第六話
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「なんで貴方なんですか!」
救出してもらって、彼らの船に乗せられた途端、私は怒りを目の前の男、セシリオにぶつけた。
「……遭難している所を救ってもらって、なんでそのセリフなんだ。お礼の一つも言えないのか。夜の海に小舟を下すのは、それなりにこっちもリスク背負っているんだぞ」
どうやら叔父が迎えに来る前に、航海石の光を見つけて助けに来てくれたらしい。あの光を確認すれば、遭難者がいると判断し、救護活動を行うのは良識ある船乗りであればごく自然な行動だ。
単に、叔父が私を救いに来る前に、彼らが先に見つけて救護してくれた、というだけのことで。
叔父と私からしたら、折角の救護計画をつぶされたと言えなくもないけれど、当然そこには悪意のかけらの一つもない。
「……あの船から逃げてきたんだろう? 本当にお前は、無茶をする」
そのセリフと同時に、何故か私はセシリオに抱きしめられていた。
「な、な……なんで?」
突然の恋愛っぽい展開にびっくりして、咄嗟に抗ってその腕から逃げ出そうとしたけれど……。
「――とにかく、無事でよかった……」
心底ほっとしたように囁かれて、思わず抵抗する気力を失った。
「……あ、あの、助けてくださって、ありがとうございました……」
そう素直に告げた瞬間、体がカタカタと震えはじめる。瞬間、一面真っ暗で、冷たい水の中に漂っていた感覚を思い出す。
「……夜の海は怖かったです……」
「そうか。そりゃ、そうだな……」
くしゃりと髪を撫でられて何故かほっとした。昔こんな風に撫でられたことがあった気がする。
セシリオの胸からは洗いざらしの石鹸の匂いと海の潮の香りがして、小さな頃から周りで優しくしてくれていた海の男の匂いがして、力が抜ける。
震える私の背中をゆっくりと撫で上げて、時折とんとんと背中を優しく叩き、リズムを取る。安堵で思わず眠たくなってきたその時。
「セシリオ船長。キサリエル王国モルティア商会の船から信号が届いています。『遭難者を知らないか』と」
その言葉にばっと私は顔を上げる。そうだ本来なら私を救出するために、叔父は船を出していてくれていたのだ。
「あ、あのっ」
「……お前の迎えか。ならば、『遭難者は救助済み。島で待つ』とだけ返信しておけ」
彼の言葉にはっと現実が帰ってくる。
「そうだ、叔父様が私を拾いに来て下さる予定だったんです。心配しているので、遭難者が誰か、という事も含めて、ちゃんと伝えてください!」
私がそう言うと、彼はむっとしたように瞳を細めた。
「だから連絡すると言っただろう? そもそもなんだ、お前は。あんな風に人をだまして眠らせて、船から海に身を投げ出すとか。俺がお前に乱暴狼藉して、世を儚んで入水に追いやったと、めちゃくちゃな悪評が立ったんだぞ!」
今までしっとりと(でもないけれど)抱き合っていたはずの二人がいきなり口げんかを初めて、周りは一瞬引いている。
けど私だってそこまで言われたら言い返さずにはいられない。
「そう噂が立つなら、今までの行いがよろしくなかったのではなくて? それに乱暴狼藉とまではいかないですけど、お酒飲ませて酔わして、アレヤコレヤしようとしていらしてましたわよね? 私はその前に逃げ出しただけですわ!」
その証拠に、私の胸を、ふにって……したよね?
完全対決の気分で、彼の目の前に立って腰に手を当てて立つ。向こうの方がかなり身長が高いので、見上げる形になるのが悔しい。
「大人しく口説かれろ、と言ったら、まんざらでもない顔をしてただろう。そもそもキスしてきたのはそっちからだ!」
「あれは、貴方を酔いつぶすのに都合がよかったからです。別に貴方への好意で、あのようなはしたないことをしたわけではありませんわ」
「というか、眠り薬なんてどこで手に入れたんだ? 後宮の牢に閉じ込められていたんだろう。お前の脱獄を手引きしたやつか?」
「あの薬をくれたのは……」
次の瞬間、あきれた視線がこちらを向いているのに気づいて、私は改めてその男を見つめ返した。
「あの方が、その薬をくださったんですわ」
私がびしっと指をさした方向に、その男はいた。
「……テオドアか。なぜアリッサに薬を渡した?」
セシリオは、苦虫をかみつぶしたような顔をして、髪の毛をかきあげて、グシャリと握る。ふぅっとため息をつく彼を見つつ思う。
そこ、私も聞きたい!
「セシリオ様が、アリッサ様を連れて帰れば、もう手放さなくなると思いました。ですがキサリエルとアルドラドで売買契約が成立しているアリッサ様を、あのままマリー・エルドリアに連れて帰れば、脱獄幇助も含め、他国の財産を我が国が奪ったことになりますし、色々とややこしい国際問題に発展しますので」
うん? ちょっと待って……。今までの話の展開から考えると、なんか最初の後宮脱出の時点から私の正体がばれている? なんで?
