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図書室ではお静かに

 三年生であり、しかも世界史を専攻しているトーマスが言うには、その史実は未だ解明されていないらしい。だからこうして数日間図書室に通っただけのアーニャに、その謎が解明されるハズもなかった。
 しかしだからといって何もしないわけにもいかない。ダメ元でもう少し調べてみようと思う。
「アーニャ、今日も図書室に行くの?」
「ノア」
 教室を出ようとしたところで、青い短髪の少年に呼び止められる。
 彼の名前はノア。アーニャの幼馴染である。
「急に図書室に通い始めるなんてどうしたの? 前まで暇さえあれば、「ライアンには負けたくない」って言って自主鍛錬していたのに。部活にも行っていないんだって? ルーカスがつまんないって言っていたよ」
 前世において、彼は精鋭部隊に入る事は出来なかったものの、それでもアーニャと同じ学校で学び、そしてともに王国騎士団に入隊した同期の騎士であった。また、前世でもノアとは幼い頃から親しくしていた幼馴染であり、ライアンの恋の相談(という名の愚痴)も、彼にはちょくちょくしていた。
 それ程親しかったノアに、現世で再び幼馴染として再会出来た時は嬉しさも一入で、思わず彼に抱き着き、とんでもない悲鳴とともに引き剥がされた事はまだ記憶に新しい出来事である。
「うん、ちょっと調べ物しているの。部活はしばらく休むって時期部長に伝えてあるから大丈夫」
「時期部長? トーマス先輩いないの?」
「トーマス先輩は、もうすぐ騎士団の入隊試験が始まるから。だから部活にはしばらく来られないって」
「そうなんだ。ところで調べ物って何?」
 部活を休んでまで一体何を調べているのかと、ノアはその翡翠色の瞳を真ん丸にしてコテンと首を傾げる。
 王国騎士団であった前世のノアは、アーニャが死んだ後も必死に戦い、そして国を守ってくれたのだろう。でもそんな彼もまた、長くは生きられなかったハズだ。親しかったノアが幸せになってくれる事も望んでいたのに、それすらも叶わなかった前世の願い。その原因が何だったのか、自分は知りたい。
「シュラリア国が滅んだ理由を調べているの」
「シュラリア国? それってこのアヴニール国が領土を拡大する前にあった国だよね?」
「さすがノア。よく知っているわね」
「初等科で習う事だろ? みんな知っているよ」
 トーマスと同じ事を言われた。本当に初等科の時に習っているようだ。
「滅んだ理由なんか調べてどうするの?」
「どうするって聞かれても困るんだけど……。知的好奇心っていうの? ただ知りたいだけ」
 どうもこうも、その理由を知ったところでアーニャにはどうする事も出来ない。だって時代は進み、シュラリア国はもうないのだから。例えその理由が分かったとしても、シュラリア国は甦らないし、前世の自分がどうこう出来るわけでもない。
 だからただ知りたいだけなのだ。自分達が命と引き換えに守ったハズのシュラリア国。それが僅か十年で滅んでしまった、その理由を。
「ふうん。手伝おうか?」
「ううん、大丈夫、一人で調べたいから」
「そう? じゃあ止めないけど……。でもあんまり無理するなよ。お前、熱中すると周りが見えなくなるんだから」
「あはは、心配してくれてありがとう、気を付けるわ。それじゃ、また明日」
「ああ、また明日ね」
 さよなら、じゃなくて、また明日。そう言える事に小さな幸せを噛み締めながら。アーニャは今日もまた、学校にある図書室に向かう事にした。



 様々な知識だけでなく、体術や剣術など戦闘能力を鍛え、王国の騎士や良家に使える兵士、そして民間企業に勤める傭兵などに就職する事を目的とした専門学校、『傭兵育成専門学校』。全寮制であるこの学校は中々に大きく、様々な設備も整っている。そしてその図書室も例外ではなく、王家や良家に仕える学生のためにと、色々な分野の本が取り揃えられていた(まさかの漫画コーナーや、アイドルの写真集まである)。
 その広い図書室には、本棚の他に机や椅子が並べられており、そこを自由に使って読書や勉強が出来るのだが、その読書スペースに見えたその姿に、アーニャは思わず表情を顰めた。
