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プロローグ3

 いつものように浅い眠りから覚めたエビータは、空気を入れ替えるために窓辺に立った。
 カーテンを開け、窓の鍵に手をかけたとき黒い影が屋敷に入るが視線を掠める。
 エビータはカーテンの影に隠れ、その影が屋敷に入ったことを確認し、溜息を吐いた。

「悪魔め!」

 逃がしようがない怒りを落ち着けるために、窓を開けて大きく息を吸う。
 初夏とはいえ、まだ肌寒い風のせいか、激しく咳き込んだエビータは、自分の顎が生暖かくなったことに気づいた。
 部屋の明かりはつけず、そのまま鏡を覗き込んだ。
 
「ははは……」

 自分が吐いた血で染まった顔を見ながら、エビータは乾いた笑いを浮かべた。

「思ったより早かったわ。あと2年は大丈夫だと思っていたのに」

 エビータ・ロレンソ子爵。
 彼女はE国とZ国の国境を領地とした貴族で、両親が死んだあとその爵位を継いだ。
 しかし、彼女の家系は肺病持ちが多い上に、彼女自身が幼いころから呼吸器系の疾患に苦しんでいたため、まだ10才にも満たないうちに、両親は早々に婚約者を決めた。
 エビータの婚約者として選ばれたのは、父方の遠縁に当たる男爵家の三男マイケル・エヴァンス。

 顔合わせの日、13才のマイケルは体の弱いエビータの面倒をよく見た。
 その様子を見た両家の親は、マイケルを子爵家で引き取り教育を施すことに決めた。
 E国は爵位の承継に性別の規定はない。
 しかし、その家系の血筋であることが絶対的な条件であり、ロレンソ子爵家の場合エビータが次期子爵となることは決定していた。
 マイケルはエビータの代わりに領地経営をするために婿入りするのだが、僅かとは言えマイケルにもロレンソの血は流れている。
 二人の間に子供ができず、エビータが早世したとしてもぎりぎり爵位は繋ぐことができることも考慮した人選だった。

 二人はマイケルが21才、エビータが17才の時に婚姻届けを提出した。
 性格が穏やかなマイケルは、エビータによく尽くした。
 結婚して1年目の夏、奇怪な事故によってエビータの両親が他界した。
 見通しも良く、障害物も無い直線道路で馬車が横転したのだ。
 早朝ではあったが暗いわけではない平坦な道路で起きた突然の事故。
 しかも、横転した車内で発見された両親の体にはなぜか内臓が無かった。
 野犬に喰われたという説も出たが、車体の状況からそれは考えにくいと判断された。
 領民たちは呪いだと騒いだ。
 エビータは泣き叫び、マイケルはそんなエビータを抱きしめ励ました。
 数か月に及ぶ捜査の結果、出された結論は『不明』。
 
 それから更に4年。
 今年22才になったエビータは、遂に決心する。
 信頼する医師を呼び出したエビータは、予てからの計画を実行すると告げた。
 医師は悲痛な顔をしたが、エビータの強い意志を尊重すると頷いて見せた。
 マイケルが領地視察に出ている間に再訪した医師は、弁護士を伴っていた。
 遺書を作成するためだ。
 同じものを三通作らせて封蠟を施し、一通は弁護士に預け、一通は自身の金庫に収めその鍵を医師に託した。
 そして最後の一通は弁護士に渡し、王宮の文書保管所に保存するよう指示をした。
 エビータは医師と弁護士を前に、聖母のような微笑みを浮かべた。

「先生、今まで本当にありがとうございました。この屋敷で本当のことを言えるのは先生だけでした。いろいろ相談にのっていただいて、信頼できる弁護士の先生も紹介してくださって。心から感謝申し上げますわ」

「エビータ様、本当に良いのですか? 訴え出て罪に問うという手もあるのですよ?」

「いいえ、先生。あの子たちの痛みとその親たちの苦しみを思うと、ほかに方法はございません。これは私なりの復讐なのですわ」

「……わかりました。もう何も申しますまい」

 二人の会話に口を挟まず、じっと聞いていた弁護士がポケットからメモを取り出した。

「ご依頼のものです。この場で覚えて燃やしてください。そしてルールですが……」

 弁護士はゆっくりと嚙み砕くように複雑なルールを説明した。
 話し合いが終わった三人は、お互いに握手をして今生の別れを惜しむ。
 馬車に乗り込んだ二人は、無言のままで見送っているエビータを見つめ続けた。

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