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第二話

二人でフロアガイドを見ながらエスカレーターを上がる。
『膳』があるのは最上階だが、その下の階はもちろん高級店が多く並ぶが、ランチは比較的お手頃に楽しめることもあり、土曜のレストランフロアは混みあっていた。

洋食はもちろん、イタリアン、フレンチなど名の知れた店に列ができている。

「この時間はちょっと混んでるか……」
そんなことを言いながら、二人で店を見て回っていると、前からスーツの集団が歩いてくるのがわかった。
この雰囲気には似合わず、威圧的なその集団に私は一歩後ずさりする。

「高遠?」
その中心にいた一人の男性。年は光輝さんと変わらないだろうか?
会社にいる時の光輝さんとは真逆の印象を与える、派手な印象を与える人だ。
仕立ての良い高級スーツに身を包み、切れ長の瞳が驚いたように見開かれている。

その瞬間、光輝さんの纏う雰囲気が変わったのが解る。
初めて会った時のように、空気が数度低くなった気さえする。

「お前ともあろう人間が、こんなところでなにしてるんだ?」
面白そうな雰囲気を含みながら言うその人は、躊躇することなく私に不躾な視線を送る。

「お前には関係ない」
急激に引く響いた声に、私もビクッと肩が揺れた。

「まあ、いいや。可愛らしいお嬢さんだな」
本当にそんなことは思っていないだろう、ククッっと肩を揺らすとその男の人は一歩私に近づく。

それと同時に、光輝さんが私の手を引き自分の後ろへと隠すようにした。

「へえ」
そのことが面白かったのか、その男の人がおもしろいとでもいうように声を上げた。
「社長、お時間が」
後ろにいた数人のスーツの人たちの一人が、静かに声を掛ける。

「高遠、またな」
ヒラヒラと手を振りながら、その人は笑いながら私の横を歩いて行ってしまった。

急な出来事に私は呆然と立ちすくんでいると、私の手を取ったままだった光輝さんはそのまま歩き出した。

「嫌な思いさせてごめん」
光輝さんが謝るようなことはない。さっきの話からも本来光輝さんともあろう人が、こんな場所にいることの方が少ないのだろう。

私がブラブラしたいといったから、こうして付き合ってくれていることにようやく気付く。

「こちらこそごめんなさい」
俯きながら言った私に、ハッとしたように光輝さんが振り返る。

「なんで結衣があやまるの?」
「だって、光輝さんをこんな所に来させて……」
「違う!」
話の途中だった私の言葉を遮るように、光喜さんは言うと真っすぐに私に向き合う。

「俺が結衣とこうして普通に出かけたかったんだよ」
その言葉を信じていいのだろうか? きっと私の瞳は不安に揺れていると思う。

お互いの本音を探る様に視線が交わるも、もちろんわかるわけがない。
沈黙を破ったのは光輝さんで、目の前にあった比較的列の少ないイタリアンの店へと並ぶ。

「とりあえず食べよ?」
優しく言われた言葉に、私は静かに頷いた。

数分並び広々とした店内へ入ると、私は重い気持ちのままメニューを眺めた。
とてもおいしそうなものばかりだが、なんとなく気持ちが沈んでしまい光輝さんと同じものを注文する。


そんな私に気づいているのだろう、光輝さんは小さく息を吐くと諭すように言葉を発した。

「結衣、気にしないで。あいつは、この間の仕事を競合している会社の奴だからああいう言い方をしたんだと思う」

「え?」
先ほどの男性の事を説明してもらえるとは思っておらず、私は顔を上げた。

「東郷瑠偉、結衣も聞いたことがあるんじゃないかな。東郷グループって」
「もちろん聞いたことあります。でもどうして東郷が?」
東郷グループと言えば、TAコーポレーションに匹敵するほどの大会社だ。
しかし電化製品を中心にしていく企業のはずで、どうして同じ仕事をすることになるのだろう。


「さっきの奴は、そこの息子で新たな事業を展開しようとしててね。今の電化製品だけだと必ず経営が行き詰まる。それを見越してうちと同じ分野に進出してきている」
そういうことなら納得だ。たしかにここ数年大手でも電子機器メーカは経営が芳しくない。

それをテコ入れするべく二代目。光輝さんとはまた違ったタイプの人だったがきっとできる人なのだろう。


「結衣」
ジッとそんな事を考えていると、不意に光輝さんが私の名前を呼ぶ。
「はい?」

返事をするも、光輝さんはそれ以上何も言うことなく、ただ私を見ていた。

「光輝さん……?」
その意図が解らず私は呟くように声をだす。そこへその空気を壊すように前菜が運ばれてきた。
ハッとしてお互い視線を外して、目の前に置かれた料理の説明を聞く。
その言葉はあまり頭に入ってこず、先ほどの光輝さんの瞳が頭から離れなかった。

その後、映画を見て夕飯をテイクアウトするという、本当に普通の新婚のような一日を過ごし、家へとかえってきた。

いつもはダイニングテーブルで食べるが、いつもより夕飯の時間が早いこともあり、私たちはリビングのテーブルに食事を広げる。

慣れた手つきで光輝さんがシャンパンを開けてくれるのが、とても様になっていてでジッと見つめてしまった。

買ってきた中華はどれも美味しくて、ついついお酒も進んでしまう。

だんだんと、仕事だということがアルコールもまわり私の中から抜けていく。
弟といるような、友人といるような、家族といるような、なんとも言えない安心感が私を包み込む。