そこで勉強をしていたのはライアン。そしてその向かい側の席には、先日同じクラスに転入して来た少女、リア・スタンブールの姿があった。
(最近、やたら話し掛けて来ないと思ったらリアが来たからか。やっぱり現世でも、ライアンはリアに夢中ってわけね)
 仲良く勉強をしている二人を遠目で眺めながら、アーニャはライアンの変わり身の早さにうんざりと溜め息を吐く。前まではどんなに冷たく突き放しても、懲りずに近寄って来たというのに。それなのに前の女が現れた途端にこれか。別に今はライアンの事なんか嫌いだから、リアに夢中になってくれた方がいいのだけれど……。でも、それでも何だか面白くない。
(ムカつく)
 仲良く勉強をしている二人を見ているだけで、こんなにもイライラさせられるのは、ある意味二人の才能か何かなのだろうか。とにかくこれ以上二人を見ていても、良い事は何一つとしてない。ライアンが近寄って来ないのはむしろ好都合なんだし、自分もさっさと調べ物をする事にしよう。
(そういえば前世の私は、勉強を教えてもらっているリアが羨ましくって、自分にも教えて欲しいって、無理矢理あそこに割り込んでいたんだっけ)
 歴史書のある棚から本を選びながら、アーニャは前世の事を思い出す。
 途中から転入して来た生徒、リア。そのため他の生徒よりも勉強が遅れていると感じたリアは、その遅れを取り戻そうと図書室で勉強をしていたらしい。そしてそれを見付けたライアンが、自分も力になろうと自ら進んで彼女に勉強を教えるようになったのだ。
 ライアンが図書室でリアに勉強を教えている。それを知ったアーニャは羨ましくて仕方がなかった。だから図書室に乗り込んで、ついでに自分にも勉強を教えろと、ライアンとリアの輪に無理矢理入って行ったのだ。もちろんライアンは大変迷惑そうな顔をしていたのだが……でも、ついでに教えてくれたって良かったんじゃないだろうか。
(そりゃ、仲睦まじく勉強をしている二人の邪魔をした私も悪いけど。でも、あそこまで邪険にする事もなかったんじゃないかしら)
 ここの公式を教えてくれと言えば、「煩い、黙れ」。もう一度解き方を説明して欲しいと頼めば、「喋るな、耳障りだ」。何故答えがこうなるのかと問えば、「邪魔だ、消えろ」。割り込んだとはいえ、ちゃんと勉強をしようとしている相手に対して酷過ぎるだろう。リアには優しい笑顔で教えていたクセに。次恋愛する時は、もっと心の広い男子にしよう。
 そんな事を考えながら、本棚から本を取り、パラパラと中を見ては戻すを繰り返す。
 本に載っているのは、アヴニール国がここまで大きくなるまでについて書かれている本が多く、シュラリア国について書かれている本はあまりない。ここがシュラリア国の一部であるのなら、シュラリア国について書かれている本がもっとあっても良さそうなのに。どこかにもっと参考になる本はないだろうか。
(そういえば、シュラリア国領土分配戦争だっけ? アヴニール国がシュラリア国に攻め込み、領土を拡大した戦争。じゃあ、その戦争についての本を探せば、何か手掛かりがあるかもしれない)
 再び本棚を見上げ、それらしき本を探し、手に取る。
 それをパラパラと捲りながら、アーニャは更に考え込んだ。
(アヴニール国は領土分配戦争の勝利国の一つ。という事はあの時代、シュラリア国の周辺にあった国の一つだわ。でも、そんな国の名前なんてあの時は聞いた事もなかった。って事は、アヴニール国が生まれたのはその戦争に勝利した時か、それよりももっと後のハズ。じゃあ、当時の名は? アヴニール国の元となった国はどこ?)
 パタンと本を閉じ、今度はそれが書いていそうな本を探す。
 それを探しながら、アーニャは「そういえば」と思い付いた。
(ピートヴァール戦についての本もないかしら? 私達が死んだのは第六回ピートヴァール戦の時。それが詳しく書いてある本はないかな? 私達はあの時インフェルノを破壊したハズだけど……ちゃんと破壊出来ていたよね? それともまだどこかに資料が残っていて、歴史書に記述があったりするのかな?)
 それも確認しておかないと、とアーニャは本を探す。
 と、その時だった。棚の一番上に、『シュラリア国の滅亡』と書かれた本を見付けたのは。
(シュラリア国! あれだ、あの本だ!)
