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13.花咲く庭

(こんなにも花は綺麗に咲いているというのに……)

 花々を見渡しても、ミカエラの心は晴れない。

 よく晴れた早朝、ミカエラは庭園にいた。
 辺りに人影はない。
 そこに居るのは、ミカエラと護衛騎士だけだ。
 庭園は、いつもの静けさを取り戻していた。

 昨日は大混乱に陥ったガゼボも、今は誰もいなくて平穏そうに見えた。
 王太子が襲われた辺りも綺麗に片づけられていて、争った形跡もなく平和そのものだ。

(それは私も同じね)

 ミカエラは一晩中、痛みに苦しんだ。
 にもかかわらず、朝になって目覚めてみれば何事もなかったかのように治っていた。

(まるで……呪いね)

 ミカエラは思った。

 愛の為と言えば聞こえは良いが、ミカエラにとっては呪いも同然だ。
 自分の意思など関係ない。
 いや、王太子への愛がある、という一点だけを見れば、それはミカエラの意思なのだ。
 しかし。
 愛したからといって、全てを捧げることに同意したかと言えば謎である。

(私自身、異能持ちだと知っていたら。もう少し、警戒したと思うの……)

 とはいえ。
 恋に落ちなかったか、と、問われれば答えには悩む。
 恋には落ちるものだ。
 ミカエラの意思で、どうにか出来るものではない。
 愛もまた、生まれてしまうものだ。
 ミカエラの意思で制御できるものでもない。

(でも……苦しいだけの恋も愛も、嫌なの)

 どうしようもないと分かっていても、ミカエラの心にはモヤモヤとしたものが湧いてくる。

(愛は、もっと良いものだと思っていたのに)

 ミカエラにとっての愛とは痛み。
 アイゼルへの恋心は、あっという間に痛みに化けた。
 彼の受けた傷害を引き受けることによる痛みだけではない。

(令嬢方への嫉妬心も、私には痛みだわ)

 溜息をひとつ吐く。

(王太子殿下は、私の異能をご存じのはずなのに)

 感謝しろ、というのではない。
 せめて嫉妬心に苦しめられるような行動は慎んで欲しいのだ。
 それをミカエラから言うのは憚られる。
 察して欲しい、と、思うのはいけない事なのだろうか?
 いけない事であったとしても、ミカエラはアイゼルに察して欲しかった。
 
(愛を返してくれ、とまでは言わないわ。私を愛して、と迫るのも違うから。私の異能が勝手に王太子殿下を守っているだけですもの。愛を求めるのは違う。……それでも、私の貢献に少しでも感謝の気持ちがあるのなら、気を使って欲しいのよ。それは、私の我儘なのかしら……)

「おや、ミカエラさま。こんな所でお会いするとは奇遇ですね。おはようございます」
「あら、エド神官。おはようございます」

 今日もエド神官は七色に輝いていた。神々しく輝く髪と瞳は、庭園を天国のように思わせる。
 昨日、王太子が命を狙われ、ミカエラが血を流した場所と同じには見えなかった。

「どうかしましたか? ミカエラさま。お顔の色が優れませんが……」

「昨日の騒ぎをお聞きになっていらっしゃいませんか?」
「ああ、例の襲撃騒ぎですか」
「ええ」
「何事もなく収まったのですよね?」
「……」

 神官は誰がどこまで知っているのか、ミカエラには知らされていない。
 だから、彼女は彼にどこまで言っていいのか分からなかった。
 それでも、不安を打ち明けるくらいは許されるだろう。

「ですが……王太子殿下は、いつもお命を狙われていますのよ……」
「そうですね」
「しかも、そのお側に居るのは……私ではありませんの……」
「そのようですね」
「私は、不安ですのよ……」

 正確に言うのなら、不満だ。
 できることならばミカエラ自身が、いつも側に居たい。
 それならは、命を狙われた肩代わりをすることになっても納得できる。
 血を流しても、嘔吐しても、彼が側にいてくれるのなら――――。

 そこまで考えて、ミカエラは緩く頭を振った。
 これでは、愛を強制するのと変わりない。
 それでは駄目なのだ。
 強制でも、強要でも、義務でもなくて。
 心の底から欲して、愛して欲しい。愛されたい。
 それが自分の欲望なのだ。
 誤魔化しても仕方ない。

「ねぇ、ミカエラさま」
「何でしょう、エド神官」
「この場所には沢山の花が咲いていますよね。薔薇にすら種類が幾つもある。でも、それぞれが皆、美しい。薔薇以外の花もそうです。美しく、それぞれの魅力には甲乙つけがたいものがあります」
「何がおっしゃりたいのかしら? エド神官」
「貴女には貴女の美しさがある。魅力がある。王太子殿下が令嬢たちを侍らせていても、心配は要らないということですよ」
「……そう、ですか……」

 少しピントのズレたアドバイスをくれるエド神官に、ミカエラは曖昧な笑みを返した。

「ミカエラさま。貴女は美しい。とても魅力的だ」
「ありがとうございます」

 七色に輝く貴方こそ美しい、と、言いたかった。
 が、誰が聞いているか分からない場所で迂闊な事は言えない。
 ミカエラはさりげなく話題を変えた。

「でも私は、神の祝福が感じられませんの」
「ミカエラさま……」
「私は……呪われているのかもしれませんわ」
「なぜ、そのような悲しいことを……迷いが、おありなのですね……全ては神の御業。人の身に起きることを人の知で窺い感じ取ることは難しいのです。いまは不安に思われているのでしょうが……どうぞ、その身を時の流れに任せて心安らかにお進み下さい。神のなさることは、人間ごときに予測できるようなものではございません。信じて身を任せ、進んでいくより他はないのです」
「エド神官……」
 
 神官に言われると、それを信じてしまいたくなる。
 ミカエラは、その感覚に縋りたくなった。
 でも、彼女は知っている。
 縋ったところで、裏切られる時には小気味よいほどさっくりと裏切られるのだ。
 その痛みを想像すると、安易に縋ることはできない。

(心の底から髪の御業を信じることが出来たら良いのに……私はもう、痛いのも苦しいのも嫌なの……)

 ミカエラは自分の気持ちにかかりきりになっていた。
 ゆとりが無い彼女に回りを見渡すような余裕はない。
 だから、彼女は気が付かなかった。

 気付いて。
 気付いて。
 気付いて。

 小さな煌きが、何かを知らせるようにミカエラの周囲を飛び交っていたことに。

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