「申し訳ありません。僕はどうしても魔法がやりたいんです」
図工王国は算数大陸同盟から除名された。隣国の技術家庭科国は海の向こうのIT合衆国と軍事同盟を結んだために既に算数大陸同盟を脱退している。図工王国は長年にわたり国境争いをしてきた美術人民共和国と苦渋の講和をした。『そのせいで算数国としての技術力も落ちたらしいしね。そんな事情があって数学教育もどんどん遅れていく」
「そうですか」
「うん、だから君には是非とも算数をやって欲しいと思っているんだよ。僕としても君の頭脳なら数学に向いてそうだと思ってるんだけどなぁ……どう?」家庭教師は黒エルフらしい妖艶な髪を垂らして誘う。彼女のスカートは短すぎて太腿と白い生地が露になっていたが真也はもう目を向けることはしなかった。彼の視線に気が付いた彼女は満足げに微笑み、「ねぇ……」と言いながら裾を摘んでみせる。
「申し訳ありません。僕はどうしても魔法がやりたいんです」
真也はそれを聞いた先生の顔を見て驚いた。彼は今、初めて笑顔を見せたのだ。その顔は真也の記憶の中にいる『彼』と同じ表情をしていた。
「そっか……じゃあしょうがないな。君は友達だから本当のことを話そう。僕は君のことを誇らしく思う。実を言うと僕はスパイだ。君を図工王国のドローイング・ウィザードとして見込んでいる。一緒に来てくれないか?」
真也はその申し出を聞き驚くとともに嬉しく思った。それは彼がずっと望んでいた言葉だったからだ。
真也は一瞬ためらいがちに手を差し出す。すると彼の手に暖かい手が重ねられる感触がある。そして恩義に報いようと快諾した。
その人はそんな彼に優しく微笑みかけると声に出さずに呟いた。
「教師として僕は君から多くを学んだ、今度は僕が君のことを育ててみせるよ」
――パパとママに見守られながら生きられる。そう思うと真也は無上の喜びを感じた。
両親は二つ返事で了解してくれた。それどころか無理解を詫びてくれた。
「ありがとうございます――パパとママ」
その感謝の言葉に両親は息子を抱きしめる。そして感謝の言葉を交わした。
「よかった……ほんとうに」
真也は涙を流す二人に抱きしめられたままそっと呟いた。あの時も真也はパパとママに見守られながら生きられたのだろうか。そんなことを考えながら真也は自分の両親の頬に触れてみた。それは本当にお父さんとママとの愛の深さを感じされた。
「僕らはもう行くね。もう少し君の夢を見せてくれないと、君自身に生きがいがあることが分かっていないかもしれないからね」
「はい、お世話になります」
「本当に色々とありがとうね。頑張ってくるよ」
母親は彼にここまで言わせてくれたことに感謝をしつつ真也は両親と別れて町へと帰った。
しかし彼の両親がいなくなったあとも真也の目からは一滴の水滴が流れた。それを拭いながら彼は笑った。
■図工王国 首都メルカトル 王立アカデミー学生寮
真新しいノートに日記が綴られていく。
聖暦20XX年XX月XI日。
この世界に転生したときのことを思い出してみると不思議だと思うことがたくさんあると思うんだよね。
なんというかさー、俺はこの世界では本当の意味での孤児じゃ無いし、俺の本当の両親だってこの世界のどこかにいる。
それに俺には姉貴もいたはずだよ。
なのにさあ、なぜか懐かしく感じるんだ。なぜなのか考えた時に気づいたことがあった。
それは、みんな自分の意思で生きてなかったことだ。まあさ、それが当然なんだよ。普通に生きていたら当たり前のように生活できるはずのものが突然なくなることもあるし、急に現れていつの間にか消えるものなんだ。
そういう人生の中で必死になって生きることで自分が自分になるのがドローイング・ウィザード冥利ってもんだ。
俺たちは人様の世界線がもっとも輝くようにデザインしアドバイスする仕事だ。俺の親父には『俺みたいなお節介を焼いてるやつはなあ、自分の子供が生まれたときにゃ親よりも幸せにしちゃいけないって決めてんだい』なんて言ってたが俺みたいなガキはそんな難しいことはわからないけどよ。
俺はあいつらを絶対に助けてやりたかっただけだ。たとえそのために俺自身の命が無くなってしまおうともな。
だからあいつらには俺の命を持って償うことにしたぜ。もちろんただ死ぬんじゃねえぞ。必ず生き延びろ。これは絶対だ。俺は約束した。俺が死んだ後も、遺志は図工王国にドローイング・ウィザードとして残ると。それならいつかお前らを助けることが出来るだろうと思ってた。
だけどよ……こんなことになるとは思ってなかった。こんなはずじゃなかった。こんなことをさせたかったわけじゃなかったんだ! ああ神様……もしも俺がまだいるなら聞いてください。どうかあいつらのこれからの人生にも幸あれ。
もし俺の最後の願いを聞けるというならばどうか、あの二人の幸せな人生を……願わくば…… いや……やっぱりいいです……。あの二人が不幸になるようなことがあるんならきっと俺は……また現れちまいますから……だからお願いしますよ?
■ 地方都市 ハビタビア
「頼む……」
真也が意識を失ってから2週間ほどたった。彼を図工王国へスカウトした者その正体はにっくき美術人民共和国軍の二重スパイだった。真也は数学の才能が潜んでいる。それは算数大陸にとって有用でIT合衆国にとって有害な資質だった。そこで美術人民共和国軍のエリートを金と女とIT合衆国の移住許可証で買収し図工王国へ招聘したのだ。彼は真也が目を覚ました後真也の記憶を全て消して国元へ返すつもりであったが真也はそれを望まず。彼の記憶は保持されたまま、今は魔法による洗脳を受けていた。
しかしそんな事情を露知らない人々はその少年のことを噂していた。彼は誰々さんが誘拐しようとしたところを逃げ出したとかいう話を聞いたり。その人はどうなったんだろうと思ったりするが誰も確かめようとする者はいない。
そんなある日の事だった。一人の女性が病院を訪ねてきたのは。その女性はまるで中世の修道女のような格好をしており病室の前に立つとノックをした。その女性はドアの前で中からの返事を待つと静かにその部屋に入っていく。
彼女は真也を見つけると優しく声をかけた。
「真也君、具合はいかがですか?」
「え……だれ……? どうして……僕のこと知ってるんですか……!?」
その反応に驚いた女性だが、落ち着いて話しかける。するとベッドの上に座って怯えた表情をしている少年は落ち着いたようであった。
「そう怖がらないでください」
「ごめんなさい」
「大丈夫ですよ。それでお話があるのですが」
「はい」
「私は神に仕えているものです。そして真也君にとても重要な使命を与えに来たのであります」
「しめい」
真也はこの人何を言っているんだろうと疑問を持った目をしながら復唱する。しかしその言葉は彼女にとっても予想外のようで慌てていた。しかし真也の瞳を見て決意を決めたのか真剣な眼差しになる。そして彼女は真也に向かって言った。
「実は私と一緒にある場所に来ていただきたいのです」
彼女が言うにはこうだ。あるところにとある少女がいる。彼女は自分が何のために存在しているかを知らず、世界に対して何も期待もせず、毎日を過ごしていた。
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