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第七話

「……思い出した」
セシリオから話を聞いている間に、色々な事を思い出していた。私は姉の結婚式の日、晴れの日に塔に閉じ込められていた女の子に出会ったのだ。

黒い髪に、この辺りでは珍しい黒い瞳。それは……。

「マリアンヌ、だ」
そんな小さなときに彼女に会った記憶なんてあったのだろうか?

「俺のことを思い出したわけじゃないのか」
がっかりしたような彼は横たわっていた長椅子から身を起こし、セシリオはベッド際に座り私の顔を覗き込む。

「あ、少し思い出しました。あれ、セシリオだったんですね。そう言えばあの時、名前も聞いたような気もいたしますわ」
私の台詞にがっくりするセシリオ。

「だって、お城の塔に隠されているお姫様ですわよ、そっちの方が印象が深かったのですもの。仕方ないと思いますわ」
私の台詞にセシリオは苦笑する。

「まあ、その後、アリッサは叔父に連れて来られてマリー・エルドリアに来たこともあったし、お前の叔父と俺の父親の間で、将来結婚させたらどうだ、という話も冗談交じりにあって、俺も多少その気に……」

ぼそ、と呟くと彼は照れを誤魔化すように顰め面をして、なのになんで忘れてるんだ、と文句を言う。なんだかそんな姿がとても微笑ましく見える。5歳くらいは年上のはずなんだけど妙に可愛い。

「だから、お前がアルドラド神国の神殿巫女として国外に出される。後宮にいるお前を、なんとか救いだせないかと、使える伝手を思いっきり使って、後宮での接待を受けられるようにした。だがその救い出そうとした本人が、ふらふらとあんな艶っぽい後宮侍女の姿で出て来るとは予想外すぎた……」

そっと手を伸ばして、ゆっくりと私の頭に手を置く。ゆるりと撫でて、ニヤっと笑みを浮かべた。

「まあでも、その予想外さがアリッサらしいのかもしれないけどな。最初出会った時からものすごく印象的だったしな」


懐かしいと思ったのも昔から知っていたからなんだ。そう納得しながらも、何故か未だに私の中では彼の記憶がしっかりと戻ってきてない。

それどころか、小さな頃に会っていたはずのマリアンヌの記憶すら戻ってこないのだ。

マリアンヌのあの森の塔で出会ってから、私はどうしたのだろう?

するすると彼は私の緩やかなウェーブを描く髪を一筋取り、指先で絡める。

勝手に触らないで、と文句を言いたいのに、なんだかひどく安らいでしまっていて、文句も言えない。相当私、疲れているのかも。

「なんで……こんなに記憶があちこち抜けているのかしら……」

そしてこの世界に来てから、時間が経てば経つほど、自分はアリッサなのだという意識がどんどん強くなっている。
元々ゲームをしててこちらの世界に来たはずなのに、日本での自分の名前も記憶も、全く思い出せなくなっているのだ。
けれど不思議なほど、そのこと自体には不安を感じてない。いろいろ分からないことはいっぱいあるのだけれど……。

「……セシリオは私を助けようと思ってくれていたのですね……ありがとう」

優しく頭を撫でられながら、素直にそう答えると、彼は少しびっくりしたような顔をして、それから黄色い瞳をクシャリと細めて笑う。

「お前が素直過ぎるとなんだか調子がでないな。まあとりあえず、船はマリー・エルドリアを目指す。モルティア商会も追って入船してくるだろう。多分……アルドラドも。騒動が落ち着いてからその後のことを考えよう。とにかく、今日のところはしっかり寝て疲れを取るんだな。……ゆっくり寝ろよ、アリッサ」

と言った次の瞬間、ふっと顔を寄せて頬と唇の境目にキスを落す。

「――っ」
油断も隙も無い、と文句を言おうかと思ったけれど、彼が目を伏せる一瞬前に、妙に切なげな色合いを瞳に浮かべた気がして……。

「……それ以上、許可なく近づいたら怒りますわよ。おやすみなさい、セシリオ」
そう言ってゆっくりと目を閉じる。

「……警戒してるのか信頼してんのかどっちだよ……」
とブツブツと文句を言う声を聞きながら、私は疲れ切った体に抗えず、すぅっと息を吸うと、眠りの世界に落ちて行ったのだった。


