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52、光

「なにこれ?」

 カミルが魔力を緩めたのだろうか。アリツィアは呼吸できるようになった。激しく咳き込む。

「……っ……ゴホッ」

 ミロスワフが渡してくれた、白地に赤と紫の糸で刺繍したあの護符が、アリツィアの部屋着のポケットの中で光っていた。
 カミルが警戒する様子で呟いた。

「ヴィシュネヴェーツィキの仕業か? ちょっと厄介だな……」

 アリツィアはぐったりしたまま、薄く目を開ける。護符から放たれた光はひときわ大きくなり、部屋全体を包んでいた。明るいけれど眩しくない光。カミルはそれに向かって腕を上げたり指を擦ったりしているが、うまく魔力が発動しないようだった。

「嘘だろ? どうなってんだ」

 アリツィアはぼんやり考えた。そうか、カミルだって、魔力が使えなくなることがあるのか、と。

 ーーそうですわね、魔力が使える人と使えない人がいるのなら、いっそ。

 こんなふうに憎しみ合わなくてはいけないくらいなら。
 いっそ。

「……ていい」
「え?」

 ーー魔力なんてなくていい。

「わっ! なんだ!?」

 光が一層強くなり、カミルを包んだ。
 そのとき。

「……こっちだ」
「どこだ?」

 複数の人の声が遠くから聞こえた。やがて足音も。
 誰かがここへ向かっているのだ。
 チッ、と舌打ちがして、カミルがアリツィアの体を抱き起こした。

「重っ! 人ってこんなに重いの?」

 どうやらどこかへ連れて行くつもりらしい。
 と、その間に。
 どやどやと大人数が大広間に雪崩れ込んできた。

「アリツィア!」
「カミル・シュレイフタ! もう諦めろ!」

 ジェリンスキ公爵からこの場所を突き止めたスワヴォミルが、ミロスワフを伴ってアリツィアを助けにきた。

           ‡

「アリツィアお姉様!」
 
 アリツィアが目を覚ますと、心配そうに自分を覗き込むイヴォナの顔がそこにあった。

「イヴォナ……なの?」
「イヴォナですわ、お姉様」
 
 イヴォナの目は潤んでいた。よく見ればそこはアリツィアの部屋だった。イヴォナは横を向いて叫んだ。

「ドロータ、お父様を呼んできて」
「かしこまりました!」

 スワヴォミルが駆けつけ、アリツィアは久しぶりに家族が揃ったことを噛み締めた。


 助けられたアリツィアは三日間、眠り込んでいたらしい。
 イヴォナは無事に戻ってきており、その間に健やかに回復していた。
 アリツィアもみるみるうちに元気になり、クリヴァフ伯爵家はかつての平穏を取り戻しつつあった。 

          ‡

「お嬢様、ミロスワフ様がお見えになりました」
「サロンに通してちょうだい」

 その後、まだ本調子ではないアリツィアを、ミロスワフは暇を見つけては見舞いに来てくれた。忙しいだろうに、とアリツィアは申し訳なさでいっぱいになるが、本人は意に介さない。

「忙しくないと言えば嘘になるけどね」

 アリツィアの向かい側でティーカップを持ち上げながら、微笑む。

「アリツィアがここにいることを確かめたくなるんだ」
「まあ……」

 照れもせず言われてしまうと、言い返せなくなる。ウーカフが真横で苦虫を潰しまくった顔をしているが、ミロスワフは気にせず、カップをソーサーに置いた。

「でも、もう少ししたらヘンリク先生の手伝いで、しばらく大陸に行かなくては行けないんだ。寂しくなるけど、また手紙を書くよ」
「大変なときですので、ご無理はなさらないでください」
「書きたいんだよ」
「……はい」

 魔力保持協会が発行した札の効果が全くないことに怒りを覚えて、各国の王や貴族たちが抗議の声を上げていた。
 かねてから魔力保持協会のやり方を批判していたヘンリク先生は、率先して腐敗を明らかにし、改革を行おうとしていた。
 ミロスワフはそれを手伝う立場にあった。

