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何度も強く髪を引っ張られたせいで、ズキズキとした痛みが残る。
ソファーに座って頭を抱えるようにしているシェリーを見て、王妃がゆっくりと話し始めた。
「なぜ来たの? お前だけは安全な場所にいて欲しかったのに」
「王妃殿下?」
「私が害虫達を全部引き連れて行くつもりだったのに、お前が来るから予定が狂ったわ」
「あっ……それは……」
「まあ今更仕方がないわね。ねえ、そこのメイド」
王妃がジューンを見た。
「寝室に転がっていた男にこれを飲ませてきなさい。まだ息はあるでしょうから、せめて痛みだけでも和らげないと体力がもたないわ」
ジューンはチラッとシェリーを見た。
「良いから! 疑う時間も勿体ないと理解しなさい」
ジューンは頷いて王妃から受け取った薬瓶を持って部屋を出た。
「さあ、お前にはどこから話しましょうか? そもそもどこまで知っているの?」
シェリーはアルバートがローズの元に行きはじめた頃からのことを、搔い摘んで話した。
「なるほどね。かなり偏っているけれど、概ね間違ってはいないわ。ではここにお前が来た理由は?」
「それは……アルバート殿下がご無事かどうかを知りたくて……できれば一緒に戻ってほしいと思ったのです」
「ふぅん。理解はできるけれど、まるで市井で暮らす女のような思考ねぇ。とても皇太子妃とは思えない。ましてや時期王妃となると……はっきり言って論外ね」
シェリーはビクッと肩を揺らした。
「どこが間違っているかは説明しなくてもわかるわね? もしわからないなら皇太子妃を降りなさい。その方がお前の身のためだわ。自分で動くとかバカじゃないの? お前は曲がりなりにも王家の人間よ? 人を使いなさい! 自分が動くのは死を覚悟したときだけ」
今まさに自分で動いている王妃は死を覚悟しているということだろうか……という視線を向けるシェリーに王妃が片方の口角だけをあげて言った。
「そうよ。全てを終わらせるわ」
その頃、王妃の唯一の子でありシェリーの夫であるアルバートと、執務室でエドワードと向き合っているグルックの兄であるグリーナ王国第二王子のキースは馬を駆っていた。
「そろそろだと思う」
舌を嚙まないように気をつけながら手短に言うキースに、アルバートが頷き返した。
「見えた!」
真っ黒で大ぶりな六頭立ての馬車がゆっくりと向かってくる。
その周りには護衛の姿が見えるが、予想より遥かに少ないことを不信に思ったキースが、アルバートに合図を送り、道路わきの林に馬を進めた。
「おかしいな。護衛が少なすぎる」
「隠れているのか? もしかしておびき寄せるため?」
「わからないが警戒するに越したことは無いだろう。いずれにしても我が国の騎士達だ。私に刃を向けることはない……と信じたいが」
「どうする?」
「予定通りだね。消えてもらおう」
「でも話は聞くのだろう? 問答無用はあり得ない」
アルバートの言葉にキースが頷いた。
「行こう」
二人は再び馬上の人となり、馬車に向かって馬を進める。
近づいてくる二人を確認して馬車と護衛騎士たちがゆっくりと止まった。
「第二王子殿下……」
先頭にいた騎士がそう声に出し、もう一人の仲間が馬車へ予想外の客人の来訪を告げる。
下馬して馬車に歩み寄るキースに対し、あからさまに警戒している騎士。
とても自国の王子に対する態度ではなかった。
「おいおい、不敬罪に問われたいか?」
キースがわざと挑発するような言葉を選んだ。
まさか王子に対し剣を抜くわけにもいかない騎士は、剣の柄に手をかけることもできず、じりじりと後退していた。
「何事か!」
馬車のドアが開き、神経質そうな甲高い声がした。