【四十六】喪失恐怖
「十六夜は逃亡して見つかってない」
青波警視の言葉を、山縣は椅子に座り無表情で聞いていた。それから緩慢に、ガラス張りの壁を見る。マジックミラーで、その向こうには病室が見える。寝台と計器があり、点滴に繋がれているのは、眠っている朝倉だ。
ここは天草クリニックの入院施設の一つで、特別室だ。そこから山縣が動かないため、青波警視はここへと足を運んだといえる。
「春日居は、無期懲役扱いで、完全拘束してる」
「……」
「以後、Sランク探偵の氏名や個人情報は完全に非公開になる。全探偵と助手、メディアにも通達済みだ。二度と被害者になりえないように、というのと、内二名が犯罪者になったからな」
淡々と青波警視が説明するも、山縣は聞いているのか不明だ。
――朝倉が、目を覚まさない。
既に身体的な怪我は全て癒えている。しかし、意識が戻らない。天草医師の診断として、強い心的衝撃により、精神に負荷がかかったせいで、目を覚まさないのだろうとされている。その朝倉をじっと見据えて、山縣は暗い瞳をしている。
「……」
朝倉が狙われたのは、自分のせいだ。
「っ」
口を押え、山縣が嗚咽をこらえる。だがすぐに無理になって、山縣は泣き始めた。
青波警視が憐れむようにして、静かにそれを見守っている。
唇を手で押さえ、山縣は震えながら泣いている。
後悔が押し寄せてきて、止まらない。
――朝倉が拉致され、当時は判明していなかった犯人から挑戦状が届いた時、山縣は死ぬほど動揺した。当初、人生で初めての感覚で、それが動揺という名前だとは気づかなかったほどだ。気づいた時には、心配で心臓が破裂しそうになった。
助手などいらないと思っていた。不要だと考えていた。
けれど今は、朝倉を失う事が、どうしようもなく怖い。
――気づいたら、とっくに大切になっていた。
たとえば、眠っている体に思わず毛布を掛けた時も胸が疼いたし、自分のために完璧になるべく勉強をしている様子なんて可愛くてたまらないと思ったし、その後もどんどん目が離せなくなったし、時に柔らかな髪を撫でる時は、幸せだと思っていた。どうして、それに気づかなかったのだろう。
何故己は、自分の気持ちに気づかず、朝倉に伝えなかったのだろうか、と。
泣きながら山縣は苦しくなった。大切な助手だと思っていると、ただの一度も伝えていない。それはそうだ、自分の気持ちに気づいていなかったのだから。
本当は、自分のために作ってくれた肉じゃがやハンバーグは、とても美味しかった。単純に家庭料理に馴染みがなかったから、当初は困惑もしたが、ほっとする味だと次第に気づいて、そうしたら、愛おしくなった。
――まだ自分は、朝倉がキャンプの前に、何故泣いていたのか推理できないままだ。理由を、まだ聞いていない。
朝倉の誕生日なんて、プレゼントを買ってはみたものの、渡す言葉が思いつかなくて、結局あのピアスがプレゼントである事を、伝えられなかった。照れくさかったのだ。考えてみれば、あの頃にはもう、朝倉が大切で、大好きで、だから少しでも喜んでほしいという想いがあった。そうでなければ、プレゼントなんて買わない。
ひとしきり山縣は泣いた。
山縣は、確かに天才的な探偵だ。だが、まだ高校二年生、十七歳の少年だ。
見守っていた青波警視は、山縣が泣き止んだ頃、静かに立ち上がった。
「早く意識が戻ることを、俺も祈ってる」
「……ああ」
こうして青波警視は帰っていった。