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第三話

今日のメニューはお味噌汁にサワラの西京焼き、ほうれん草のお浸しに玄米のごはん。
全てをダイニングテーブルに並べたところで、ビシっとしたスーツ姿の光輝さんが現れる。
いつみても家にいる時とは別人のようだ。


「いただきます」
二人で食事を始めると、光輝さんが食べていた手を止めた。

「結衣、一つ仕事をおねがいしてもいい?」
少し改まった光輝さんに、私も食べる手を止めた。

「もちろんですけど、どうしたんですか?」
キョトンとして尋ねた私に、光輝さんは静かに息を吐いた。

「結衣の作る料理はおいしいよ」
「はい?」
急になんだろう。ニコリと笑って言った意味不明のセリフに私は頭の中に?が浮かぶ。

「今日のお昼にお弁当を作って会社まで届けてくれたりする?」
その意外なお願いに、私はそのまま光輝さんを見つめた。
「もちろんいいですが、どうして?」

「そろそろ、きちんと会社で婚約者がいることを知らせたいと思って」
周りの女性のアプローチや、いろいろなしがらみがあるといっていた光輝さんの言葉を思い出す。

「そこからきっと親父やこないだの取引先の耳にも入ると思う。親父はきっと本当に結衣が存在するのかどうか疑っていると思う」

確かにバイトであの場にいたことなど、社長であるお父様はわかっているだろうし、つきあっているのならあんなところにバイトさせているわけがないと思うのも当然だろう。

「結衣が弁当を持ってきてくれるなら、社内できっと噂になると思うから」
そういうことなら、きちんと仕事をしなければいけない。


「わかりました。すぐに準備しますね」
にこりと笑った私に、光輝さんはホッとした表情をする。

「結衣、ごめんね、ありがとう」
ふわりと笑う光輝さんに、私も自然に笑みが零れる。
「こちらこそ、こんなに穏やかな時間を過ごさせてもらってるんです。皆さんに疑われないようにがんばりますね!」
ギュッとこぶしを握って気合を入れた私をみて、クスクスと光輝さんは笑い声をあげた。

こうして光輝さんが笑ってくれると、私も本当にうれしい。
お互い顔を見合わせると、どちらともなく笑いあった。

光輝さんが会社に行った後、私は慌ただしくスーパーに行き、お弁当を作る準備を始めた。
会社はすぐ隣のオフィス棟のため、近いから時間は十分だと思う。


色々悩んだが、「膳」で出している様なものはさすがに無理なので、筑前煮やいんげんの胡麻和え、朝の残りになってしまうが西京焼きなどオーソドックスな物。そして主食のおにぎりはお赤飯や紀州梅、鮭など定番の物にした。


朝炊いたご飯でおにぎりを先に作り、赤飯を炊飯器にセットすると、筑前煮を煮つつだし巻き卵を巻く。
これも、お母さん直伝でお弁当のときのコツは少しの片栗粉を入れること。
冷めてもしっとりとしていて、崩れずにきれいに仕上がるのだ。出来上がりに満足しつつ、シンプルな重箱にそれを詰めていく。

もしかしたら西村室長など、だれか一緒に食べるかもしれない。
余ればそのまま自分で夕食に食べてもいい。そう思いながらできあがったものを詰めていき、後は少し奮発をした和牛を最後に焼けば出来上がりだ。

自分のお弁当ならここは唐揚げのところだが、今日は初めてのお弁当だしと奮発してしまった。

時計を確認して、光輝さんに指定された時間を逆算しつつ、今度は自分の支度にとりかかる。

会社の人に婚約者として見られる、そのことに気づき私はだんだんと緊張してきた。
光輝さんが何着か買ってくれたシンプルだが上質なワンピースを選び、髪は上品に見えるようにハーフアップにした。

