消された歴史
日が沈む頃。アーニャはモップを手に深い溜め息を吐く。
閉館した図書室。その机の上に散乱するのは本、本、本。何故、みんな読んだ本の後片付けをしないで帰るのか。図書室で大声を出して罰を与えられるのなら、本を片付けないで帰るヤツらにも罰を与えて欲しい。
「ライアン、私も手伝うよ。三人でやった方が早く終わるでしょ?」
「いや、気にしなくていい。リアは悪くないんだ。先に帰っていてくれ」
「でも……」
「罰とは、非がある者が受け、そして反省するモノだ。今回の件で、リアには非がない。だからお前が罰を受けるのは間違っている。そうだろ?」
「うん……」
「気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとう」
「分かった、じゃあまた明日ね、ライアン」
「ああ、また明日」
そんな会話が、図書室の入り口から聞こえて来る。
確かにリアが罰を受ける必要は全くない。けれどもライアンもまた、それを受ける必要はないのではないだろうか。
「ライアンも帰りなよ。掃除を言い渡されたのは私なんだから。ライアンこそ関係ないよ」
リアを見送り、図書室に戻って来たライアンに、アーニャは溜め息交じりにそう声を掛ける。
するとライアンは困ったように眉を顰めながら、アーニャと同じように溜め息を吐いた。
「不審者が入って来たらどうするつもりだ?」
「入って来ないよ」
学校にある図書室だぞ。不審者が入って来る可能性は極めて低い。
「オレにも非があるし、二人でやった方が早い。夕食の時間に間に合わなくなってもいいのか?」
「う……」
「いいから始めるぞ」
そう言ってアーニャを無理矢理納得させると、ライアンは黙々と本を片付ける。
確かにライアンの言う通り、早くしないと夕食の時間に間に合わなくなってしまう。ライアンの手を借りるのは何か癪だが、ここは協力してさっさと終わらせるべきだろう。
(そういえば、前世では本棚をひっくり返しちゃったんだっけ?)
モップで床を掃きながら、アーニャは前世で本をぶちまけた時の事を思い出す。
あれは、ライアンとリアの勉強会に、アーニャが懲りずに無理矢理割り込んでいたある日の事だった。とある資料を持って来て欲しいとリアに頼まれたアーニャは、仕方なくその資料を探していた。もちろん「自分で探して来なよ」とは言ったのだが、ライアンに「オレ達の勉強の邪魔をしているクセに、そのくらいの協力も出来ないのか? どこまで器の小さい人間なんだ」と言われたので、仕方なく探して来てやる事にしたのだ。
そしてようやく見つけた資料だが、それがあったのは今日のように一番上の棚。当然手の届かないアーニャは、近くにあった脚立を使ってその本を取る事にした。
しかし、そこで事件は起きた。運の悪い事に、その脚立のネジが緩んでいたのだ。それを知らず、一番上に上ったアーニャの体重を支え切れなかった脚立は、音を立てて壊れた。突然の事に驚いたアーニャは目の前にあった本棚にしがみ付き、そのせいで本棚をひっくり返してしまったのである。
(あの時は体も痛かったけど。でもそれ以上に人間の心の冷たさに、私の心も痛んだっけなあ)
前世を思い出しながら、アーニャは溜め息を吐く。
脚立のせいにしても、その主張は聞いてもらえず、アーニャは司書に怒鳴り付けられた後、図書室の片付けを命じられた。そしてそれを見ていた生徒達の中に手伝おうとしてくれる者は誰一人としておらず、みんな本の貸し出し手続きを済ませると、巻き込まれたくないとばかりにさっさと図書室から出て行ってしまったのだ。ライアンなんかは「付き合い切れないな」と捨て台詞を吐いて、心配そうなリアを連れて一番に図書室から出て行った。「手伝ってくれないなんて、あなたのお友達は冷たいわね」と同情してくれた司書もまた、同情するだけで手伝ってはくれず、アーニャは半泣きになりながら、一人で本を片付けなければならなかったのである。
(前世はこの脚立が壊れていたからひっくり返っちゃったのよね? そういえばさっき脚立に乗ろうとしたら、ライアンが危ないって止めてくれたけど……。もしかしてライアン、この脚立が壊れているって知っていたのかな?)
