81 対イルハルト戦(後)
(命を奪う
違う、とヘクターは思う。
自分もランセットも、共に背負いたいのだ。
いつかその事を、キャロルが心から理解してくれれば良いと、自分達は今日も剣を振るうのだ。
(まだ立てるだろう、イオ……‼)
男を蹴り飛ばしながら、ヘクターは、先に男に向かって飛び込んだキャロルの、その先を相棒に託し、自分はさらなる先を見据えるように、剣を構えた。
「怨みは〝
イルハルトが、この男を楯として使ったなら、自分もそうする。筋金入りの
自分は、軽蔑されても仕方がない事をするのだと、キャロルは僅かに息を吸った。
――腹斜筋ならば、例え非力でも貫ける確信がある。
キャロルは、飛び込んだ勢いで、既に事切れていた男の腹部に剣先を突き立て、そのまま柄の部分まで、一気に剣を斜め上に刺し貫かせた。
男の背中から突き出た剣先が――そのまま、男越しに斬りかかろうとしていた、イルハルトの右胸あたりにも、突き刺さる。
「か…はっ」
それと同時にイルハルトの口から、血が吐き出された。
「小…娘……貴様…」
しかしイルハルトは、剣を振り下ろそうとしていた手を、緩めなかった。
そのまま、渾身の力で振り下ろされた剣は、楯にされた男の右腕を丸ごと斬り落とし、男を貫いた剣を、まだ握りしめていたキャロルの右肩を
「―――…っ‼」
「キャロル様っっ‼」
ほぼ、声にならない悲鳴をあげて、膝をついたキャロルに、腹部を押さえて片膝をついていたランセットが、動いた。
剣を支えに立ち上がり、イルハルトに向かって一歩踏み出すと、その剣を下から上に振り抜き、キャロルの肩に、更に食い込もうとしていた剣を、イルハルトの手元から弾き飛ばした。
「エル…っ!」
そのまま、
「は…ぁあああっ‼」
見事期待に応えた
ランセットが床に倒れ込むのに前後するように、イルハルトの右上半身が視界に入り、ヘクターは、これが最後と、剣の柄を握り直して、イルハルトの首の付け根に、自らの剣を叩き込んだ。
左腕の傷口が開くほどの勢いだったが、そこで手を緩める選択肢は、ヘクターにはない。
空中で身体を
「…レー…テ…様……」
イルハルトの視界から、急速に光が失われていくのを見たのは、男とイルハルトに突き刺さったままの己の剣に体重を乗せる事で、かろうじて床への昏倒を防いでいた、キャロルだった。
互いに薄れゆく意識の中で、確かに最後、視線が交錯したと、キャロルは思った。
〝貴様とは…
イルハルトの唇が、そう、動いたように思う。
己の〝唯一〟の為に、目の前のこの男を利用すると言う、人道を冒涜してのけた者同士として――
イルハルトの誤算は、
同じ旗を仰いでいれば、これ以上ない程に、頼りになる味方だった筈である。
「…
「残念…だな……」
最期、確かにイルハルトの口元には、笑みが浮かんでいたように、キャロルには思えた。
「キャロル様っ‼」
ヘクターの声が、遠くに聞こえる。
「階下を…確認して……生け捕り…いれば…尋問と…ロータスへの連絡……あと…怪我人がいれば手当て…あなたと…ランセット…も……」
「どう見ても、一番手当てが必要なのは、キャロル様でしょうっっ‼」
ヘクターの左腕とて、相当深い裂傷ではあるのだが、怪我をした位置の問題として、キャロルやランセットよりは、辛うじて意識が保てている状態だった。
キャロルもランセットも、傷口から流れる血が多く、そして止まらない。
二人のうち、どちらが重傷かと言われても、判断が出来ない程だったが、キャロルとランセットでは、そもそも屋敷の中での優先順位が違う。
「お願い…刺し違えた…つもり…ない……アデリシア…殿下…に……」
「キャロル様っっ‼」
エーレ、と最後に呟いた筈のキャロルの声は――誰の耳にも届かなかった。
* * *
日直として、各部屋の戸締りをしていた途中、図書室の床に落ちていた本を拾ったのが、きっかけだった。
「エールデ・クロニクル……?」
海外の洋書のような、紅いハードカバーの装丁が印象的だった。
海外作家によるファンタジー小説とか、そう言う
最初の
私立
「一国二国では面白くないし、かと言って三国志になると、オリジナリティが評価されない、か……?」
自宅に帰り、迷った彼は、まず国を、5つ作る事から始めた。
「一つは中立の自治領があった方が、しょっちゅう戦争が起きるような、危なっかしさは減って、重しになるかな?北と南はやや大きめにして、あまり仲良く交流はしていない…的な感じか」
白地図には、鉛筆で仮の国境線を引いていく。
「この装丁からすると、イメージされるジャンルはファンタジー…中世ヨーロッパの貴族社会がベースかな。ここは、
自治領以外の4国には皇族と貴族、自治領には商家として、初級中級上級及び統括ギルドを設定した。
商業ギルド自体は、各国にも設定しておく。
「後は――どの国を選んでも、プレイヤーとしてゲームが始められる事が売りとなるように、魅力的な登場人物を決めておく事か」
皇帝、皇子、皇女、宰相、爵位のある貴族、自治領主、商人、侍女、騎士…あたりだろうか。魔法や魔物は何でもありの
各国の皇族の数、爵位の数、主要産業、交通手段…等々も、決めていく。
最後、その本には、こう書かれていた。
あなたなら、誰になってみたいですか?――と。
「僕か…僕なら、〝姫〟を守る騎士一択だな。何しろ一番、縁がなさそうな職業だ」
子を持つ親の大半が知る、有名進学校の教師にしろ、腕っぷしには全く自信がない自分としては、騎士と言う職業は、一歩間違えば
相手が美女の姫君なら、さらに理想的だと、自分でも笑ってしまう。
「ああ、でも、自分が守る姫君と恋に落ちるのと、故郷に一途に自分を思ってくれる幼なじみが待っているのと、どちらも
――彼が
『
ブラックアウトしかけた意識の向こうで、共に訓練をして、背中を預けても良いと思えた〝親友〟が、自分を呼んでいる。
『馬鹿野郎! 一緒に
…何故今、
イオルグ・ランセットと、呼ばれる前の世界を。
――
確かに、キャロルに
だからこそ、キャロルを連れ戻すために、現世以外の同じ世界を共有すると言うのなら、ここが真実「
だが、ランセットが、沈みかけていた意識を明確に取り戻した時、同じ景色を目にする筈のない人物が、隣にいる事に気が付いた。
真実、エールデ大陸で生まれ、育ったのであれば、目にする筈のない〝日本〟の光景を、共に並んで見ている人物が、ここにいる。
「………ランセット?」
引きずり戻して来いと、ベオーク・ヘクターが叫ぶ人物が、目の前に。
「ううん……
姫君の騎士になる事を願った自分が、剣を捧げた人物――キャロル・ローレンスが、目の前に。