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さよなら、神戸 前編

 ――ホテルに戻ったのは夜の七時。夕食はまだ済ませていなかったので、わたしも貢もお腹がペコペコだ。

「――絢乃さん。今日は夕食どうします?」

 部屋に戻るとすぐ、その話になった。
 明日はもう淡路島へ行くし(……とはいっても帰りにまた戻ってくることになるのだけれど)、今日のうちに神戸の美味しいものを制覇してしまいたい。でも、この後また外へ出るのもまた面倒だし……。

「昨日は外で食べたから、今日はルームサービスでも取る? ――あ、わたしはビーフカレーね。あと、デザートにチーズケーキとカフェラテも」

 自分の希望を言ってから、貢にメニュー表を手渡した。

「じゃあ、僕も同じでいいか。オーダーしときますね」

 彼が内線電話に向かうのを目で追いながら、わたしはバッグからスマホを取り出して開いた。可愛いネコのキャラクターが画面上で、「着信がありました。」とフキダシで告げている。

「着信って誰から? ……あ、里歩からだ」

 わたしはすぐに折り返した。――送った写真の反応かな? お土産のリクエストも聞いとかなきゃ。

「――あ、里歩。電話もらってたみたいだけど、気づかなくてゴメンね? わたしたち、今宿泊先のホテルに戻ったところだったから」

『いいよいいよ。旅行、楽しんでるみたいで何より。写メありがとね。ピザトースト美味しそうだった。あと、あの二人の手でハートのヤツなに? めちゃめちゃ可愛いじゃん! ()えてるし。もう、二人のラブラブぶり、すっごく伝わってきたわー』

「あー……、うん。そんなに褒められたらちょっと恥ずかしいけど。あれ『撮ろう』って言い出したの、わたしの方なのに」

『だろうね。ダンナさまの方が言ったんならちょっと引くかも』

 里歩からの冷静な一言に、わたしは苦笑いするしかない。確かに、写真映えとか気にするのは女子の方が多くて、貢もそういうことを気にしたがらないあたりは世間一般の男性と変わらない気がする。

「里歩、昨日はわざわざ大学休んでまで出席してくれてありがと。唯ちゃんにもお礼伝えてね」

『いいってことよ。親友の結婚式は、学校休む正当な理由になるんだもん。昨日休んだ分の単位は、レポート提出で補填できるから。あたし、あの後バイト入っててさ、急いで家に着替えに家まですっ飛んで帰ったんだよね』

「バイト? 里歩、バイトしてるの? わたし初耳だよ?」

 里歩や唯ちゃんとは高校卒業後も連絡を取り合ったり、時々は一緒に遊びに行ったり、逆に二人がウチまで遊びにくることもあるけれど、卒業後の近況はあまり報告し合わないかもしれない。

『うん。今日も講義が午前だけだったから、午後から働いてきたよん♪ 絢乃もバリバリ仕事してるんだし、あたしもお気楽な女子大生ではいらんないなーと思って。まぁ、あんたは働いてるどころの話じゃないけどねー』

「うん、……まぁね」

 里歩は里歩なりに焦りみたいなのがあるのかも。高校生だった頃に社会に放り込まれたわたしを、ずっと間近で見てきたから。自分も社会のことをもっと知らなきゃ、と思ったのかもしれない。

『そういや、今ダンナさまは?』

「うん、夕食のルームサービスをオーダーしてくれてるわ。今日ね、わたし彼のことをこれまで以上に知れた気がするの。ますます好きになっちゃった」

『ハイハイ、ごちそうさま。もう、あんたのノロケ話だけでお腹いっぱ~い! もうあたし晩ゴハンいらな~い』

「あはは、ゴメンゴメン」

 そんなガールズトークをしているうちに、貢はオーダーの電話を終えていた。ソファーに座っているわたしのところまで戻ってくる。 

「――お電話、里歩さんからですか?」

「うん。待ってね、スピーカーにするから」

 わたしはテーブルの上にスマホを置き、スピーカーボタンをタップした。
 そういえばここ数ヶ月前から、貢は里歩と唯ちゃんのことを名前にさん付けで呼ぶようになった。敬語は相変わらずだけれど、彼にしてみたら大した進歩だと思う。

