見抜く者と見抜かざる者
猪笹王という妖しは夜活動する。深雪はまだ宵になったばかりの異世界通りを塔季と歩く。
「もう少し遅い時間が安全なのですが、睡眠不足も嫌ですよね?」
「構わない。どちらにしろ俺は戦力外……」
強い悪鬼の時間が安全という深雪の話がよく分からない。
不安な顔をしているうちに包丁を持った婆さんが現れる。山姥という。
「切れそうな包丁をお持ちですね」
脅されているのに深雪は涼しげな顔をしている。
昔の包丁は刀鍛冶が作った物が多い。しかし桑名の木屋、関市の関孫六、燕三条の曽根などではない。有名メーカーは高い。強く金回りのいい妖しはいいものを持っているが、この相手は持っていない。
「虎徹の贋作といったところでしょうか」
妖刀でもなければ深雪に傷をつけることはできない。山姥は現状を知らずか哂う。
「くひひひ……娘っこは鍋に」
深雪は自らの手と相手を見て不快な素振りを見せる。敵の言葉に対してではなく、これから手を穢すことに対する嫌悪だ。その様子を見ている塔季は、今まで深雪が戦うところは見ていない。不安な顔になる。
「本当に大丈夫なのか?」
「少し離れていてください」
山姥が駆け出してくる。冷気に感覚を鈍らせられ動きはスローモーションのように見えた。
深雪の戦いを待っている塔季にとっては一瞬の後のこと。辺り一面は銀世界になっていて、地面には何本も氷の槍が生えている。透き通るそれは気泡の混ざっていない白銀に近い青色をしている。
「もういいのか?」
山姥の服の端が、いくつかの槍の先端に残っているのが見える。
塔季がバタバタと靴音をさせて駆け寄ってくる。
「すげえ……強えんだな」
鋭い氷の槍に触らないようにしながら、キラキラな光景を見渡す。氷の結晶群は宝石箱の中のよう。宵の水銀灯の光を反射させている。
「相手は何処行った……?」
猪笹王は妖力を奪うという話をしていた。いた場所から妖力がどこかに流れているようにみえる。流動する白い束は、樺太の流氷のように雪女深雪の足元に向かっている。
「身の程を
冷ややかな言い回しに、塔季がブルっと震える。
「……ですが、私も弁えないことはあります」
相手を想う深雪の表情は穏やかにみえた。
猪笹王の家はすぐに見つかった。悪鬼とは思えないかわいい家で、喩えるなら童話に出てくる
「素敵なお家です。こちら馬毛の歯ブラシになります」
「ありがとう。待っていました」
あがってお茶を飲まないかという誘いは断り代わりに名刺を渡す。
「知り合いで仕事なくて困っている方がいましたら、私塔季に是非」
寸刻立ち話の後、帰る間際になって猪笹王が塔季を呼び止める。
「深雪さんは席を外してもらえますか?」
「ええ、構いません」
猪笹王が塔季について考える。妖怪のスカウトだけで来たわけではないだろう。深雪と同行して語りかけ、深雪を別なものに変えようとしている。
「貴方は深雪さんに何をなさりたい?」
塔季は困ったような顔をしながら答える。
「あいつは過去……許婚に束縛されている。解き放ってやりたいと思っている」
鳳神社に行ったり、大石医院に行ったりする事を知っている。それでは何も進まない。
猪笹王はこのことを理解できない。妖しの力を悪用する人間は多く、深雪の力を我が物にすることと誤解する。
「いや、違うんだ……説明できないが勘弁してほしい」
今は何も変えることはできない。