閑話 ある『勇者』の王都暮らし その一
◇◆◇◆◇◆
ヒュムス国王都にて。
「『剣聖』？」
私は髪を梳いてくれているマリーちゃんに聞き直す。聞き慣れない言葉だけど何かの役職だろうか？
「そう。マリーもお母さんから聞いたんだけど、ヒト種の中で一番強い剣士って言われてるんだって。あっ！？ ユイお姉ちゃんもう少し前を向いててね」
「う、うん。ごめんね。そう……なんだ。どんな人なんだろうね」
私は大人しくまた姿勢を整える。なんだか着せ替え人形にでもなった気分だ。
数日前。マリーちゃんと再会した私は、彼女に抱きついたままわんわんと泣いてしまった。当然それは周りの人達からすれば驚きで、マリーちゃんにも注目が集まってしまう。
このままではいけないと思い、どうしたものかとイザスタさんに訊ねると、
「う～ん。とりあえずここじゃ人目につくから、連れてっちゃいましょうか！」
と笑いながら今から考えると完全に誘拐じゃないかと思う発言をした。
だけど結果として、その言葉通りマリーちゃんを部屋に連れ帰ってしまったのだ。この時点で完全にアウトな気がする。メイドさん達の視線が気のせいか痛いもの。
その後マリーちゃんから話を聞くと、あの王都襲撃の際に家が半壊。おまけに父親が怪我をし、今では家族三人仮設テント暮らしだという。
光属性が少し使える母親が、父親の看病と共に他の怪我人の治癒にも全力で当たっていく。そうして疲れきった身体で尚自分を心配させまいとする母の笑顔を見て、マリーちゃんも何か出来る事はないか探していたという。私達と再会したのはそんな時だった。
可哀想と思うのは傲慢かもしれない。家を壊されたのも家族が怪我をしたのもマリーちゃんだけじゃない。それでも、私はこの子の為に何か出来る事はないかと考えてしまう。
「そうねぇ。……ねぇマリーちゃん？ もし良かったらなんだけど、ユイちゃんのお手伝いをしてくれないかしら？ 身の回りのお世話とか」
「イザスタさんっ！？ 何を言い出すんですか一体っ！？」
いきなりのとんでもない発言に驚く私に、イザスタさんはそっと顔を寄せて囁く。
「まあまあ落ち着いて。ちゃんとしたお仕事となればこの子にもお給料が入る。そうすれば家族への仕送りも出来るし、お金を貯めて家を建て直す事も出来るかもしれないわ。それに」
イザスタさんはそう言ってチラリとこちらを見る。その仕草で私は気付いてしまった。イザスタさんは
私がマリーちゃんの前で泣き出してしまった時、感情が不安定になっていたのにイザスタさんは気づいていたのだろう。だから引き離さずに部屋に連れてくる事を提案したのだ。
「どうかしら？ もちろんお手伝いしてもらうんだからお礼もするわ。それで少しはお母さんの手助けが出来るかもしれないし、お父さんの怪我を治すのにも役立つかもしれないわよん」
正直言ってマリーちゃんが居てくれた方が良いと思う私がいる。『勇者』ではなく一人の人間、月村優衣として呼んでくれる人が近くに居れば、それだけで少し救われた気分になれると思う。……だけど、
「マリーちゃん。イザスタさんはこう言っているけど、無理に手伝ってくれなくても良いの。お仕事だって一度始めたら家族と会える時間が減ってしまうかもしれない。色々と辛い事もあるかも。だから、手伝ってくれなくても……いいの」
私のわがままにマリーちゃんをつきあわせられない。それに、急に家族と引き離される辛さは知っているつもりだから。
なんとか笑顔を作りながら語ると、マリーちゃんは少し考えている様子だった。そして今度は少し怒ったように私の顔をじっと見つめる。
「……じゃあ、じゃあなんでユイお姉ちゃんはそんなに辛そうな顔をしているの？ やっぱりどこか痛い所でもあるの？」
「えっ！？ そ、そうかな？」
「うん。痛くて辛くて今にも泣きだしそうな顔。そんな時はさっきみたいに泣いて良いんだよ。お母さんが言ってたの。我慢ばっかりしていると、周りのヒトは気付けないよって。それじゃあ助ける事も出来ないって。……なのにお父さんもお母さんも最近そんな顔ばっかり」
おそらくマリーちゃんの両親は、子供に心配を掛けまいとしていたのだろう。だけどマリーちゃんからすれば、それこそが逆に心配を煽っていたんだ。
「そうなのよ。ユイちゃんも自分が辛くても我慢しちゃう所があるのよねん。なのに中々人前で泣く事が出来なくて」
「だから、だからマリーはお手伝いがしたいの。お父さんも、お母さんも、それにユイお姉ちゃんも、痛いのを我慢しないで済むように」
「……本当に、良いの？」
「うん。お手伝いする。だから、辛い時は泣いて良いんだよ」
そう言うマリーちゃんの姿を見て、またもや私の目に涙が溢れてくる。……本当に私は泣き虫になってしまったらしい。