***


私は夢をみていた。船にのって旅をしている夢だ。

グラングランと激しく揺れる船に、差し込んでくる光は昼間なのに皆無だ。
すっかり空は夜のように暗くよどんでいる。雲が重々しく垂れこめている。

まだ雨は降りだしてないが、ビュービューと吹き抜ける風は強くて、慌ててすべての帆を閉じたマストを私は見上げた。
船員たちは甲板の上を走り回り、必死の操船を行っている。

「アリッサ、お前は船に慣れてないんだから、こっちに来い」
そう言って不安に震えるアリッサを抱きしめてくれたのは、黒髪に少し釣った黄色の瞳をした少年だ。無理やり抱き上げると、甲板にいた私を船室に連れていく。

「セシリオ……。叔父様は……叔父様は大丈夫かしら?」
その日、可愛がってくれている叔父の船に乗って、アリッサはマリー・エルドリアを目指していた。

父に頼んでようやく許可してもらった旅なのだ。叔父の仕事でたまに会う、マリー・エルドリアの男の子も一緒で私としてはとても楽しみにしてた旅行なのに、運が悪いことに予想外の嵐に巻き込まれている。

「ああ、アリッサの叔父上は海の男だから心配しなくていい。お前が一番船に不慣れなんだ。……船酔いは大丈夫か?」
緊張で吐き気はこみあげてこないらしい。気分はよくないけれど、青い顔をしながらも、私はこくこくと頷く。

ぎゅっと抱きしめてもらって、背中をトントンと叩いてもらう。前回会った時より身長が伸びて、声だって低くなって、なんだか違う人みたいなのに、なんだかそんな彼の動作は昔と変わらなくてひそかに私はホッとする。

普段は喧嘩ばっかりしているのに、こんなときは凄く優しくて、なんだか頼りになるな、なんてちょっとドキドキもしている。

だから普段みたいに、大丈夫、って言ってセシリオを振りほどけない。それどころか雷鳴が鳴り響いて、一気に雨が降り始める気配に、つい怖くて気づけば震えていた。

「アリッサ、大丈夫だから。お前の事は俺が守るから……」
そんな私をしっかりと抱き留めて、耳元で囁く声だけが、叫び出しそうな不安な気持ちを少し冷静にしてくれた。

「ぜ、絶対ですわよ、セシリオ。私を守ってくださるの、約束ですからね」
震える声でそれでも強気な言葉を返すと、彼はそっと私の髪を撫でて耳元でもう一度繰り返した。

「ああ約束する。いつだって俺がお前を守るから。信じてくれ……」


***


「港に着いたぞ~」
船室の外で響く声にはっと目を覚ます。

ずいぶんと懐かしい夢を見た気がする。あの後マストに雷が落ちて折れて、本当に命からがら、叔父の船はマリー・エルドリアにたどり着いて、九死に一生を得たのだ。

夢の中ではまだ少年だった彼は、今はすっかり大人になっている。彼もあの時のことを覚えているだろうか……。

「セシリオ?」
長椅子で寝ていたはずの彼は、既にその場にいなかった。
伸びをしながら起き上がり、用意されていた簡易なドレスに着替えると船室を飛び出す。

既に下船の準備が整っているらしい。

マリー・エルドリアの一番大きなマリー島の港は、朝市が終わった直後で、荷物を受け取る者、それを必要なところに移動させる者、賑やかに動き始めている。

セシリオのように、髪に様々な色の布を編み込むのは、どうやらマリー・エルドリアで流行っているらしい。青い海と明るい空の下、鮮やかな色とりどりの布の色が気持ちを明るくさせる。