 その国名に、アーニャはパアッと表情を綻ばせる。
今までの本には『アヴニール国になるまで』とか、『アヴニール国の全歴史』などといった、シュラリア国について書かれているのかどうか微妙なタイトルばかりで、それを読んでも結局はアーニャの求める情報は載っていなかった。
 しかし、この本にははっきりと『シュラリア国』と表記されている。これだ、この本だ。これならば自分の求める情報も少しは載っているかもしれない。
(でも取れないな)
 その本があるのは、一番上の棚。手を伸ばしてはみたけれど、アーニャの身長ではあと少しのところで手が届かない。それを取るには、図書室にある脚立を使う必要があるようだ。
(脚立? あれ、でも脚立って……)
 脚立を探そうとしたところで、アーニャはふと前世での出来事を思い出す。
 確か前世でも、アーニャは脚立を使って本を取ろうとした事があった。でもあの時はその脚立が……。
「この本がいるのか?」
「え? あ、うん、そうなの、ありが……」
 その時の事を思い出そうとしていた時、不意に背後から声が掛けられる。
 スッと背後から伸びて来た手。それがアーニャの欲していた本を引き抜けば、アーニャは反射的に礼を述べ……、
「ひぃああああああああッ?」
 そして反射的に悲鳴を上げた。
「ラッ、ラライアンンンンッ?」
 振り向いた先にいた人物に、アーニャは言葉通りに飛び上がって驚く。
 そしてこれまた反射的に勢いよく後退さったせいで、後ろの本棚に思いっきり体をぶつけた。
「い……っ!」
 その上、上の棚から落ちて来た本達に頭を殴られた。かなり痛い。
「だ、大丈夫か……?」
 頭を押さえて蹲るアーニャに、ライアンが心配そうに声を掛ける。
 するとその声を聞きつけた司書の教師が、勢いよく飛んで来た。
「ちょっと煩いよ、あんた達! 何やってんだい!」
「す、すみませんっ!」
「すみません、先生。僕が彼女を驚かせてしまったんです。すぐに片付けます」
 慌てて謝るアーニャに続いて、ライアンもまた謝罪とともに状況を説明する。
 それによって司書を納得させると、ライアンは落ちて来た本に手を伸ばした。
「いいよ、ライアン。私が自分で片付けるから」
「いや、驚かせてしまったオレにも非があるし、お前じゃ届かないだろう。オレがやるから、お前は休んでいていいぞ」
「脚立使えば私でも届くわよ」
「脚立?」
 そう言うや否や、アーニャは脚立を取って来る。
 しかしその脚立に上ろうとしたアーニャを、ライアンは慌てて止めた。
「止めろ、危ないだろ」
「何よ、落ちたりしないわよ。バカにしないで」
「バカになんてしていない。お前が上る必要はないと言っているんだ。オレが片付ける。無駄な事をするな」
「む、無駄じゃないわよ。だいたい本を落としたのは私よ? だったら私が自分で片付けるべきだわ。ライアンがやる必要こそないの、放っておいて」
「放っておいたら落ちるだろう」
「落ちないって言ってんでしょ!」
「煩いよッ!」
「ご、ごめんなさいッ!」
 苛立ったアーニャがそう叫んだ瞬間、再び司書が飛んで来る。しまった、また怒らせてしまった。
「図書室では静かにするって常識を知らないのかい! そんな非常識なヤツは今すぐ出て行きな!」
「すみません、すみません、すみませんっ!」
「すみません、先生。僕が彼女を怒らせてしまったんです。僕が出て行くので、何とか彼女は許してもらえませんか?」
(はあ? 何で私だけが悪い事になってんのよっ!)
「まあ、イケメン君がそう言うんなら仕方ないか」
「ありがとうございます」
(いいのかよっ!)
 そのやり取りに、アーニャは頭を抱えて悶える。何だ、この納得出来ない展開は。
「その代わり、閉館したら図書室の掃除をして帰りな。あと、もう一度煩くしたら問答無用で追い出すよ。いいね?」
「はい、分かりました」
 そう指示を出す司書にペコリと頭を下げてから。
 今日は戻る時間が遅くなるなあ、とアーニャは小さく溜め息を吐いた。

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