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第四話

光輝さんは静かにソファーへと座ると、そんな私を見ていた。
「光輝さん、何を召し上がりますか?」

持ってきた紙皿と割りばしで取り分けるために、確認をするといくつかの答えが返ってきて、それをきれいに盛り付ける。
そこへ副社長ドアをノックする音が聞こえ、「入ります」と女性の声がした。

「失礼するよ」
以前会った時のような、少し軽い感じの声が聞こえると同時に、東郷社長が姿を現した。

しかし、入った瞬間驚いたような表情を浮かべた。
それは案内をしてきた女性も同じようで、目を丸くしている。

社長を案内しておいて、まるでお花見のように重箱を広げていてはそれはびっくりするだろう。
光輝さんが何を考えているかわからず、私はオロオロしてしまう。

「東郷社長、申し訳ない。今まだ昼食中でね。よければ少しお待ちいただけるか」
許可を取っているようで、Noは受け付ける気は全くないようで、光輝さんは冷たく言うと私の盛り付けた皿を手にした。

「へえ、うまそう。えっとこないだも会ったね」
軽薄そうに見えるが、探るような視線に私はグッと手に力を握りしめた後、立ち上がると静かに頭を下げる。

「住吉結衣と申します。よろしくお願い致します」

「結衣ちゃん……ね」
そう言いながら、東郷社長は私たちの目の前のソファーへと腰を下ろした。
「軽々しく人の婚約者を呼ぶな」
ニコリと笑って私に微笑んだ東郷社長に、光輝さんは鋭い視線で睨みつける。
どういうつもりだろう。光輝さんの意図はまったくわからないが、私は目の前に座った東郷社長にも声を掛ける。

「東郷社長も、よろしければお召し上がりに……」
そう言いながら、割りばしを手にしたところで、光輝さんは私の手を引き寄せた。

「他の男にそんなことをするな。お前は俺だけ見てればいい」
そのゾクリとするような、初めて聞く甘美な言葉にあやうく箸を落としそうになる。
そのまま、光輝さんはあろうことか自分の膝にでも私を乗せそうな勢いで抱き寄よせる。

そんな私たちを唖然として、東郷社長といつの間にかお茶を運んできたのだろう、綺麗な女性社員が目を見開いていた。

西村室長は特に何も表情を変えることなく、東郷社長に淡々と説明口調で話しかける。
「もう少しお待ちいただけますか。お茶をどうぞ」
その言葉で、女性社員が慌てたように東郷社長の前にお茶を置く。

「いや、早く来たのはこちらの方だから、待たせて頂くよ」
どっしりと腰を下ろして、私に東郷社長が笑顔を向ける。
決して目が笑っていない様な気がするのは気のせいだろうか。

しかし、これも何か考えがあってしていることだろう。私はそう思うと光輝さんを見つめた。

「光輝さん、たくさん作ってきたの。皆さんにも召し上がっていただいては?」
そんな私に、光輝さんは蕩けるような笑顔を浮かべる。
「結衣は本当に優しいな。仕方ない」
今もずっと私の手を握りしめていた光輝さんは、そっと私の手に唇を寄せた後手を離す。

演技ってここまでするの?
家だと少しのふれあいで照れていたのはむしろ光輝さんの方だ。
それがどうだろう。今はもう私の手の追えないほどの色気を纏っている。

私の心の中は、もうバクバクと音を立てて煩い。
こんな光輝さんは知らない。魅力全開で演技をする光輝さんに私は白旗寸前だ。

そんなことはきっと光輝さんはお見通しのような表情に、私は唖然としてしまう。
こんなに私が翻弄されているのに!

だんだん腹立たしい気がしてくるも、私はなんとか東郷社長にも取り分けると、にこやかにお皿を渡した。
こんなところで「膳」でのアルバイトが役に立つとは……。

早く終わって! 
心の中でそう思いながらも、私は笑顔を浮かべ続けた。


表面上は和やかにその場は終わり、私は重箱を片付けつつ光輝さんを盗み見る。

すでに西村室長に資料などを指示している。
その姿は完ぺきな副社長そのもので、家での甘えた光輝さんの面影など全くない。

それにしてもどうしてここに東郷社長がいるのだろう。ライバルのような話をしていた気がする。

そんなことを思っていると、東郷社長がため息交じりに声を発した。

「全部この仕事欲しかったんだけどな。お前の方が信用があるとか急にスティーブン氏が言い出すからな」
そのことを言われるのは想定内だったようで、光輝さんは全く表情をかえることなく東郷社長を見据えた。
「どうせそれを確認したかったんじゃないのか?」

「まあ、この会社内でそんな噂すらなかったら、スティーブン氏に言おうとは思っていたけどこの光景をみたら言えないだろ。少しでもおこぼれで仕事がもらえて良しとするよ。それにしても本当にいたとは思わなかったな」
諦めたように言うと、東郷社長はカバンに手を伸ばす。

「こないだも会っただろ?」
端的に光輝さんが言うと、東郷社長はチラリと私を見た。

「会ったよ、でも、だってお前が結婚? 婚約? そんなこと信じられるわけないだろ。でも、お前のこんな姿見られただけでまあいいか」
面白そうに笑う東郷社長に、光輝さんは厳しい表情を浮かべた。
「黙れ」
静かに言うと、東郷社長は「はいはい」と手を上げた。