そうしてマリーちゃんは私のお手伝いとしてお城に入れるようになった。しかし当然色々問題がある。
『勇者』の身の回りのお世話をする人は、ちゃんとした審査を受けてなっている。なのに急にお手伝いという形で入れたから批判を受けたんだ。
かと言って国の方でもどうやら一応『勇者』である私の要望に多少は応えたいという考えがあったみたいで、条件付きで認められるようになった。
簡単に言うと、きちんと身元確認をする事。メイド見習いとしての立場で研修を受ける事。年齢的な問題もあるので家族の許可を取る事等だ。
「ざ～っと国の方でも調べたみたいだけど、マリーちゃんの身元はバッチリ保証されたみたいよん。どこかの国のスパイって線は一切なし。家が壊されたのもお父さんが怪我したのもホントみたいね」
「そうですか。良かった！ ……って、良かったって言うのは不謹慎ですよね。怪我なんてない方が良いんだし」
「フフッ。まああんまり気にしすぎも良くないでしょうから、普通に話しても良いと思うけどねん」
調査結果にホッと胸をなでおろし、しかし言い方が悪かったと慌てて口を押える私に彼女は軽く笑いかけてくれる。
「研修を受けながらだけど、半分はユイちゃん専任のメイドという扱いになるみたい。ゆくゆくはちゃんとしたメイドとしてのお仕事もしてもらう予定だってサラは言ってたわ」
「イザスタさんはサラさんとも仲が良いんですね」
「まあね！ お仕事上他の付き人さんとも情報交換は密にしないとねん」
サラさんは明の付き人だけど、時折国側の内情を少しだけ話してくれる。勿論話しても問題ない範囲でだろうけど、こういう時にはとても助かっている。
それと結構苦労人だ。明がよく単独行動をするので追いかけるのが大変だとこの前愚痴っていた。お疲れ様です。
「それと家族の許可なんだけど、意外にあっさり許可してくれたわ。寧ろ感謝されたぐらいよ」
どうやらマリーちゃんが『勇者』付きのメイドになったのは、ご両親からすれば誇らしい事らしい。
元々この国が『勇者』に対してとても好意的なのに加え、見習いとは言え城仕えという事もある。日本でいうなら良い就職先に娘が就いたという事かもしれない。
「ただマリーちゃんはまだ小さいし、くれぐれも娘をよろしくって念を押されたわ。愛されてるわねぇ」
「はい。マリーちゃんはこれからも家族に会えるんですよね？」
「そこは大丈夫よん。基本は住み込みだけど時々は家族の所に帰れるわ。お給金は本人の希望で、大半が父親の治療費や家の修繕費に充てられるそうよ」
良い子だ。とっても健気だ。ちょっぴりほろりとした所で、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「は～い。ちょっと待ってね～。……あら噂をすれば！ ユイちゃん！ マリーちゃんが来たわよん！」
「ユイお姉ちゃん！」
イザスタさんが扉を開けると、マリーちゃんが元気よく飛び込んでくる。見習い用のメイド服に身を包んでいてとても愛らしい。
「マリーちゃん！ もう今日の研修は良いの？」
「うん。皆優しく教えてくれたよ！」
「そっか。良かったね」
花が咲いたようなマリーちゃんの笑顔を見て、私もつられて笑顔になる。それを見たイザスタさんもくすりと笑みを浮かべた。
イザスタさん。マリーちゃん。自分をただの月村優衣として見てくれる人。半ば私のわがままにつきあわせるような形になってしまったけれど、出来ればこの人達にはこれからも笑っていてほしい。そう思うんだ。
◇◆◇◆◇◆
ここで話は冒頭に戻る。
日課となっている朝のマリーちゃんによる髪の手入れ（発案はイザスタさん）の中、ふと先輩メイドさんから聞いた話を教えてくれたのだ。
その中には、『剣聖』と呼ばれる人がもうすぐこの王都にやってくるというものがあった。
「なんでも、これまでは北にある……えっと、交易都市群？ って所に行ってたんだって。そこで悪い魔族と仲良くして悪い事をしようとするヒトが居ないかどうか調べてたんだけど、急に戻ってくることになったらしいよ」
交易都市群。以前授業でも話題に上がった事がある。幾つもの都市が集まり国に近い規模まで膨れ上がった所らしい。
そのスタンスが独特で、『ヒト種、魔族、獣人等問わず、どんな種族であっても拒まない』といういわゆる中立国だ。勿論都市によって程度はあるし、種族は問わなくても犯罪者は拒む場合もあるらしいけど。
位置的にヒュムス国と魔族の国デムニス国との中間にあり、ヒト種だけでなく獣人や魔族とも地理的に近い都市では堂々と交易を行っているという。仲の悪いデムニス国と直接の戦争になっていないのはこの国が緩衝材として在るからだとも言われている。
