82 泡沫にて(1)
「あれは……
問われたランセットが、ゆっくりと目を
二人が共通して、夢のように見ている意識の先にあるのは――全ての始まりの地。
「貴方はもしかして……〝エールデ・クロニクル〟を…読んだ、人…?」
「キャロル様……」
「
自分自身を指差すキャロルの、真正面からの視線に、ランセットが小さく息を呑む。
「もしかしたら、貴方とは時代が違うのかも知れない。私が知っているのは、もっと新しい校舎で、図書室。だけど――」
「……
一拍置いて、絞り出すように、
そんな風に
「ただどうか、もう…ランセットで…お願いします。
「―――」
姫君を守る騎士、とは少し形が違うかも知れない。それでも、唯一と決めた
ようやく、ようやくこの世界で、地に足が着いた。
元の世界に戻れない。この世界でも、願った姿になれない。
そんな絶望は――味わいたくない。
顔を歪ませるランセットに、キャロルは続けようとした言葉を、一度呑み込んだ。
日本で暮らしていた時間は、もう戻らない――そう言い切られてしまうのは、
「私が…転生者でも、貴方が剣を捧げてくれるのに…値する……?キャロル・ローレンスとしても……死体損壊罪確定な、酷い事をしたけど……?」
「
「……ランセット……」
それでも少しだけ、懐かしいと思う気持ちを
「…ねえ。一度だけ、一度だけで良いから、母と3人でお茶をして欲しいな。私より、母の方が、貴方の時代に近い気がする。自分が日本で暮らしていた――それが、自分の妄想じゃないって、母の気持ちを、少しで良いから、安心させてあげたい」
「………カレル様、ですか?」
虚を突かれたランセットに、カレル・ローレンス――現在のカレル・レアールも、
ランセットは今度こそ、絶句している。
「でも
「設定資料……」
「私と母は『八剣深青と華森志帆』として、二人きりの時に、時々日本にいた頃の話をするけど…それでも時々、私が自分に話を合わせてくれているんじゃないか…って、揺り戻される事があるみたい。きっと貴方も加わってくれたら、母も――志帆さんも、喜ぶと思う。貴方の見ていた景色が古いのに、貴方が志帆さんより若い事に関しては、何でかな…とは、思うけど……」
「……それは」
ここまでくれば、ランセットの好むと好まざるとに関わらず、キャロルの話を疑う余地はない。
何より、過去を割り切っているランセットと違って、カレルが時折、日本にいた頃の事に揺れ戻されて、憂いていると言うのなら…それを取り除く手助けは、夫であるデューイにも、出来ない事だ。
ランセットは観念して、自分が日本で恐らく40年以上前に、聖樹学院の教師だった事と、懸賞応募の為として〝エールデ・クロニクル〟の設定資料集を書き上げたのも、自分である事とを、正直に吐露した。
「エ…〝エールデ・クロニクル〟を書いたぁ⁉」
思わず声を上げたキャロルに、ランセットが大きく両手を振った。
「いや…っ、書いたと言うには語弊が!私は本当に、それぞれの国と歴史を、初期設定として定めただけで!どうして、各国に何代も皇帝や国王が就任した歴史がもうあって、自分がその世界に飛ばされているのか、いくら考えても分からなくて……!た、ただ私が…カレル様よりも大幅に後の時代に飛ばされる事になったのは、恐らく…私が願った事が関係しているとは思いますが……」
「ランセットが願った事……?」
「…美しい姫に仕える騎士になってみたい、と……。恐らく、キャロル様の時代になるまで、そんな風に剣を捧げるに値する方が…いなかったのではないか、と……」
自分で言っていても、
実体の方は、恐らく青い顔色のままなのだろうが、こちらのランセットは、顔を真っ赤にして、ソッポを向いている。
キャロルは何とも言えない眼差しで、それを見つめた。
「…ありがとう…で、良いのかな……」
「そう言う事にしておいて下さい……」