少しはましに見えるだろうか?
いつもより念入りに化粧をした自分が、自分ではない気がして少し不安になるがなんとか自分を奮い立たせて鏡に向かって笑顔を向けた。

光輝さんの役に立ちたい。そう思うと私は綺麗に風呂敷にお弁当を包み紙袋に入れると家を出た。

外はとても良い天気で、青空がきれいに広がっていた。
以前光輝さんと歩いた公園になっている綺麗な歩道を歩き、オフィス棟へと向かう。

今日も青空が広がり、風は冷たいがとてもいい天気だ。
紅葉をしている木々の葉がひらひらと舞うのがとても美しい。
そんな感慨に浸っていた私だったが、不意に今からのミッションを思い出し気合を入れ笑顔を張り付けた。


クールで大人な彼
オフィス棟に入り、TAコーポレーション本社が入っている階へと向かう。
初めて来た日は、時間も遅かったことから受付には人がいなかったが、今日は明るい日差しが降り注ぐ広いエントランスには、綺麗な受付の女性が2名座っていた。

「あの、高遠副社長とお約束をしているのですが」
その言葉に、綺麗な顔の女性は一瞬だけ表情をこわばらせた。

「副社長とでございますか?」
すぐに笑顔を向けたが、女だからわかるといえばいいのか、いかにも値踏みをするような視線を向けられている気がする。

「はい」
婚約者とでも名乗るべきなのか。そう思うもそんな勇気もでなくて私は受付の女性の返事を待つ。
パソコンを操作して、予定を確認していた手がとまり、視線が私を捉えた。

「今日の予定にはありませんが……」
その言葉を聞いていると、不意にざわざわとなにかざわめきが奥から聞こえてきて私はその方を見た。

「結衣」

静かだが、いつもとは違うピリッとした空気を纏った自分の名前に、なぜか私も身がすくむような気持になる。

「副社長!」
慌てて受付の女性が慌てて頭を下げる。そんな様子を気にすることもなく光輝さんは私の方へと歩いてきた。

すぐに後ろから男性が一人慌てたように速足でこちらに来るのが解る。


「副社長! こんなところへどうされたのですか」
緊張した面持ちのその40代後半の男性は、小さく頭を下げた。
その言葉からも、いつもはあまりこの場所にこないのだろう。

「気にするな。私用だ」
初めて会った時と同じ冷たい視線をその男性に向けると、彼はビクッとして「わかりました」と頭を下げた。
やはり会社にいるときの光輝さんは別人のようだ。

「こちらの女性が副社長とお約束とのことですが、予定にはないのでお帰り頂きますか?」
その男性とのやりとりが終わると、受付の女性がさっきとは違う、一オクターブ高いのではないかという声で光輝さんに話しかける。

予定もないのに、こんなところに来たとでもいいたそうな物言いに、さっき私を呼んだ声は聞こえなかったのかと少し驚く。
それに、この冷たい光輝さんにも臆することなく声を掛けられるその女性に尊敬の念すら覚えた。

こんなに会社では冷たい光輝さんだが、やはり会社では人気があるのだろう。
お見合いを持ってこられたり、いろいろな人がアプローチすると言っていた光輝さんの言葉は、間違いがないのが解る。

チラチラといつの間にか奥にいた社員までこちらを伺っており、まるで見世物にでもなったようだ。
それほど光輝さんのプライベートに興味津々というところか。
しかし、これをするために私はよばれたのだからと、心の中で小さくため息を付くも、笑顔を張り付けていた。