建前上はヒュムス国に従っているし、都市長の何人かはヒュムス国で選ばれた人が就いてはいるけれど、必ずしも言う事を聞く訳でもない。敵対はしていないけど油断出来ず、交易はこちらにも利益があるので止める訳にもいかない。痛し痒しの相手だというのが授業での評価だった。
「う～ん。つまり査察って事？ 『剣聖』というと凄く強い人みたいだけどなんだかイメージと違うね」
そんなに強い人なら、ドラゴンとかそういう人の手に余る相手と戦うものではないだろうか？ それこそ『勇者』なんて皆にも言われた私に言える事じゃないけど。
「これまでも時折行ってたらしいよ。今回は……この前の事があって急に戻る事になったんだって」
話している途中、一瞬だけマリーちゃんの言葉が詰まった。あの襲撃を思い出させてしまったかもしれない。
「……大丈夫だよユイお姉ちゃん。お父さんの怪我もだいぶ良くなってきたし、お金も少しずつ貯まってきているってお母さんも喜んでくれたの。だから気にしないで」
逆に気遣われてしまった。こんな良い子に気を遣わせるなんてちょっと自己嫌悪だ。だけど落ち込んでいるとまた気を遣わせてしまいそうなので、無理やりにでも気持ちを奮い立たせる。
そのまましばらく部屋には髪を梳く音のみが響き渡る。ちなみに今現在この部屋には私とマリーちゃんだけ。本来なら部屋付きのメイドさんが常に一人か二人いるのだけれど、朝のこの時間だけは無理言って二人にしてもらっている。
「……よいしょっと。出来たよユイお姉ちゃん！」
「いつもありがとうね。……辛くない？ もし嫌だったらいつでもやめて良いからね」
「ちっとも辛くないよ。マリーいつもお母さんに髪を梳いてもらってたからちょっと憧れてたの！」
そこに扉をノックする音が響き渡る。タイミングピッタリ。私が扉を開けようとすると、マリーちゃんがいち早く反応して扉に小走りで駆け寄る。
「はぁい！ おはよう！ 今日も良い天気よん」
「あっ！ イザスタお姉さん。おはよう！」
「おはようございますイザスタさん。今日もタイミングピッタリですね」
イザスタさんはここ最近決まってマリーちゃんが髪を手入れし終わる頃にやってくる。一度どうして分かるのかと訊ねたけれど、「フフッ。ナ～イショ！」とはぐらかされてしまった。
「フフッ。今日は珍しく『勇者』全員が朝食に揃っているみたいよ」
「本当ですか？ それは確かに珍しいですね」
朝食は『勇者』用に用意された貴賓室に集まって摂るのだけど、全員揃うのは意外に少ない。私と黒山さんはよく顔を合わせるのだけど、明は少し早めに摂る事が多いので度々入れ違いになる。
逆に高城さんは少し遅い。朝食にしてはやや遅い時間にやってくる。噂によると、よく自分の部屋から気怠そうな感じで女性と一緒に出てくるらしい。これは……つまりはそういうことなのだろうか？
深く考えると顔が赤くなってくるので、軽く頭を振ってこれ以上考えないようにする。
「まあせっかくだし、久しぶりに皆で集まるっていうのも良いんじゃな～い？」
「そう……ですね。じゃあ早速行きましょうか」
「マリーも！」
「いけません」
マリーちゃんも同行しようとした時、部屋の外に控えていた少し年配のメイドさんにがっちりと腕を掴まれる。マリーちゃんの教育係であるローラさんだ。もう二十年もこの城で働いている古株の人で、これまで何人ものメイドさんを育ててきたという。
「マリー。研修の時間ですよ。あなたはまだ半人前なのですから、一刻も早く一人前になる為しっかり勉強をしませんとね」
「え～っ！」
「え～っじゃありません！ その言葉遣いもビシビシ直していきますからね。それでは『勇者』様。イザスタ様。マリーは研修がございますので一度退席させていただきます。代わりのメイドが同行いたしますのでお許しくださいませ。行きますよマリー」
「それじゃあユイお姉ちゃん。イザスタお姉さん。またね！」
ローラさんが優雅に一礼して歩き出し、一緒に半分ローラさんに引きずられるような感じだけど、マリーちゃんもこちらに手を振りながら去っていった。代わりにローラさんと同様に控えていたメイドさんが傍にやってくる。
「今日もマリーちゃん捕まっちゃったわね。お勉強頑張ってほしいわよねん。それじゃあユイちゃん。気を取り直してお食事に行くとしましょうか！」
「そ、そうですね」
ほとんど毎朝繰り広げられるこの光景に少しほっこりしていたとはなるべく顔に出さず、私はイザスタさんやメイドさん達と一緒に朝食に向かうのだった。
イザスタさんが口元に手を当てて笑っていたのでバレているかもしれないけどね。
