、先生は詳しく説明してくれる。
「義は敬磨くんが正しいと思うこと。正しいことだと思ったのに行動に移さないのは、その人に勇気がないからだ、という意味さ」
「勇気……」
僕が思わず口にすると、先生はうなずいた。
「勇気は何もないところからは生まれないんだ。何が正しくて、何が間違っているか、それを判断するのは簡単なことじゃない。でも、考えて考えて、自分が正しいと思ったことを行動に移す。それこそが、勇気なんだよ」
こうして説明してもらうと、義を見てなさざるは勇なきなり、とはまさに僕のことだった。僕は昔からいつだって臆病だから。
けれど、先生は僕の肩に軽く手を置いて、言う。
「大丈夫、敬磨くんならできるよ。この間だって、ちゃんとできたじゃないか。君の中にはもう既に、勇気が宿ってる」
続けて、隣にいた風翔くんと健心くんも言う。
「まあ、何かあったら俺らに言えよな」
「そうそう」
皆が僕のことを信じてくれていた。
そう思うと、胸の内から力が湧いてくるのを感じた。
「うん、ありがとう、先生、風翔くん、健心くん。僕、頑張ってみるよ」
週明け、教室に行くと偉そうなクラスメイト達が気弱なクラスメイトに絡んでいた。
やっぱりこんなことは間違っている。何度考えたって、そう思う。
だから、僕は自分が正しいことをするのだと信じて、行動するのだ。
「や、やめなよっ!」
僕が言うと、彼らの視線が一斉にこちらを向いた。
「敬磨は最近調子に乗ってるよな。俺らが何しようが、お前には関係ねぇだろ」
「でも、嫌がってるじゃないか。そういうことは言ったら駄目だよ」
「……ちっ」
怯まずに返すと、彼らは舌打ちして離れていった。やっぱり反発されるのは嫌なんだろう。
気弱なクラスメイトはホッとした様子を見せる。
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして。でも、嫌なことはちゃんと嫌だって言わなきゃだよ。すぐには難しいかもしれないけど、少しずつでも良いから」
「……うん」
僕が先生に教わったようなことを言うと、彼は自信がなさそうにしながらもうなずいてくれた。
そこでふと視線を動かしたところ、教室の外で風翔くんと健心くんが覗き込んでいたのを見つけた。心配してくれたんだろう。そんな二人に僕はガッツポーズを送るのだった。