先程使おうとした脚立。その近くの掃除をしていたところでふと思う。本棚の一番近くにあったこの脚立。おそらく前世で使ったモノと同じ脚立だろう。ライアンが止めなければこの脚立に乗っていたところだったが、そしたら今日も脚立が壊れ、前世のように本棚をひっくり返してしまったのだろうか。
(いや、今日はネジが緩んでない。って事は、今日は乗っても前世のようにはならなかったんだ)
脚立を見て、そこに異常がない事を確認する。異常がないという事は、ライアンは脚立が壊れているから止めたわけではなく、アーニャが脚立に乗って落ちないわけがないと思ったから止めたのだ。何とも失礼な男である。
(何よ、人の事バカにしやがって。おかげで結局怒られちゃったじゃないのよ!)
前世のように本棚をひっくり返さなかっただけマシなのだろうが、ライアンが話し掛けて来なければ、こうして罰当番をさせられる事もなかったのだ。まったく、本当に余計な事をしてくれたものだ。
(何が、「付き合い切れないな」よ。だったらその言葉の通り、今日も付き合うなっつーの!)
前世で自分がどれだけ心細かったか分かるだろうか。本棚をひっくり返して司書に怒鳴られただけでも落ち込んでいたのに。それなのに一番に手を差し伸べて欲しかった人からも冷たい言葉を吐き捨てられ、真っ先に見捨てられてしまったのだ。その後、それを見ていた生徒達からも遠巻きにクスクスと笑われた。それがどんなに惨めで悔しくて、そして悲しかった事か。せめて何も言わずに立ち去ってくれたのなら、あそこまで悔しい思いをする事も、無関係の生徒達に笑われる事もなかったのに。前世でも現世でも、ライアンは本当に余計な事ばかりをする。
(助けるなら、今日じゃなくってあの時に助けて欲しかったのに)
バカにされた目を集めてから、一人で後片付けをしなければならなかった自分。悪いのは自分だが、それでもやっぱり悲しかった。
「脚立がどうかしたのか?」
「ああ、ごめんなさい、何でもないわ」
掃除の手を止め、脚立をぼんやりと眺めていたアーニャを不思議に思ったのだろう。どうしたのかとライアンが話し掛けて来るが、アーニャは彼を軽くあしらってから、ゴミを掃き取るためのちりとりを取りに行く。
「あれ?」
しかしそれが入っているハズの掃除用具入れにちりとりはなく、そのちりとりは、何故か掃除用具入れの棚の上にちょこんと乗っかっていた。
(誰の悪戯よ、あれ……)
どうやら先に使った誰かが、悪戯で投げて乗せたらしい。まったく、使ったら元の場所に戻すようにと親に習わなかったのだろうか。次に使う人が迷惑じゃないか。
「何してるんだ?」
もちろん手の届かないアーニャは、脚立を使ってちりとりを取らなければならない。
その音で気が付いたのだろう。脚立を準備していたところでライアンが不思議そうに声を掛けて来た。
「ちりとりが掃除用具入れの上に乗っているのよ」
「ちりとり?」
「誰かが悪戯で上げたみたいなの」
「ああ……」
それを見て状況を理解したのだろう。ライアンは「分かった」と頷いた。
「なら、オレが取ろう」
「いいよ、自分でやるわ」
「お前じゃ手が届かないだろう」
「ライアンも届かないよね?」
「オレは脚立に上るから大丈夫だ」
「だったら私も脚立に上るから大丈夫よ」
「ダメだ。お前は落ちるだろう」
「落ちないわよ!」
何だ、その断言。真面目な顔で言うから、余計に腹が立つ。
誰が落ちるか、と睨み付けてから、アーニャはライアンを無視して脚立を上る。
しかし、
「いいから、下りろ」
「ひゃああああっ!」
その途中でライアンに脇腹を掴まれる。そしてまるで猫でも扱うかのように抱き上げられると、ライアンはアーニャの体を力づくで脚立から下ろした。
コ、コイツ、麗しき乙女の脇腹に何て事を……っ!
「なっ、何すんのよッ!」
「落ちたら危ないだろう」
「今の方がよっぽど危ないわよッ!」
突然脇腹を掴まれたから、ビックリして腰が抜けた。悔しいが胸もドキドキする。
「どうした、そんなところで蹲って?」
「何でもない! 放っておいてよ!」
「?」
アーニャが蹲っている間にちりとりを取って来たライアンが、その場に座り込んでいるアーニャに不思議そうに首を傾げる。まったく、誰のせいだと思っているんだ。
(こ、このままじゃダメだわ。ライアンより強くならなきゃ、ライアンにいいようにされっ放しよ。シュラリア国の王家滅亡の原因も気になるけど、自主鍛錬もして、ライアンに太刀打ち出来るようにもならなくちゃ!)