……というか、この船、マリー・エルドリアの船だったのか……。今も何故か国の旗を上げてない気がするから、とっても怪しいんだけど。あれか、裏稼業の船なのかな?
とにかく次々と明るみになる事実! などとふざけていられない。
大事な情報が目白押しで、私は固唾を呑んで、話の行方に耳を傾ける。
「……それで適当なところでアリッサが一人で逃げ出せるように、眠り薬を彼女に渡したと?」
「ええ。概ね予定通りに展開しましたね。さすがアリッサ姫です」
テオドアはその体格の割におっとりとした口調で話を続けた。
「これでいったん、キサリエルからアルドラドへアリッサ様が収められ、売買契約が完了したため、次アリッサ様が行方不明になったとしても、アルドラドからの追及さえ躱せばよいという状況になります」
まあ、私の持っている玉璽がなければそれで終わりだったかもね。と遠い目をしつつ、心の中で呟いて置く。
あれがある限り、キサリエルも諦めてはくれないだろうなあ……。
ってか、これ持ってきちゃったの……かえって厄介事増やしちゃった気がする。
あれか、どこか無難なところで向こうに返す方がいいのかな。まあ、叔父様が後で合流するみたいだから預けるとか何かいい方法はあるかもしれないけれど。
普通は罪に問われるよね。多分。まあ、向こうもこんな大事なモノ紛失したってばれるとまずいし、そこらへんで話し合いがつくといいんだけど。
「つまりは、今後アリッサに関して、警戒しなければいけないのはアルドラドだけでいいのか?」
じっと私の顔を見ながら、セシリオがテオドアに尋ねる。
「ええ、そうなりますね」
「なら楽勝だな。あいつらの船は遅いから、この先で躱して、こっちが先に帰港して、アリッサは行方不明ってことにしておけばいい。ここは俺達の庭同然だからな」
ってことは、あれですね。自由を求めた私は海の藻屑に沈んだ設定ってことですね。
……それでアルドラドも諦めてくれるかなあ。
ついでに王妃のお姉さまも。
小さくため息をつきながら、その日は夜も遅いということで、着替えをさせてもらって、夜番の人間以外は休むことになるのだけど……。
「いーやーですからっ。なんで私が貴方と同じ部屋で寝ないといけないんですの?」
じとりと睨まれても知らない。なんで結婚前の付き合っているわけでもない二人が、一緒に寝ないといけないの? しかも勝手に胸を揉むような人なのにっ。
「後の船室は男と二段ベッドだぞ。俺の部屋が一番安全なんだ」
「貴方の部屋が一番危ないと思います」
断言すると、彼は剣呑に細めてこちらをガッツリ睨み付けた。
「……他に余っている部屋がないんだ。仕方ないだろう!」
「甲板にハンモックでもいいですよ」
下士海兵は、そうやって寝ていると昔叔父から聞いた事がある。
「そうはいかない」
「なんでですか!」
言い返した私の手を取って、彼がじっと顔を覗き込む。睨んでいるから睨み返す。至近距離でお互いに黙り込んだまま厳しい視線を飛ばしあう。
「……お前は綺麗だからな。それに若くて可愛いから……」
っていきなり言ってしまってから、うっかり口から出た、というように自らの唇を彼は覆う。
「ちょっ……」
そ、そんなことを真正面から言って顔を染めないで欲しい。いや、なんせ容姿端麗な伯爵令嬢だ。アリッサは綺麗も可愛いも正直言われ慣れている。けども……。
なんか喧嘩ばかり吹っ掛けてきたこの人に、突然そんなこと言われるとどう反応していいのかわからなくなる。
「視界から外れると何をしてるか心配になる。お前が嫌がるならちょっかいは掛けない。お前が心配で酒も飲んでない。だから……」
ぎゅうっと袖を掴む手の力が半端ない。それだけ心配掛けてたのかと思いつつ、それだけの想いを掛けられる意味も分からなくて。
うん。少し、この人と話をしてみようか。
そう思って私は頷く。
「絶対手を出さないって約束してくださいませ。あとベッドは一緒に使いませんわよ」
びしっと指先を突きつける様にして言い切ると、彼は目を大きく開けて、それからフーっとため息をついた。
「仕方ない。今晩のところは長椅子を持ちこむ」
……仕方ないってどういうこと?