大きなテレビの画面に映るみたかった映画を前に私はいつの間にか光輝さんの肩にもたれ掛かりながら、それを眺めていた。

穏やかな時間の中、最後は「おやすみ」その言葉を聞いて眠りに落ちた。

次の日起きると、その夢はとても幸せなものだった気がした。


いつの間にか、一緒の生活に慣れ、とくに婚約者らしいこともしないまま私は日々落ち着いて暮らしている。

近いうちにあると聞いていたパーティーも、まだいつか聞いていない。
こんな仕事でいいのだろうか? そう思うも、『ずっと忙しくしてきたんだから、好きな事をしたらいいよ。そのうちきちんと仕事はお願いするから」そう言ってくれた光輝さんに甘え、家事が終わると、語学の勉強を再開したりもしている。

今日もそっと朝食の準備をある程度したところで、光輝さんの部屋の前で足を止める。
以前も寝ぼけて素をだしてしまった光輝さんだが、本当に朝が弱いようだ。
起きてこない日は、こうして起こすのが勇逸頼まれたことかもしれない。

そっと光輝さんの寝室へと入ると、ブラインドの開閉ボタンを押す。
朝の眩しい日差しが少しずつ部屋へと差し込むと、真っ白なシーツに包まった光輝さんが映し出される。
ぐっすりと眠っている光輝さんの寝顔を少しの時間眺めてしまっていることは内緒だ。

一緒にいだしてから、色々な光輝さんを見てきた。会社で厳しく自分を演じている光輝さん、本当は甘えん坊で可愛らしい光輝さん。

光輝さんを知れば知るほどこの居心地の良さに戸惑いを覚える。

期間限定の関係なのに、私は元の生活に戻れるのだろうか。

そんな風に思ってしまった事。あくまで仕事だということを忘れそうになっている自分にため息が漏れる。

そんなことを考えつつジッと光輝さんの寝顔を見つめていると、急にパッと瞳が開いた。

「そんなに見つめられたら穴が開くよ」
寝起きの少し掠れた声が、やけに甘く聞こえて私はビクッとした。

「光輝さん! 起きてたんですか!」
「今起きた。視線を感じて」
見つめていたことがバレてしまって、いたたまれなくなって私はクルリと踵を返すと逃げるように足を踏み出した。

「ダーメ」
更に甘く聞こえた声と共に、私は後ろから腕をひかれポスっと光輝さんの腕の中へと納まる。

「光輝さん!!」
なに? 初めてだろう。こんな風に触れられたことのなかった私は思わず叫んだ。
どうしていいかわからず、慌てふためく私を他所に光輝さんは楽し気に笑う。

「慣れて。婚約者殿」
ふざけたように言うと、更にギュッと後ろから私を抱きしめる。
また寝ぼけているのだろうか? 普段はまったくというほどそんな雰囲気になったことがなかった私は、初めて抱きしめられた腕の中が、思った以上にがっしりとしていて力が強いことに気づく。

急に男の人だということを実感してしまう。
今まで横に座って肩が触れ合ったりしたことは何度もある。しかし今はまったく状況が違う。
ドキドキと胸の音がうるさくて、私はどうしていいかわからなくなり声を上げた。

「ストップ! ストップです! 光輝さん寝ぼけてるの?」

いつもなら『ああ、ごめん』と手を離してくれるはずの光輝さんだが今日は違った。

じたばたする私の手をそっと取ると、光輝さんは私の瞳をジッと見つめる。

「結衣、これも仕事の一環だよ。疑われたら元もこうもないだろ? ダメ?」
更に甘えたような、それでいて妖艶さも見える光輝さんに、私はもはやキャパオーバーだ。
そんな私に追い打ちを掛けるように、光輝さんは私の頬に触れる。

「だって、俺、こうして結衣にふれると元気になれるんだよ?」

私の顔はきっと真っ赤だろう。

急にどうしたの? え? 頭の中は?だらけだ。

「ねえ? ちゃんと婚約者を結衣はできる?」
確かにこんな調子で本当に婚約者などできるのだろうか? そうは思うも、とりあえず今の状況が限界だ。


「ちゃんと、みんなの前では演じます!」
「今こんなに慌てているのに?」
そう言うと、光輝さんは私の顔を覗き込み、顎を掬い上げさらに甘えるような表情を見せる。

「できます! できますから!」
唇が触れそうな距離まで光輝さんが近づいてきて、私は逃げるように光輝さんの腕から逃げ出した。

「早く起きてくださいね、今日の朝食は光輝さんの好きな西京焼きですよ」


吸い込まれそうなほどキレイな光輝さんの瞳がジッと私を見た後、フワリと笑顔になる。
「わかったよ。すぐ行くから」
柔らかく言った後、光輝さんは目の前でスエットを脱ぐとベッドから降りてクローゼットへと向かう。

こういう所も天然だ。私がいることなど気にすることもなく着替えを始める。

私は慌てて光輝さんの部屋から出て、キッチンへとパタパタと音を立てて向かう。
急激に意識してしまった自分を、なんとか冷静になろうと努力するもバクバクと心臓の音がうるさい。

大きなため息を付きつつ、おいしそうに湯気を立てる豆腐とわかめのお味噌汁をお玉でグルグルとかき混ぜた。

「あーあ、豆腐崩れちゃった……」
動揺を抑えたくて、無意識に力が入っていたのだろう。崩れた豆腐に、もう一度大きく息を付いた。

しおり