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絶体絶命

「もしかして、その亡くなったという方ですか?」
「亡くなった…と思っていたが。彼女の死体を見た者はいない。彼女が乗っていた馬車と彼女の荷物、そして御者の死体の一部が見つかり、彼女の遺体も恐らく獣に食べられたと思われていた」
「まあ、お気の毒に…」

 同情を込めてそう言ったが、アリッサは気が気では無い。エルネストの話はまるでブリジッタのことを言っているようだ。
 
(まさか、彼の知り合いって・・でも彼と話しどころか顔も会わせたないのに)

 彼女がごくりと唾を呑み込んだ。
 目の前の人物は彼女の息遣いや動作の何ひとつも見逃さないと言うように、じっと見つめ続けた。
 そして手を動かし、アリッサのひっつめた髪を解いた。
 はらりと彼女のブロンズ色の髪が広がり肩に掛かる。それを一房彼は手で受け止めた。

「は、離してください!」

 叫んで彼の手から髪を抜こうとしたが、きゅっと掴まれてそれも出来ない。

「そんな風に大きな声も出せるのか」

 髪を染めておけばよかったと後悔したがもう遅い。それにそんな程度では彼の眼力はすぐに見破られたに違いない。
 それでも最後までシラを切り通すべきか迷った。

「私は物覚えがいい。人の顔は一度見たら忘れない方なんだ。以前夜会で君を見かけたことがある。ブロンズ色の髪。瞳の色は遠くてわからなかったが、情報によると、赤褐色だと言うことだ。ただしその時、君はブリジッタ・ヴェスタと呼ばれていた」

 アリッサは唇をわなわなと震えさせ、膝の上に置いた手で関節が白くなるくらいスカートをぎゅっと掴んだ。
 彼は尋ねているのではない。確信のうえで言っている。

「何も言わないのは肯定と考えていいか」
「どうして・・」

 ようやく絞り出した声は掠れていた。

「私が誰であろうと、あなたには関係ないじゃない」

 彼女は下から彼を睨み付けた。
 
「アリッサでもブリジッタでも、私が誰だって、あなたに迷惑はかけないわ。ブリジッタが死んでいようが生きていようが関係ないし、誰も困らない。むしろ死んだ方が他の人も」
「死んでいいとか、そんなことを言うな。生きていてほしいのに死ぬ人間だっているんだ」

 きゅっと髪を引っ張られ、痛みに顔を歪めた。

「イタ」
「すまない」

 彼女が声をあげ、彼は慌てて手を離した。
 アリッサも彼が兄夫婦を亡くしたばかりだったことを思いだし、自分の言葉が適切で無かったことに気づいた。

「いえ、私の方こそ・・侯爵様もご家族を亡くしたばかりなのに」
「いや、私こそ、ブリジッタ・ヴェスタに何があったか大体のことは知っている。一時社交界では君とジルフリード・ルクウェルとのことは話題になったから。すまない、興味本位で聞き耳を立てていたわけでは」
「もう過ぎたことです。気にしないでください。でも、憐れと思うならブリジッタ・ヴェスタはもうこの世にはいない。死んだ人間として扱ってください。アリッサ・リンドーとしても、あなたとは関わらないようにします」
「何があったか、話してくれないか」
「知ったところで、どうするんですか。死を偽装するのは犯罪かもしれませんが・・」
「違う」
「何が違うんですか。元騎士団だから私のしたことが許せないのもわかりますが」
「確かに死んだふりをして生き延びる犯罪者はいるが、君は違うだろう。姿を消す必要なんてないはずだ」

 それは正論だが、それは彼が自分自身であることに強い誇りと信念を持っているから言えることだ。
 侯爵家の次男で見目も良く、自分自身を否定されたことなどないだろう。

「何を言っても誰も聞き入れてくれない。誰も信じてくれない。虚しいだけ。そんな気持ち、あなたにわかりますか? 何も悪いことはしていないのに、お前が悪いと責められて、それならいっそすべてを捨てて別人として生きたい。それがそんなに悪いことですか?」
「悪いとは・・」
「でもそう思っているから、私を責めているんですよね」

 アリッサは逆ギレぎみに詰め寄った。

「責めるなんて・・私はただ、ブリジッタ・ヴェスタとしてだって幸せになれると」
「私は今の方が幸せです。アリッサ・リンドーとして、ちゃんと仕事を持ち、自分の力で生きていく。もう誰かの婚約者だとかということで評価されたり、こけおとされたり、誰かと比べられたりしたくないんです」
「アリッサ・リンドーなら、君らしく生きられるのか」
「はい」
 
 正確には有紗としての前世を思いだし、以前のブリジッタとも違う。なので、今の自分が以前より自分らしいと言えるかは疑問だ。
 でも、ブリジッタ・ヴェスタには戻りたくはない。

「どうかお願いです。見逃してください。あなたに迷惑はかけません」

 今のところ彼女をブリジッタ・ヴェスタだと知るのは彼、エルネスト・カスティリーニだけ。
 彼さえ口を噤んでいてくれれば、すべて丸く収まる。
 そのためには、ここで彼を説得しなければ。

「わざとそうしたわけではないんです。信じてもらえないかも知れませんが、本当てす。私を襲った御者が逃げて、勝手に転落したんです」
「なに? 今何と言った?」
「どうして落ちたかはわかりません。でも、私のせいでは…」
「襲われとはどういうことだ?」

 侯爵は物凄い剣幕で、彼女の肩を掴んで詰め寄った。

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