「もしもし、里歩さん。貢です。昨日はどうもありがとうございました。僕からも一言お礼が言いたくて」

『ああ、いえいえ! タキシード姿、すっごくイケてましたよ! あたしの彼氏じゃああはいかないです。やっぱ、オトナの色気って最強ですよね』

「いやいやそんな! でも、褒めて頂けたのは嬉しいです」

 ……あらあら。貢ったら、またまた謙遜しちゃって。本当は満更でもないくせに。

「――あ、そうだ! お土産は何がいい? 一応、唯ちゃんにもリクエスト訊いといてもらえると助かるんだけど」

『お土産……ねぇ。やっぱ、神戸っていったら洋菓子かな。ユーハイムのバウムクーヘンとか。唯ちゃんにも訊いてみるわ。で、またこっちから連絡するね。――あんまりイチャイチャしすぎないようにね』

「…………もう! 余計なお世話! じゃあね」

 通話が終わると、何だか妙な脱力感に襲われた。わたしだけでなく、貢までもが毒気を抜かれたようにぐったりしている。何か変な感じ。

「「……………………」」

 里歩ってばもう、新婚カップルを冷やかすのはほどほどにしてほしい。わたしたち、そんなにイチャイチャしてるのかしら? ……してる……かも。

「…………ねぇ、ルームサービスってどれくらいで運んできてくれるって?」

 ちょっと脈絡のないごまかし方をしてしまったけれど、貢はちゃんと答えてくれた。

「料理は十五分後に持ってきてくれるそうです。デザートと飲み物はその後に。特にカフェラテは冷めたら美味しくないですからね」

「そっか、ありがと」

 わたしは半袖のクリーム色のカットソーの上に羽織っていた薄手のカーディガンを脱ぎ、キレイに丸めてソファーの上に置いた。そのまま背もたれに身を預け、ウーンと伸びをする。

「今日はいっぱい歩き回って疲れたぁ……。もう脚がパンパン!」

 履いていた靴がフラットパンプスでよかった。ハイヒールなんか履いていたら、わたしの脚はきっともっと疲労困憊(こんぱい)だったと思う。

「よかったら、マッサージしましょうか?」

 貢は気を利かせてそう言ったのかもしれないけれど、わたしにはどうも、これがスキンシップを求める口実に思えて仕方がない。何かにつけてわたしに触れたいんじゃないか、と。

「ううん、いいよ。貴方も疲れてるでしょ? ゴハンが来るまでのんびりしてましょ」

 わたしは彼を労わりつつ、それをやんわり断った。脚のもみほぐしくらいなら自分でもできるし、本格的なマッサージを受けたいならホテル内のマッサージサロンを予約するつもりだ。

「そうですか? ざんね……いえ、何でもないです。じゃあせめて、何か飲みます?」

 ……ん? 今、何か言いかけなかった? やっぱりスキンシップを求めてたらしい。まったく、甘えんぼさんなんだから。
 わたしはお礼を言って、サイダーを所望した。しばらくして、彼は部屋の冷蔵庫で冷やされていたサイダーを二人分グラスに注いで持ってきてくれた。

「ありがと。――ところでわたし、さっき観覧車の中で貴方に話してなかったことがあるのよ」

 わたしはサイダーを一口飲んで喉を潤してから、隣に腰を下ろした彼に話を切り出した。

「えっ、まだあったんですか? さっき、色々聞かせてもらったと思うんですけど」

「うん。貴方がわたしとの別れを覚悟したって話を聞いた時、そういえば貴方にまだ話してなかったなぁって思い出して。――有崎(ありさき)さんって憶えてる?」

 その名前を出した途端、彼の表情がピクリを動いた気がした。あの男のことは彼にとって一生消えないトラウマであり、地雷になっているらしい。

「…………はい。あの人が何か?」

 八ヶ月ほど前、わたしと彼との恋愛関係が崩壊寸前になった事件の原因となったのが、その有崎(のぼる)という男性だったのだ。
 彼もわたしと同じく大企業グループの跡取りだったけれど、わたしとは違って父親の後は継がずに親のスネをかじって起業したという、とんだ放蕩(ほうとう)息子だった。

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