83 泡沫にて(2)
不自然な沈黙を断ち切るように、キャロルが軽い咳払いをする。
「ね、ねぇ…ランセット。そもそも私たち、今どこにいて、どうなってるのかな……?」
その言葉に合わせるように、ランセットも、咳払い一つで照れ笑いを収めて、辺りを見回した。
「…日本風に言えば、
「
「まあ、そうですね。それもありますが…先程から、しきりにエルが――ヘクターが、どこからか自分を呼んでくれています。一緒に
「それは…確かに。じゃあ、
小首を傾げるキャロルに、ランセットもおいそれとは賛成出来なかった。
「どうでしょう。私もキャロル様も、あれだけ
「あぁ…例えば身体がある程度回復をするまでは、目も開けられない…とか?」
「それすらも、想像の域を出ませんが」
うーん…と、
「問題?」
「私に聞こえているヘクターの声は、恐らくキャロル様には届いていませんよね?だとすると、私が声を
「…私を…呼ぶ声……」
「ヘクターは、私に『連れて帰って来い』とは言いますが、キャロル様に直接『帰って来て欲しい』とは言っていません。その差があって、キャロル様のお耳には、声が届いていないのではないか、と」
「じゃあ、ランセットが先に帰って私を――」
「本気でおっしゃっておいでですか、キャロル様?」
実際の身体は、ここにはない筈なのに、思わずキャロルはランセットの怒りを感じて、寒気を覚えてしまった。
「……ゴメンナサイ」
「それが確実な方法なら、検討もしますが、私の推測でしかない以上、賭けの
「そ…れは…っ」
「キャロル様が、呼ぶ声にお
「………」
「悩まれた際は、遠慮なくご相談下さい。これでも元・私立聖樹学院の教師でしたから、
半ば開き直りぎみのランセットに、キャロルはぐぅの音も出ない。
彼なら立派なロータスの後継者になれるかも知れない。
そんな風に少しいじけるキャロルを、ランセットはしばらく――キャロルがふいに片方の耳に手を当てて、顔をしかめるまで――見て見ぬフリを通した。
「……っ!」
それが、どのくらいの時間がたってからの事だったのかは、2人には、分からない。
もしかして、こうやって会話を交わしている事自体が、夢なのかと思う時間もあった。
『キャロルっ‼』
頭の中いっぱいに響き渡ったその声の主は――見えなくとも、分かった。
「キャロル様」
ランセットが片膝をついて、
「……声が、聞こえますか。他の誰でもなく、キャロル様を呼ぶ、声が」
「ランセット……」
「お気持ちは、定まっていますか?」
「ランセットは…声、は……?」
「聞こえています。もっとも、今はヘクターではなくキティ…キルスティンが、
やや苦笑気味のランセットに、ふと、キャロルが顔を上げた。
「キルスティン……侍女の、キルスティン・ダーリ?」
「ええ、まあ…こちらでの、生まれ故郷の幼なじみでして。私が侯爵邸でお世話になるようになって、半年ほどした頃に、追いかけて来てくれた、大変
「……えっ」
「じゃあ…ランセットは…帰らなきゃ……」
「彼女もヘクターと一緒で、私がどちらを決断しようと、それがキャロル様と同じ方向を向いての事であれば、何も言わない筈です。だからと言って、私に引きずられないで下さい。――何に迷っていらっしゃいますか、今?」
「……っ」
ビクリ、と身体を震わせたキャロルが、そっと自分の左手に、視線を落とした。
それは名前を呼ばれ、手を握られているからだと、ランセットに悟らせる。
何故ならそれは、ランセットの名を呼んで、手を握りしめているらしいキルスティンが、自分に伝えてくる感覚に対しての反応と、同じに見えたからだ。