昴が病院から退院し、自宅療養に切り替えられた。病院でのリハビリに通いつつ、松葉杖を使っての登校も始めた。
登下校はもとより、校内での手助けもリクが申し出たのだが、「僕は赤ちゃんじゃないから」と、昴が頑なに断ったため、登下校時に教室の出入りまでリクが付き添う。
実際のところ、校内ではクラスメイトが率先して手を貸してくれることや、学習で使う道具は殆ど校内に置いてあること、校内エレベーターなども備わっていたりなどするため、いつも通りに外で遊べないことを除けば、昴がひどく不自由することはないようだ。
それでもリクは昴の登校を不安視していたが、自宅療養をしていても昴が退屈してしまうことと、学習の遅れの懸念もあって、登校に切り出すこととなった。
『昴! おかえり!』
「あ! リクだぁ!」
小学校低学年ぐらいであればシッターロイドのお迎えがくる子も珍しくはない。
だが、昴ほどの年頃になるとそれも滅多になくなってしまう傾向にあるためか、リクが学校の門の辺りに昴のお迎えに来ていると、必ずと言っていい程昴よりもその友達たちの方が駆け寄ってくる。遊んでくれる相手が来たとでも思っているのかもしれない。
そして当の昴はというと、シッターロイドのお迎えというのが恥ずかしいのか、少し不機嫌そうにわざとゆっくり歩いてくるのだ。
「ねえねえ、リク、今日は遊べる?」
昴の友達の
絢斗の家にもシッターロイドがいる筈なのだが、よその家のシッターロイドは珍しいのか、リクを見かけるとやたらと絡んでくる。
他の子ども達も同様で、リクを見かけると話しかけたり遊びに誘ったりしてくることが多い。
それがまた、昴を不機嫌にしていたのだが、昴自身はそれがどういう理由で不機嫌に繋がっているのかがわかっていない。
ただリクが来ると不快な事がある、位の認識しかなく、帰り道や家に帰りついてからリクに胸に抱いたわだかまりをぶつけてしまう事や、そうしてしまう自分自身にもイライラしていた。
昴は、イライラの原因はリクが迎えに来るからいけないんだ……とさえ思っていたのだが、それもまた何かが違う気もしていた。
胸のわだかまりは、他の子とじゃれ合うリクの姿を見るたびに増長していくようだ。
少し離れたところで不機嫌そうにこちらを見ている昴の気配を察したかのか、リクがちらりと昴の方を見て、それから困ったように苦笑してリクの脚に纏わりつく絢斗の目線に合わせて屈む。
『ごめんね、絢斗。今日は昴が病院行く日なんだよ。それに、まだ昴が外で遊べないから、脚が治ったらね』
「えーっ、なんだよぉ、いいじゃんちょっとくらい。それにリクと遊びたいんだよー」
「俺のシッターロイドなら遊んでくれるのに」と、絢斗はリクの断りを不満げにすると、『だって俺は昴のシッターロイドだからね』と、にこやかに、心なしかどこか得意気にさえ見える表情でリクは答える。
断られた絢斗は、つまらなそうに口をとがらせていたが、リクの微笑みに圧されるように渋々納得したようだ。
そのやり取りを見ていた昴は、砂地に水が吸い込まれていくように胸のわだかまりがすっと消えていくのを感じた。
リクはその性能もあってかとても物腰が柔らかい。マスター相手でなくても、やさしいとさえ目に映るような人との接し方をするゆえ、一見して誘い……という名目の“命令”に逆らわない印象を持たれがちだ。
しかし、人間からの“命令”を闇雲に従うだけのアンドロイドでは、“彼”ほど一時代を気づくことはできなかっただろう。
置かれた状況と自分の立場、役割、そして自分のマスターの心情を的確に判断して汲める高度な学習機能あるからこそ、“彼”、RS0412は世の中に多く求められたのだ。
幼い昴はリクがいかに高性能で有能なシッターロイドであるかという所以など知る由もないかもしれない。
しかし、それを体感するにはまだ幼い彼は、リクのそのような態度に好感を覚えるばかりの出来事だった。
「リク! 早く病院行こう!」
松葉杖で懸命に歩み寄りながら昴がリクにそう声をかけると、リクは、『あれ? やけに今日は張り切ってるね?』と、少し驚いた表情を見せる。
リクの言葉に昴は嬉しそうに微笑み、ふたりは並んで歩き始める。その姿はまるで本物(・・)の(・)兄弟(・・)のようにも、それ以上の何かで繋がっているようにも見えた。
色づく街路樹の下を並んで歩くふたりの姿を、穏やかな陽射しが包み込むように照らしている。いくつもの季節が巡り、もうすぐリクのちいさなマスターも十歳になる。
(――いつの間に、こんなに大きくなっちゃって……)
松葉杖でおぼつかないながらも、幼い頃のように出来ないだの疲れただの言ってリクにおんぶをねだることもなくなってきた昴の揺れる前髪と、その下で真剣な面持ちで歩む彼を見つめながら、リクは密やかにそう思った。
郷愁に似た、しかしまたあの胸元が軋むような音を立てる何かが過ぎる。
しかしリクはその軋んだ音を、ただのバグだとは思わないようになっていた。何故なら、それは昴に想いを馳せるたびに起こる現象だったからだ。
知識知能の高い“彼”は、その現象に名前があることを既知していた。既知していたからこそ……余計にその音が聞こえると自分の立場を思い知らされた。
自分は、彼を抱きしめてあげることはできても、真のぬくもりで包むことはできない、と。
突きつけられる現実に、“彼”はどうすることもできない。何故なら“彼”は――アンドロイドという“機械仕掛けの人形”なのだから。
「ねえねえ、お腹空いちゃったよぉ」
『じゃあ、リハビリ終わったら、病院のカフェに寄ろうか』
リクからの提案に、「やったぁ!」と、昴が嬉しそうに笑う。
赤ん坊の頃から変わらない、リクに無上の喜びを与えてくれるそれを目にするたびに、リクは言い表しようのないなにかをあの軋む音とともに、しかしもっと柔らかな感触を持って機械仕掛けの胸中に感じる。
その感触に名前を付けることができるほどの知識がリクには備わっていたが、“彼”はそれに気づかぬふりをした。かつて自分の中に生じたちいさなバグを見て見ぬ振りしたように。
その見て見ぬ振りしたものが後々にどのような結果をもたらすことになることも、“彼”にはわかっているのに。
「僕ねぇ、チョコケーキ食べたい! ねえ、いいでしょ?」
『はいはい。じゃあリハビリしっかりやらないとね』
機嫌よくゆっくりと歩く昴の横顔を見つめながら、リクはただ今が穏やかに過ぎていくことを願った。まるで人間のように。そんなことをしても、自分には無意味な事だと知っているのに。
ふたり並んで落ち葉降る道を歩きながら、“彼”はそんなことを記録に残していた。