ギリリと唇を噛み締めながら、固くそう誓う。
そんな時だった。動けなくなっているアーニャの代わりにゴミを捨て、脚立を片付けてくれたライアンが戻って来たのは。
「ある程度終わったな。先生に報告して帰ろう。立てそうか?」
「……」
そっと、ライアンが手を差し伸べる。前世のアーニャであれば喜んで取ったのだろうが、今のアーニャにそんな気はない。それを無視して自力で立ち上がると、アーニャはスカートに付いた埃をパタパタと手で払った。
「手伝ってくれてありがとう。先生のところには私一人で行くから、ライアンは先に戻ってて」
「いや、お前が一人で行く必要はない。オレも行こう」
少し寂しそうに手を引っ込めてから、ライアンはそう申し出る。
そんな彼に対して、アーニャもまた「別にいい」と首を横に振った。
「報告くらい一人で出来るわ。勉強があるでしょ。これ以上私に付き合わなくていいわよ」
「それって、今月末にある休み明け学力考査の勉強の事か? でもそれならお前も一緒だろう?」
それともまさか学力考査をサボるつもりなのかと表情を歪めるライアンに、アーニャは苛立ったように眉を顰める。誰が学力考査なんてサボるか。そんな事をしたら、内申にとんでもない傷が付くわ。
「違うわよ、リアの事よ。さっきまで一緒に勉強してたでしょ? それなのに私のせいで中断する事になっちゃったじゃない。早く戻って教えてあげたら? 待っているんじゃないの?」
「もしかして……嫉妬してるのか?」
「してないわよッ!」
どこをどう聞いたらそうなるんだろうか。そして何でそんなに嬉しそうなのか。
「そうか……最近やたらとリアが話し掛けて来て、そのせいであまりお前と話せなくなってしまったから、もしかして嫉妬しているんじゃないかと思ったんだが……そうか、違うのか……」
「……」
今度は残念そうに肩を落としてしまったライアンに、アーニャは思わず絶句する。
何だ、その発想。とんでもないポジティブ思考だな。
「確かにリアに頼まれ、勉強を教える事はある。けど、ここに来た目的はそれじゃない。オレがここで読書をしていたら、偶然リアが来て、いつものように勉強を教えて欲しいと頼まれたんだ。だからオレは、アーニャが来るまでの間だったら構わないという条件付きで、リアに勉強を教えていたんだ。だからこの後、わざわざリアに勉強を教える予定はない」
「え、あ、そうなんだ……?」
その言葉に、アーニャはキョトンと目を丸くする。
ライアンはそう説明するが、前世では確かにライアンの方が、進んでリアに勉強を教えていたハズだ。一人で勉強していたリアが気になり、ライアンの方から声を掛け、放課後は常に二人で図書室に通って勉強していたハズなのだが、どうやら現世はその逆で、リアの方からライアンに勉強を教えて欲しいと頼んでいるらしい。なるほど、という事は、現世ではライアンではなくて、リアの方から彼の事が好きになるのか。
(って……うん?)
と、そこでアーニャはようやく気が付く。
そういえばさっき、ライアンは『アーニャが来るまでの間』という条件付きでリアに勉強を教えていると言っていたが……アーニャが来るまでって何だ?
「え、待って。私、ライアンと約束なんかしてないよね?」
アーニャが図書室に来たのは、いつも通りシュラリア国の王家滅亡の原因を調べるためだ。ライアンはおろか、誰とも図書室で会う約束なんかしていない。
それなのに何故、ライアンは自分が来るまでの条件なんか付けたのだろう。それとも忘れているだけで、彼と何か約束でもしていただろうか。
「最近図書室に通っているんだろう? だからここで待っていた」
「何でよ?」
さも当然のように言ってのけるライアンに、アーニャは表情を引き攣らせる。何故、自分が図書室に通っていると、ライアンが待っている展開になるんだ? ちょっと意味が分からない。
「部活動も休んで放課後は図書室に無駄に引き籠っているって、ルーカスが言っていたぞ」
そうか、ルーカス情報か。あのお喋りさんめ!