「危険ではありませんの?」
「根回しはしてあるからね」

 底の見えない目つきで、ミロスワフが笑い、アリツィアはそれ以上はなにも聞かなかった。俯いて、気になっていることを口にする。

「……カミル様ももしかして大陸におられるのでしょうか」
「どうだろう。魔力が使えない様子だったから遠くにはいけないはずだが」

 スワヴォミルとミロスワフが助けにきたとき、カミルは魔力が使えない状態だったらしい。一度は捕まえられ、牢に閉じ込められたのだが、いつの間にか脱獄していた。

「わたくしのせいでしょうか……」

 あれほどの魔力使いが魔力を使えなくなるとは。
 何をした覚えもないが、アリツィアはやはりどこか責任を感じていた。

「そればかりはわからない。もしかして、本人が心の底で望んでいたのかもしれないよ。誰よりも魔力に振り回されていただろうからね」
「……牢から出れたということは、魔力が戻ったのでは?」
「いや、ヘンリク先生はそれは難しいと言っている。むしろ、協力者がいたんじゃないかな? それか口封じに殺されたか」
「そんな……」

 それでは本当に使い捨ての駒ではないか。ミロスワフはアリツィアを元気付けるように言った。

「そんなことにならないように、ヘンリク先生も気をつけて探している。何しろカミルは多くの出来事の証人になるはずだからね……ところでアリツィア」

 ミロスワフはアリツィアの手に手を重ねた。

「大陸から戻ってきたら、僕たちの結婚式を挙げようよ」
「へ……!?」

 思わず声をあげた。

「どうして驚くのかな」
「だって、わたくしたち……その……」

 ミロスワフの気持ちはありがたいものだが、やはり一度婚約を破棄した間柄である以上、簡単には頷けない。なんといって誤魔化そうかと思っていると、ミロスワフは笑った。

「君、僕から逃げてバニーニ商会に行くつもりだろ?」

 ギクリとしたアリツィアを、やっぱり、と頷く。

「君のお父様とお祖父様に許可はもらってある。婚約破棄した相手ともう一度結婚するのがダメだというなら、アリツィア・バニーニとして僕と結婚しよう」
「はい?」

 アリツィアには飛躍したように思えるこの理屈を、ミロスワフは実行してしまった。

          ‡

 アリツィア・バニーニとミロスワフ・サンミエスクの結婚式は、この国に珍しく庭園で行われた。

「まさかお姉様が商人としてお嫁に行くなんて考えてませんでしたわ」
「わたくしもよ」

 アリツィアは祖父と養子縁組を結び、改めてミロスワフと婚約したのだった。

「商人と貴族の結婚を僕たちも継いだと思えば、悪くないだろ?」

 父と母のことだ。アリツィアは目を見開いてミロスワを見た。

「君のお父上がお母上と結婚したから君がいる。それ以上のことはないよ」
「ミロスワフ様……」
「違うよ、ミレクだよ。今夜からそう呼んでもらうから」

 耳元で囁かれ、アリツィアは真っ赤になる。

「花嫁さんと花婿さん、ちょっとこちらを向いてください」

 絵描きのダヴィドが今日の二人を描くために筆を走らせていた。アギンリーとイヴォナがそれを嬉しそうに眺めている。この二人の結婚の話も順調に進んでおり、アギンリーは家督を弟に譲り、クリヴァフ伯爵家を継ぐ予定だった。
 ムナーリ翁とイザが楽しそうに何か話しているのが見えた。ユジェフとロベルトがドロータとレナーテと話し込んでいた。
 アリツィアは幸せだった。
 だからこそ、余計に思わずにいられない。
 魔力を失った魔力使いが今どうしているかと。

「心配ないよ、奴はきっと大丈夫だ」

 アリツィアの考えを見透かしたように、ミロスワフは微笑んだ。

        ‡
 
 やがてアリツィアは青い目とブルネットの髪の女の子を生んだ。
 駆けつけたミロスワフは涙ぐんでいた。

「ありがとう……アリツィア」

 その小さい手を見つめながらアリツィアは、うっとり微笑む。

 ーーこの子に魔力があってもなくても、関係ない。ただ愛するだけだわ。

 そう胸を張れるくらい、世の中も変化していた。

           ‡

 エミリアと名付けられた子は、すくすくと成長した。

「エミリア、あまり遠くに行っちゃダメよ」
「はい、お母様」

 ある日、エミリアは鞠を追いかけて、庭園の外れに向かった。
 と、そこに寂しそうな男の人が佇んでいた。
 エミリアにはそれが誰かすぐにわかった。だから申し出た。

「お母様ならあちらにいらっしゃいます。わたくしが案内しますわ」
「……僕がお母さんに会いに来たって、どうしてわかったの?」
「聞いていましたもの、お母様のお友達の話。あなた、井戸の魔力使いでしょう?」
「君は?」
「エミリアよ」
「そうか」

 男はそれだけ話すと、すうっと消えた。

   《fin》

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