ひょいと、そのまま外へ飛び出して行こうとした途端、

「アリッサ、お前はこれを被っておけ」
そう言ってセシリオに渡されたのは、髪色と顔がみえないようなヴェールだ。

「お前の正体はできるだけ知られたくない」
その言葉に頷くと、言われた通り髪をまとめてそれを被り、彼に手を引かれて船から降りていく。

セシリオはそのまま数人程度が乗れる大きさの船に乗り換えると、運河を使ってさらに島の中に移動していく。マリー島は運河が道路代わりに利用されているのだ。

「とりあえず俺の自宅にお前を連れていく。先ほど、俺達の船の入港直後にアルドラドの船が到着したと連絡が入っている。……お前がここにいるとわかれば、ややこしい事になるからな」

その言葉にコクリと頷く。

この国は、現役で船に乗れる男が島主になる。セシリオも、2年ほど前に船を下りた父親から代替わりして、マリー・エルドリアの中心の島、マリー島の現島主となっている。
マリー島は連邦国の歴代議長をしている島なので、こんななりだけれど、彼はこの島国の最高位の人間ということになる。私はそんな驚きの事実を、昨日見た夢をきっかけに思い出していた。

「さあ、着いたぞ。とりあえず湯あみでもして、少しのんびりと休んだらいい。アリッサの叔父上もこちらを目指していると聞いているから心配するな」

ふわりとまた頭を撫でられて、なんだか子ども扱いされているようで落ち着かない。そっと額にキスが落ちてきて、当然のようにエスコートされる。

一瞬そのエスコートを素直に受けるかどうか迷うものの。
ずっと彼に付き従うテオドアが、心配そうに彼のことを見たりしているから。

「お風呂を用意してくださっているのですね。嬉しいわ、ずっとゆっくり湯舟にもつかれてないのに、海にばっかり潜っていたのですもの」
ゆっくりと彼の手に手を重ねながら告げた私の言葉に、セシリオは笑い、嬉しそうに歩き始める。

ツンデレ属性の癖に、デレてばかりじゃない。なんて心の中で文句をつけながら、それでも私はどこか幸せな気持ちで案内された屋敷にお邪魔したのだった。


***


その後湯あみをして、ドレスに着替え終わり、お茶を飲んでのんびりしていると、昼食の準備が出来た、と声が掛かった。

「アリッサの叔父上も既にこちらに到着しているぞ」
迎えに来たセシリオが当然のようにエスコートの手を伸ばす。一瞬どうしようかまた迷って、お世話になっている人に恥をかかせることもないかと素直に従う。

「……アリッサが素直過ぎると気持ち悪いな」
そのくせにそんなことを言い出すから。

「お世話になっているから恥をかかせることはないって思ったんですけど、そういう言い方をされるのでしたら……」
手を離そうとしたら、逆にぎゅっとその手をもう一方の手で押さえ込む。

「……もうアリッサの叔父上が部屋で待っている。目の前で喧嘩をして心配させることもないだろう」

その言葉に小さく肩を竦めて同意する。きっと昨日の夜の後だ、心配してくれているのだろう。そのまま素直にエスコートされて、案内された部屋に入ると、既に叔父が席に座っているのが見えた。

「叔父様!」
「アリッサ……無事だったのか!」
お互いに手を取って無事を確認し合う。叔父は私と同じ金色の髪に、母と同じヘーゼル色の瞳をしている。その瞳がほっとしたように潤んだ。

「ったく、相変わらずのおてんばぶりだな。まあでもおかげで無事後宮の牢から脱出できてよかった。海に出てくれば、なんとでも逃してやるつもりだったが、キサリエル国内では国王陛下の威光が強くてどうしようもなかったからな。それに……俺達より早く見つけてくれたのが、セシリオ船長の船で本当によかった」

