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1 Caseトマス①

 見ているだけで癒されていくようなステンドグラスを見上げながら、シアはたった15年で終わる自分の人生を振り返った。
 自分はただ守られるだけの弱い人間だったと思う。
 シスターレアとトマスを犠牲にして生きながらえた自分に吐き気がする。

「シスターレア、そしてトマス。私もすぐに行くからね」

 ふと正面の神像のところで音がしたような気がして、シアは慌てて駆け寄り跪いた。

「神の鉄槌は真の悪にのみ振り下ろされる」

 ここを教えてくれた人に教わった通りの合言葉を口にして、シアは小さく体を屈めた。

「神こそ正義なり。お話を伺いましょう」

 シアの頭上に降ってきたのは女性の声だった。
 てっきり男の人だと思っていたシアは少し戸惑ったが、迷っている時間は無い。
 意を決して、顔を上げないように注意しながら口を開いた。

「どうか……どうかシスターレアとトマスの仇をとってください」

「続けてください」

 シスターの声に励まされ、シアは心の澱をすべて吐き出した。
 貧しいながらも、2人にとっては夢のような教会での日々が1年ほど続いただろうか。
 ある日、アニタに誘われて街に出たシアは裏路地に連れ込まれて殴られ監禁された。
 アニタが手引きしたことだった。
 アニタはシアを売った金を手に、シアを監禁した男の膝に跨った。

「もうたくさんなのよ! 神はいないわ! レアはバカよ」

 気が遠くなるシアが聞いたアニタの言葉が全てを物語っていた。
 それからひと月、アニタとシアを探し続ける2人のもとに、当時の浮浪児仲間が情報をもたらした。
 トマスはその子供に礼を言い、レアと一緒に教えられた場所に向かったが、それは罠だった。
 男たちはトマスを殴り、目の前で修道女姿のままレアをかわるがわる犯した。
 気を失ったレアの汚された体を靴先で蹴った後、男は声を掛けて女を呼ぶ。
 出てきた女はアニタで、ニタニタと笑いながらレアの体に唾を吐いた。
 鉄の首輪をされたレアはその日から性奴隷として値をつけられ、それから毎日一番高値で落札した男の玩具となった。
 現役のシスターを修道女姿のまま犯す背徳感に大金を積む男たち。

 ステージ上で繰り広げられるそのショーを見せつけながら、男はトマスに言った。
 シアを同じ目に合わされたくなかったら抵抗するな。
 お前も奴隷として奉仕するなら、シアだけは清いままでいさせてやる。
 トマスには何の知恵も力も無かった。

 それからトマスもレアと同じように鉄の首輪をつけられて、ステージに上げられる。
 トマスに値をつける者は加虐趣味の老若男女で、情も容赦もなくまだ幼いトマスの体に鞭を振り下ろした。
 血反吐を吐き、悲鳴を上げる力も無くなるまでトマスは痛めつけられた。
 気を失い、引き摺られて檻に戻される日々。
 2人に食事を運んでくるのはいつもアニタで、スープをひっくり返したり、パンを踏みつけたりして嫌がらせを繰り返す。

「さあ! この世に神はいないって言ってごらん? まともな飯を食わせてあげるわよ?」 

 そんなアニタのために祈りを捧げるレア。
 その声を隣の檻で聞くたびに、トマスはシアを思った。
 シアさえ無事なら……トマスが生きている理由はただそれだけだった。
 トマスの母親は、子爵であった夫が戦死した後、すぐに屋敷を売り払い、長年勤めていた執事と共に姿を消した。
 全てを失い呆然とするトマスの前で、その執事の娘であるシアが泣きじゃくる。
 シアを独りぼっちにしたのは自分の母親だと思ったトマスは、せめてシアだけは守ろうと誓ったのだった。

