不穏な予感
彼の横柄な物言いにアリッサは苛立ちながら、これで解放されると喜んだ。
「それでは失礼しま」
「どこへ行く」
退出しようとしたアリッサに、侯爵が声をかけた。
「誰が帰って良いと言った?」
「え、ですが、今、閣下自ら、下がれと」
帰りたいと思う願望から聞こえた幻聴だったのだろうか。でも、確かに「話は以上だ。下がれ」と彼はその低音ボイスで言った。
「確かに言ったが、それはガルバンとドロシーに言ったのだ。そなたにはまだ話があるので、そこに座ってもらおう」
「・・・・話?」
「そうだ。ガルバン、ドロシーを連れて出てくれ」
「畏まりました。さ、ドロシー様、まいりましょう」
ガルバンは頷いてドロシーに声を掛けた。
ドロシーはちらりと叔父の方を見てから、ガルバンについてこちらに向かって歩いて来た。
呆然としているアリッサの横を通り過ぎる際、彼女はこちらをチラリと見上げた。
一瞬だが、ほくそ笑むのが見えた。
(なに? どういうこと?)
その何か企んでいるような笑みを見て、アリッサは部屋を出て行く彼女の背中を振り返って凝視した。
「そこに掛けたまえ」
閉まった扉の方を向いていると、少し苛立った様子で侯爵が催促した。振り向くと、彼は立ち上がり、さっきドロシーが座っていた場所に座ろうとしている。
思った以上に背も高い。そして騎士団員は皆、そうなのだろうか。ジルフリードとよく似た歩き方をする。
武術の訓練を積んだ者特有の、足音がしない歩き方だ。
「いえ、私もすぐお暇させていただきたいと存じますので、このままでお話を伺いします」
「座りなさい。そうでなければ、私はいつまでも話を切り出せず、君はずっとそこに立ったままになるぞ」
アリッサが座らなければ、彼は何も話さないと言う。そうなると、話が一向に終わらない。
「三度目はないぞ」
仮にも貴族の言うことに逆らえば、どんなことをされるかわからない。マージョリーのことも気に掛かるし、ここは黙って従うしかないと、彼女は彼の向かいに腰掛けた。
「ガルバン氏からお聞き及びかと思いますが、私はマージョリー・ベルトラン様の看護をするために雇われております。あまり長く留守にはできません」
「それはわかっている。話が早く終わるかどうかは、君次第だ」
「私次第・・とは?」
不穏な予感しかしない。
アリッサは膝の上に置いた自分の手をぎゅっと握りしめた。
「我が家の事情について、どれくらい知っている?」
そう尋ねられ、どう答えるべきか迷った。
「この街の人たちが知っているのと同じ位は・・先代侯爵夫妻が事故に遭われて亡くなり、ドロシー様が残され、弟君のあなた様が後を継がれたと」
「私のことは?」
「えっと・・騎士団にお勤めだったとか」
「そうだ。騎士団とひと口に言っても色々だが、私は王都勤めで、主に情報収集の任に当たっていた」
「さようでございましたか」
さりげなく相づちを打ったが、内心はひやひやしていた。騎士団の王都での詰め所をブリジッタが訪れたことはない。だからそこで目の前のエルネスト・カスティリーニとすれ違ったりしたこともない。
なのに、彼女の一挙手一投足を見逃さまいとするその視線に、含むものがあるような気がしてならない。
変に動揺してみせたら、たちまち尻尾を掴まれそうな、そんな油断のない視線だった。
「アリッサ・リンドー、実は君のことを少し調べさせてもらった」
「は? どういう意味ですか? 私が何か?」
「ドロシーだが、あの子は突然親を亡くして、かなり精神的に不安定になっている」
自分のことを調べたという彼の言葉に、アリッサは動揺を隠せないでいるのに、彼はいきなりドロシーのことを話題にした。