「何してるんだ? 勉強か?」
「別に。ライアンには関係ないよ」
「分からないところがあるのなら、教えようか? オレの方が頭良いし」
「いらないわよ! 勉強じゃないもの!」
「なるほど、なら、調べ物か」
「……」
しまった。つい「オレの方が頭良いし」にイラっとして、うっかり喋ってしまった。
「何を調べているんだ? 良かったらオレも手伝うよ。二人でやった方が効率が良いだろう?」
「いい。一人でやるから」
「一人でやるのは大変じゃないか?」
「一人でやりたいの。放っておいて」
「知っている事ならオレが教え……」
「いらないって言ってるでしょ! しつこいなッ!」
あまりにもしつこく言い寄って来るライアンを、アーニャはピシャリと怒鳴り付けて黙らせる。
ギロリと睨み付けてやれば、ライアンは傷付いた表情を浮かべ、しゅんと項垂れてしまう。
そんな彼の姿に、アーニャの良心がズキリと痛んだ。
(な、何よ、そんな表情しやがって! 自分だって同じような事していたクセに……っ!)
何度もしつこく言い寄って来るアーニャに、ライアンもまた怒りを募らせ、こうして怒鳴付けた事がある。そんな時はアーニャも傷付いてしゅんと項垂れていたのだが、そんな彼女にも手加減などせず、ライアンは更に罵声を浴びせ続けていた。
(「何だ、今度は被害者気取りか」とか、「他人のせいにする術だけは優秀だな」とか、「自分を擁護しなければ生きていけないのか? 楽な人生送っているな」とか言っていたくせに!)
それなのに何だ、自分だって被害者みたいな顔しているじゃないか。ああ、この状況、前世のライアンに見せ付けてやりたい!
「……。言い過ぎた、ごめん。でも本当に一人でやりたいだけだから。だから悪いけど放っておいて」
全良心を総動員させ、自分は前世のライアンとは違うというところを、脳内にいる前世のライアンに見せ付けてやる。
そうしてから、アーニャはふと気が付く。
ライアンの手に、一冊の本が抱えられている事に。
「その本、何?」
「ああ、掃除用具入れの上に、ちりとりと一緒に投げられていたんだ。歴史書のようだな」
「ふうん……」
どうやら後で片付けようとしていたらしい。
しかし、その本のタイトルを見た瞬間、アーニャの目がカッと見開いた。
「そっ、それだあっ!」
「っ!」
突然大声を上げたアーニャに、ライアンは驚いてビクリと肩を震わせる。
アーニャが声を上げるのも無理はない。何故ならその本のタイトルは、『シュラリア国とピートヴァール国全対戦』。これだ、この本しかない!
「ライアン、その本! その本ちょうだい!」
「あ、ああ……」
物凄い勢いで強請って来るアーニャに戸惑いながらも、ライアンは彼女に大人しくその本を手渡す。ビックリした。こんなに積極的に迫って来る彼女は初めてだ。
「その本を探していたのか?」
「うん、そう。見付かって良かったわ」
嬉しそうに表情を綻ばせるアーニャとは対称的に、ライアンは表情を歪める。
そしてさっさと帰ろうとしているアーニャを、その名を呼ぶ事によって呼び止めた。
「お前が調べたい事とは、アヴニール国が建国する前にあった国、シュラリア国の事なのか?」
「……」
しまった。目的の本が目の前に現れた事につい夢中になり、この本を手に取れば、何を調べようとしているのかがライアンにバレるとか、そういう事は考えずについ喜んでしまった。
しかしバレてしまったモノは仕方がない。ここは変な誤魔化しは入れず、大人しく首を縦に振ろうと思う。
そう観念すると、アーニャは心の中で舌打ちをしながら、仕方なく首を縦に振った。
「そうよ。私が調べているのは、シュラリア国についてよ」
「シュラリア国の何を調べているんだ?」
「歴史よ」
「歴史を調べてどうするんだ?」
「どうもしないわ。ただ知りたいだけ」
「何が知りたいんだ?」
「……」
しつこいな、とアーニャはムッと眉を顰めた。
「だから歴史だって言ってんじゃない」
「歴史の何を知りたいんだ?」
「ああもう、煩いなっ!」
根掘り葉掘り聞いて来るライアンに、さすがに我慢の限界が来たアーニャは、その苛立ちを隠そうともせずにギロリとライアンを睨み付けた。
「そこまで教える必要ある? 掃除の手伝いをしてくれた事には感謝するけど、それとこれとは話が別! これ以上私に踏み込まないで! じゃあねっ!」
そう吐き捨てると、アーニャはクルリと踵を返す。
しかしさっさとその場から立ち去ろうとするアーニャを、ライアンは、今度はその腕を掴む事によって引き止めた。
「アーニャ」
「何よ!」
クルリと振り返り、ギロリと睨み付けてやる。
しかしそんな彼女の態度に臆する事なく、ライアンは真剣に彼女の目を見つめた。
「シュラリア国の、何を調べているんだ?」
「……」
本当にしつこいな。さっきから歴史だって、何度も言っているじゃないか。
「だから……っ」
「明かされてはならない史実じゃないだろうな」
「え……?」
アーニャが何度も同じ事を口にする前に、ライアンがそう確認をして来る。
明かされてはならない史実? 何だ、それは?