そんな視線などまるで気にしていないような光輝さんは、表情を変えることなく冷たい瞳で周りを見た後私を見た。

「わざわざすまなかった」
そう言うと、クールな表情のまま私の腰に手を回す。その行動に私は驚いて動きが止まってしまう。

「演技できるんだろ?」
家では絶対言ったことのない、イジワルな口調で私の耳元で光輝さんは囁く。

「俺の婚約者だ。さっきは何か言ったか?」
かなり低いドスのきいた声で光輝さんは受付の女性に冷たい視線を送る。


「こ……婚約者様! 申し訳ございませんでした」
受付の女性の顔が青ざめたように見える。

私とこうすることで仲良しアピールをして、社長も騙すということだろう。
罪悪感からちくりと胸が痛むが、私はなんとか平静を装い笑顔を張り付ける。

「お昼を届けに参りました」
紙袋を手にニコリと笑うと、家では見る笑顔とは違う、綺麗な微笑みを光輝さんは浮かべた。
その初めてみるゾクリとしそうな笑顔に、私は危うく紙袋を落としそうになってしまう。
それは周りにいた社員の人も同じようで、みんな一斉に光輝さんのその笑顔を見ていた。

「ありがとう。結衣も一緒に食べよう」
そう言うと、光輝さんは私の腰に手を回したまま、もう一方の手で紙袋を持つと私を役員エレベーターへと続く廊下へと歩き出した。


私の胸は煩いぐらいにバクバクと音を立てる。それほど光輝さんのあの冷笑は迫力があった。
今日の朝の事、そして今の怖いぐらいの大人の光輝さんをみて、私が今まで弟のように接してきたのは間違えだったのだろうか?

本当の光輝さんはかわいいだけではない、当たり前だがこの巨大な組織を束ねる人だ。
それを目の前にして初めて感じてしまった。腰にまわされた手がやたら熱くて笑顔を張り付けるのがやっとだった。

急に意識をしだしてしまった自分を何とか抑え込む。

役員エレベーターを上がり、前回来た時と同じ場所へとでるも、こないだとは全く違う。
今は横に光輝さんがいて、受付の女性にうやうやしく頭を下げられる。

恐縮しそうな気持を抑えながら、静かに私も頭を下げた。

副社長室に入ると、すぐにデスクに座っていた西村室長が顔を上げた。
あの日以来会っていない上に、この人には良く思われていない。

静かに頭を下げると、西村室長にもお辞儀をされ、何も言われることはなくてホッと胸をなで下ろした。

「副社長、どういうつもりですか?」
「何がだ」
私の訪問は予想外だったようで、西村室長は表情を歪めた。
「今日は東郷社長とお約束があるはずですが」
え? 東郷社長と約束? 先日会ったあの人を思い出す。

「それがなんだ。まだ時間はあるだろ。それに今は昼休憩だ」
その言葉に、西村室長は小さくため息を付く。

「あ……あの」
いつもとは全く違う光輝さんに、私はなぜか言葉がうまくでない。

「なんだ?」
決して威圧的な物言いではないものの、いつもとは全く違う光輝さんに私はそれ以上何も言えなかった。
約束の時間通りに来たつもりだったが、光輝さんは迎えに来てくれたし遅くなってしまったのだろうか?

不安になって確認したかったがそんな雰囲気ではなく、私は言葉を止めた。

しかしそのまま三人で副社長室に入ると、光輝さんが持ってきた紙袋を応接セットの立派なテーブルに置いた。

「結衣、開けていいか?」
静かに言われた言葉に、ようやく自分の役割を思い出し紙袋に手を伸ばした。
「もちろんです。お口に合うかわかりませんが、たくさん作って参りました。西村室長もよろしければ……」
そこまで言ったところで、内線が鳴る。
西村室長が出ようとしたところに、遮るように光輝さんがその電話に出た。

「通せ」
「副社長!」
光輝さんのその言葉を聞いて、西村室長が驚いたような慌てたように声を上げる。

そんなやり取りをしているのを見ながら、私はどうしようかと二人を見ていると、光輝さんが私を見る。

「結衣、用意して」
「はい」
返事をして、手が震えそうになるのを悟られないように重箱を広げる。

「お茶を入れるように言ってきます」
小さくため息を付いた後、西村室長はどこかに電話を入れるとすぐに戻ってきた。


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