ぎゅっと抱きしめられて、アリッサは心の底からホッと安堵の吐息をつく。小さな頃からずっと目を掛けてくれている叔父は、実際の父親よりもっと頼りにしているのだ。

「で、とりあえず今後はどうするんだ?」
食事の間にもアリッサの今後の話が進んでいく。

「うちの法律なら、海に落ちていたモノは先に拾った奴のモノだから、アリッサは俺のモノなんだが」
くつくつとセシリオが頬杖をついて笑う。

「そんな法律がまかり通るのは、まあマリー・エルドリアだけだが……。なあアリッサ、王妃様のところから何を盗んだんだ?」

「…………」
咄嗟に言おうかどうか躊躇してしまう。

「そこまでややこしそうなものか。で……それは、どのくらい執着して王妃が取り戻しに来そうなんだ?」
叔父の言葉に私は小さく吐息をついて、苦笑を浮かべる。

「多分、どうやっても取り戻したい物、だと思いますわ。ですからそれで、逆に交渉の席に引っ張り出すことはできると思いますの……」
私の台詞にセシリオは長い前髪を掻き上げて思案するような表情をする。

「なら、それでキサリエルは黙らせる事が出来そうだな。だがそれではアルドラドは納得しない……ということか?」

その言葉に私は頷く。どうやらクラウディオの話では、アルドラドでは『神の子』とやらが欲しいらしいし、それにはマリアンヌか、私かのどちらかが必要らしい。

その話をすると、叔父は頭を抱え、セシリオは剣呑な瞳でこちらに視線を向けた。

「セファーロ次期宗主の妻に、という話ならまだ理解できるが、そのクラウディオという神官の子供でもいい、ということは少なくとも真っ当な結婚話とかではない、ということだな」

「セファーロ様とマリアンヌ姫との結婚話をわざわざ潰してまで、現宗主ナサエル様にマリアンヌ姫を差し出すように、という話が出たらしいからな。まあ、真っ当な結婚話よりもっと……えげつない裏のありそうな話だろうな」

叔父は自分の扱える範囲を超えている、と深いため息をついた。

マリアンヌはアルフリード様が強国の圧力と共に発表した結婚話で、アルドラドには連れていかれないことになった連れていくことは不可能になった。。

その代理になるのはどうやら私しかいないらしいし、そうなれば向こうも譲れない問題なのだろう。

「俺がアリッサを娶る、と言えばどうだ? 海に落ちてた女神を拾ったから、妻とする、と発表してやる」
噛みつくようにセシリオが声を上げる。

「へ? 娶る?」
「どういうことだ? アリッサ、セシリオ様とそういう関係だったのか?」

声を上げる叔父と私を無視して、後ろでずっと控えていたテオドアが声を上げた。

「もちろん、アルドラド神国としては、アリッサ様への所有を主張されるでしょうが……。幸いアリッサ様が飛び込んだ海は、我々の領域内ですし、領域内であれば、我々の法律が優先されますね」

「確かに。二人の気持ちはともかくとして、
先に婚約を発表してしまえば、神殿巫女にするためにアルドラドに連れていく、というのは難しくはなるかもしれませんね」

一旦、結婚話が実際にあったかどうかは後回しにすることにしたらしい、叔父が納得の声を上げた。

「そういえば、アルドラドの神殿巫女になるための条件は清らかな乙女であること、だったな。だったら……」

チラリと突然こちらに視線を向けたセシリオが妙に色っぽい目をして、手を伸ばして私の頤を捕らえる。

「き、既成事実……は不要ですわよ」
「そ、そうだ。こっちが主張しておけば、向こうとしては否定のしようはない。不要だろう!」
私と叔父が焦って言うと、つまらなさそうにセシリオは私の頤から手を離す。

「アリッサ。少しだけ話しに付き合え」
それだけ言うと、彼は手を取って私を中庭に連れ出していく。

「セシリオ様、アリッサ?」
咄嗟に止めようとした叔父を、テオドアが止める。

「二人で話をしなければ、先に進みませんよ。こちらで少し待ちましょう」
彼らの会話を聞きながら、私は突如進み始めた結婚話に、ドキドキと不安を感じながら、彼のエスコートで中庭に出ていく。

しおり