でもとにかく今夜の予定が決まったことで、彼の周りにいた身の回りの世話をする船員たちが、一様にほっとしたようなため息をつきつつ動き始めたのでもう文句を言う余地もない。
「本当に、手を出さないでくださいませ」
「しつこいっ」
そう言いながら、彼はベッドを譲ってくれて、持ち込んだ長椅子で横たわる。私はもそもそと綺麗なシーツと布団で身を包んだ。
先ほど抱きしめてもらった人の香りがどこか残っている気がして、なんとなくドキリとしてしまった。
「あの……」
「なんだ?」
まだ寝てないらしい人は寝返りを打ってこちらを見つめる。暗闇の中で黄色い瞳がこちらを見つめている。
「どうして、後宮から連れ出してくださったの?」
私の言葉に彼は一瞬、顔を歪める。
「……やっぱり覚えていないのか」
その言葉に私はきゅっと手のひらを握りしめた。やっぱり……この人は何かを知っているのかもしれない。アリッサの覚えてないことがあるのかも。
「私、色々ありすぎて、記憶が混乱しているみたいなんです」
悲しそうな顔を彼がしているからフォローしようとちょっと思ったんだけど、そう口にした途端。それが酷くしっくりする気がした。
一見何の問題もなく繋がっているように思える記憶のあちこちが繋がりがおかしい気がしてる。
「そうか。と言っても、俺の事は忘れていても仕方ないかもな。ずいぶん前の話になるし……」
肩を竦めて彼は苦笑いをする。
「記憶が繋がるきっかけになるかもしれないので、話してもらえませんか」
私の言葉に彼はゆっくりと瞳を瞬かせる。金色の瞳が暗闇の中で瞬くから、なんだか星空みたいに見える。
「あれは俺が十の時か。キサリエル王の結婚式に招かれて、親父が参列した時だ」
そんな昔の話か。なら覚えてなくても仕方ないかもしれない。などと思いながら私は頷く。
「結婚式なんて興味がなくて、一応式には参列したものの、その後の披露の宴からは抜け出して、テオドアを伴にして、城の裏の庭で時間つぶしをしてた。そうしたら……」
その姿を思い出したのか、彼はくつくつと楽し気に笑った。
「お前がやってきた。綺麗なドレスを着た綺麗な子供だと思った。だがお前は、侍女たちを撒いて庭に出て来てたんだ」
***
「だって知らない人ばっかりだし、お父様はずっとお姉さまの傍で偉そうな人とお話をしているし、誰も構ってくださらないのですもの」
ちっこい女の子が悪びれず主張している。まだ自分の胸の辺りまでしか身長がないけれど、金色の髪と、明るい海のような緑がかった碧色の瞳がとてもきれいで、大人になったら美人になりそうだな、と思った。
だからと言って、こんな小さな子が、伴も連れずに一人で出て来るとはどういうことだろう。
俺がそう考えていると、耳元でテオドアがこそっと「このお方はキサリエルの新王妃の妹君で、ノートリア伯爵の御令嬢ですよ」と告げた。
このまま放置するわけにいかないとテオドアは呟き、だがこの子を放置して城に知らせに行くわけにもいかず、しばらく息抜きをした後、披露の宴をしている場所に連れ戻します。と言う。
「では、ごきげんよう」
行儀よく挨拶をすると、女の子はさっさと歩きだした。
「ちょ、ちょっと待て。どこに行くつもりだ?」
俺の言葉に彼女はにっこりと笑って、その行き先を指さす。
「あっち。向こうに不思議な建物があるの。ずっと気になってたんだけど、絶対に行っちゃだめってみんなが言うから……」
そう言うと彼女はしっかりとした足取りで歩き始める。
誰も行くなという不思議な建物? なんて聞いたら絶対見に行きたくなる。気づけば止めるテオドアを無視して、俺はその女の子の後を追っていた。
「ここです!」
女の子はピンと伸ばした人差し指を、建物に向けていた、
「……ここ?」
そこにあったのは小さな塔のような建物だった。裏庭を抜けた先には森があって、その森を進んだ先に隠されたようにあった。
「ここに遊びに来ると、いつもそのカーテンの影から誰かが覗くんです。だから今日ならだれも気付かないから、直接話をしてみようと思って」
そういうと、彼女は持ってきたらしい袋の中からロープを取り出すと、足元にあった石をいくつか持っては、重さを計って彼女の拳よりだいぶ小さな石を持つとそれを手早くロープに結びつける。
「…………」
テオドアが面白そうな顔をしてその様子を見ている。
「それどうするんだよ?」
俺の言葉に、彼女はその石付きのロープをくるくると回転させて、その塔のバルコニー部分に向かって飛ばした。
「……あっ……」
でも高さが全然足りなくて、その手前にカツって音を立ててぶつかり落ちていく。
「ちょっと力が足りないようですな」
テオドアはそう言って笑う。
「そんなことありませんわ」
彼女はその後何度も何度もロープを投げては失敗を繰り返した。
「仕方ない。貸してください」
そういうと、テオドアは彼女からロープを受け取り、彼女が狙っていたバルコニーにロープを絡ませた。
「ありがとう!」
それを確認すると、彼女はドレスの裾をまくって、カボチャパンツの裾に突っ込み、するするとロープを登って行く。
「はやっ」
それは到底良家のお嬢様のする所業がない。
「っと、予想外すぎて……。このままじゃ不味いですね。ついていきましょう」
とテオドアが声を掛けた時には、彼女はベランダに降りたっていた。ガチャガチャと窓の取っ手を開けようとしている。
「ねえ、貴女。出てきなさいよ。話をしましょうよ!」
どんどん叩いていると、ゆっくりと扉が開いた。
「……あなたはだれ?」
そこから出てきたのは黒髪に黒い瞳の、アリッサと同じ年頃の可愛い女の子だった。