「何、それ……?」
「……」
どういう事だと、アーニャは眉を顰める。
するとライアンは少しだけ言い淀んでから、それでも真剣に言葉を続けた。
「シュラリア国がアヴニール国建国前に、この場にあった国だという事は知っているな? つまりアヴニール国は、元シュラリア国であるとも言える。しかしそれにも関わらず、シュラリア国には謎が多い。何でか分かるか?」
「何でって……研究が進んでいないからじゃないの?」
「オレ達国民が、知ってはならない史実が隠されているからだ」
「はあっ?」
知ってはならない史実? 何だ、それは?
「知ってはならない史実って、どういう事? 私達が知ってはいけない事って何?」
「それは知らない。だが、聞いた事はある。シュラリア国には敢えて明らかにされてはいない史実があると。そしてそれは、研究する事自体が禁じられていると。お前が調べようとしているのは、そういう事じゃないだろうな?」
「そ、それは……」
真剣に瞳を見つめられ、アーニャは戸惑いに瞳を揺らがせる。
シュラリア国で敢えて明らかにされてはいない史実とは、一体なんなのだろうか。もしかして国王陛下が精鋭部隊に下した『死』の命令? いや、自分達が破壊した最悪の兵器『インフェルノ』の存在? それとも王家が滅亡した直接の原因?
(一番可能性が高いのは、インフェルノの存在かしら? 確かにあれは、世に出してはいけない兵器、平和なこの時代には必要のないモノ……)
ライアンから視線を逸らし、アーニャはその可能性を考える。
そんな彼女を見つめながら、ライアンは更に言葉を続けた。
「おそらくそれを解明する事自体が危険なんだ。だから研究者の中でも敢えてそれは解明されていない。お前もそれに触れる前に、止めた方がいい」
「……」
解明されたら危険なモノ、やはりインフェルノだろうか。確かにあれが再び開発されれば、世界は大変な事になる。それを所有する国が他国を脅迫、攻撃し、他の国を支配下におこうとする可能性があるからだ。そうなればこの世界は平和ではいられない。その兵器を奪おうと戦争が始まるかもしれないのだから。
「危険な事は調べないわ。私が調べるのは、本に載っている程度の事だけよ」
危険な事をしようとしているのではないかと危惧するライアンにそう伝えると、アーニャは真剣に自分を見つめて来るライアンに、その視線を合わせた。
「危険があるって教えてくれてありがとう。でも私が調べているのは、シュラリア国が滅亡した原因なの。特に危険な事じゃないから大丈夫よ」
「……。そうか」
危険がない事を説明しなければ放してくれなさそうなライアンに正直にそう伝えれば、ライアンは大人しくアーニャから手を放してくれる。良かった、何とか納得してくれたようだ。
「そのくらいなら、お前のところの部長が知っているんじゃないのか? 確か世界史を専攻しているんだろう? ルーカスが言っていた」
(ルーカス……)
ルーカスめ。本当にアイツ、何でもよく喋るな。
「トーマス先輩が言うには、王家が滅亡したのが原因じゃないかって。だけどその王家滅亡の原因が明らかにされていないらしいの。私は、その王家が滅亡した原因を調べているのよ」
「そうか……。でも、世界史を専攻している先輩でさえ知らない事なんだろ? だったら図書室で調べても、その原因は出て来ないんじゃないのか?」
「それはそうかもしれないけど……。でも、納得出来るまで調べたいのよ。それで出て来ないのなら仕方ないわ」
「そうか……」
死んで欲しくない、大切な人達がいた国。その人達を守りたくて死んだ自分としては、その国が自分の死後十年しか持たなかった理由を知りたい。もちろん、それはライアンには言えないけれど。
「じゃあ、私はこの本を読みたいからもう行くわ。先生には私が報告しておくから。じゃあね」
そう告げて、アーニャは今度こそ図書室を後にする。今度はライアンに引き止められる事はなかった。
「王家滅亡の原因、か……」
アーニャがその場から立ち去った後で。ライアンはポツリとそれを口にする。
「危険だな」
薄暗くなった図書室で。そう呟いたライアンの瞳が異様な輝きを放っていた事は、この時のアーニャはまだ知らない。