「でも、本当にスティーブン氏が愛妻家で、こんなに結婚の有無が商談に左右するとは思わなかったよな。俺も信用を得るために結婚でもするかな……」
完全に最後には愚痴のようにブツブツ言いつつも、東郷社長はバッグから書類を取り出し始める。

今の会話から、私があの時こっそり通訳したことで、光輝さんの方が商談が有利に進んだのは本当だったようだ。

それにしてもこれだけモテる光輝さんなのに、結婚が程遠いとどうして思われていたのだろう?
今までは遊びの付き合いとかをしてきた人なのだろうか。
いろんなことが頭をよぎるし、プライベートを知るような東郷社長との関係はわからない。
しかしここで光輝さんに聞けるような雰囲気はない。

私はパパっとかたづけると、微笑みを浮かべる。

「私はこれで失礼します。お仕事お疲れ様です」
邪魔をしないように扉の前で挨拶をすると、光輝さんが私に視線を向けた。

「結衣、今日は早く帰る」

破壊的なほど完璧な微笑みを浮かべた光輝さんに、私は俯いて小さく返事をすると、赤くなってしまった顔を隠すように副社長室を後にした。

その夜、言葉通り光輝さんはいつもより早く帰ってきた。

「おかえりなさい」
玄関まで迎えに行くと、昼間とはちがういつもの光輝さんがいた。
「ただいま」
しかし、カバンを受け取ろうと手を伸ばすと、その手は光輝さんに引き寄せられる。

え?
そう思った時にはギュッと抱きしめられて私は驚いて動きを止めた。

「結衣、今日はおつかれさま。ありがとう」
「い、いえ……お役に立てましたか?」
話し方はいつもの光輝さんで、やっていることはいつもとは違う。
会社での光輝さんの怖さにもドキドキしてしまったし、私は完全にすべての光輝さんに振り回されている。

そのまま、光輝さんは私の瞳を覗き込んで柔らかく微笑む。
「今日の会社の結衣も可愛かった。東郷なんかにみせたくなかったな」
クルクルと表情を変えながら、すごいセリフを言う光輝さんに、私はあたふたと言葉を発した。

「光輝さん、今は演技の練習いらないですよ? そんなに褒めても……」
「本当に思ってるよ」
本当にどうしたのだろう? 少しずつ慣れてきた私に演技を向上しろということだろうか?

ますます頭の中は?だらけだが、ドキドキするのがおさまらない。
可愛らしい光輝さんも、いざというとき守ってくれる光輝さんも、仕事のときの鋭い光輝さんもすべてにドキドキしてしまう自分が怖かった。

この間の買い物のエスコートを見ても、光輝さんは私と違い女性経験も豊富そうだ。それに本来私みたいな庶民が一緒にいられる人ではない。

庶民だからお父様への反抗で自分が選ばれたことを思い出し、すっとドキドキしていた気持ちが冷えて行く。

すっと距離を取ると、光輝さんのカバンを手に取り、リビングへと踵を返した。

「結衣?」
そんな私に、光輝さんは心配そうに声を掛ける。


優しい言葉はやめて。これ以上私はあなたを知りたくない。
これ以上……好きに……。

好き?
初めてはっきりと意識をしてしまった自分に唖然とする。
絶対に好きになってはいけない人なのに。

その後、食事をしながら、東郷社長との話を聞く。
私の態度がおかしいことを気づいているかもしれないが、光輝さんは普通に接してくれる。

二人が大学の同級生で、やたら昔からライバル視されること。
同じ二代目でも、東郷社長はむかしから社交的で今と変わらないらしい。

「それが少し羨ましくもあるけどね」
最後の白米を口に入れると、光輝さんは少し悲し気にそう口にした。

「光輝さんは会社の人の前ではずっとあの感じなんですか?」
私はずっと疑問に思っていたことを口にする。
光輝さんは少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。

「俺が副社長に就任したころ、いろいろ会社内でゴタゴタがあってね。厳しい副社長を求められた時期だった。優しいだけでは会社を束ねていけない。自分が嫌われようが強くなければいけなかった」

きっと私が想像する以上に大変な事だっただろう。
家にいる時の光輝さんは、とても優しい人だ。

上手い言葉がかけられず、言葉を探していると光輝さんは私を見て柔らかく微笑む。

「でも、今は家でこうして結衣にこうして素でいられることが本当にうれしい」
その言葉だけで私は十分だ。
助けてもらい、十分援助もしてもらい、初めて恋をして幸せな時間を過ごさせてもらった。

今日の話を聞く限り、ほとんど契約もとれ仕事も進んでいるようだ。
終わりの期限が近付いているのだろう。

それまではもう少し夢をみてもいい?

そんな思いで私は光輝さんを見つめた。

「結衣?」
今日何度目かの、問いかけるような自分の名前。
光輝さんはどういう思いでよんでいるのだろうか?

そう思いつつ、私はなんとか光輝さんに笑顔を向けた。


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