 レアのショーが終わり、撒き散らされた客の体液の上で折檻をされていたトマスの目に、信じがたい光景が映る。
 それは自分を捨てた母親と、シアを捨てた執事の姿。
 その横にはこぎれいなドレスを着たシアの姿があった。
 二人は着飾り、ニマニマと下卑た顔でステージを眺めていたが、シアがトマスを見て泣き叫ぶと、父親に酷く殴られ椅子から崩れ落ちた。
 ぼんやりとそれを見るトマスの目からは血の涙が流れ、彼の心臓は動くことを放棄した。
 シアの言葉を顔を顰めて聞いていたシスターベルガが珍しく口を開いた。

「それで? あなたはそのまま父親と暮らしたのですか?」

「いいえ、それからすぐに売られました。幼女趣味の老人に、毎日体中を撫でまわされ舐めまわされる日々を3年ほど送りました。攫われた日に怖い顔の男と伯爵夫人とお父様に囲まれて言われたのです。私さえ言うことを聞けば、あの教会に危害を加えないと。トマスも引き取って立派に育てると……だから私……。いつも庇われるばかりの私にもトマスに恩返しができると思って……バカですよね。バカすぎて笑えますよね」

 顔を上げないままシアは話を続けた。
 トマスとレアの身に何があったかを喋りながら、シアを抱く老人の目は腐ったように濁っていた。
 そんな地獄の日々が続いたある日、老人が新しく買ってきた少女に縊り殺されるという事件が起こった。
 その少女は数日前に誘拐された伯爵家の次女で、長女は王家に繋がる家へ嫁ぐことが決まっていた。
 殺人犯として自警団に連行された少女は、すぐに身元が判明し、伯爵夫妻が迎えに来た。
 次女の身に起こったことは許し難いが、スキャンダルの方が怖い。
 伯爵夫妻は事情を知る者に大金を握らせて黙らせた。
 少女と一緒に自警団に保護されていたシアに目をつけた伯爵夫妻は言った。

「あなた、その命を売ってちょうだい。あの子の代わりに自首してくれるならいくらでも出すわ。どうせ戦争孤児か何かでしょう?あと腐れが無くていいわ」

 戸惑うシアを庇うように、自警団の男が声を掛けた。

「金額なんてこの子に分かるはずも無いですよ。俺に任せてください。なあに、こんなことはよくあるんだ。慣れてますからね」

 伯爵夫妻は2日後にもう一度来ると言い、その日は帰って行った。
 自警団の男はシアに言った。

「逃げるなら今のうちだ。行く当てはあるのかい?」

 シアは攫われた日からの出来事や、あの日ステージで見たことなどを男に話した。

「そりゃ酷いな……可哀想に。哀れだな……」

「仇を……討ちたい。そのためなら何だってやってやる……トマスを……シスターレアを……奴らを絶対に殺してやる」

 シアは悔しさで血を吐きながら男に言った。
 男はじっとシアの目を見ていたが、ひとつ小さく頷いて「イヴォル」のことを教えた。

「正直に言って、お前じゃ仇は討てまいよ。確実にやるなら大金が必要だ。お前さん、死ぬ覚悟があるかい?まあ、どの道お前さんひとりじゃ年も越せまい。どうせ死ぬなら金を稼いで仇を討て」

 シアは頷き笑顔を見せた。
 男はシアの命の代金を伯爵と交渉した。
 伯爵はその日のうちに金を用意し、男はシアが犯人だという調書を作った。
 シアは受け取った金から少し抜き取り、男に渡そうとしたが、男は受け取らなかった。
 シアはその男にZ国まで連れてきてもらい、今ここで跪いている。

「明日には戻って出頭します。貴族殺しですから絞首刑は確定なのだそうです。たぶん裁判など無く即日執行されると聞きました。ですからもうこれ以上のお金は用意できないのです。でも……でも……お願いします。トマスの仇を……どうかどうか……」

 泣き崩れるシアを見つめた後、シスターベルガは厳かな声で言った。

「安心なさい。神は手を差し伸べてくださいます」

「ありがとうございます。ありがとうございます」

 ベルガが去ったあと、ゆっくりと顔を上げたシアは笑顔を浮かべていた。
 その様子を影から見ていたオーエンは、まるで天使のようだと思った。

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