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84 泡沫にて(3)

「…話が…違い過ぎ…て……」
「キャロル様?」

「ランセットは…例えば…キルスティンが侍女長で…自分も相応しくあろうと、努力して執事長になったと…して…実はそのキルスティンが、某国(どこか)の姫だと知ったりしたら……どう、思う……?」

 キャロルの反応から、ランセットは今、キャロルを必死になって呼んでいるのが、父親(デューイ)でも母親(カレル)でもなく、エーレ・アルバート・ルーファスなのだと察した。

 だがあり得ない仮定にしろ、あまりにも、自分の身に置き換えた時の説明が的確過ぎて、一瞬言葉に窮した。

「それ…は…躊躇するかも…知れません…ね…」

 ね?と、ほろ苦くキャロルが微笑(わら)う。

「私は…()()()は首席監察官だと思っていて…いつか胸を張って隣に立ちたい、って努力して…近衛隊長にまでなったんだけど……第一皇子って、言われちゃうと…ね。すぐ側に…席はあると思っていたのに…見えなくなった…気がして……」

「キャロル様」

 ランセットは、再度キャロルの表情を覗き込み、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「男には、大なり小なり独占欲があります。自分が大切だと思う人を、自分の手の中に閉じ込めて、ドロドロに甘やかしたいと言う、欲です」

「⁉」

「ええ。私も時々、キルスティンに対して、そんな風に思う事はありますよ。そんな事は有り得ないのに、彼女とヘクターが言葉を交わすと、訳もなくイライラしたり…ですとか」

 目を見開くキャロルに、ランセットは「本人達には秘密で」と、微笑(わら)う。

「ですから、キャロル様を呼んでいらっしゃる(かた)が、何をお望みかと言う事に添おうとするのは、問題の解決になりません。その方にとっては、キャロル様が、キャロル様のまま、自分の隣にいると言う事が全てであって、何かを諦めて、何かを押し殺してまで、側にいて欲しいと言う事ではない筈ですから」

「私の…まま……」

「私なら、キルスティンには、自分の意志で、私を選んで欲しいと思いますしね。決して私が望んだから…ではなく」

「!」

「私が望んだから…なんて言うのは、一種の逃げ道ですからね。本当に好きなら、そんな余地すら残したいと思わない。究極の独占欲ですよ。……もしや、それに近い事は言われたり、なさいましたか?」

 ランセットの言葉に、キャロルが明らかに動揺した。

「自分を…選んで欲しい…って……」

 なるほど…と、ランセットが片眉を上げる。

「それは、ただ『好きだ』と言う事よりも、重いですよ。気まぐれや、一時の情に流された程度で、そこまで言う男は、まず、いません。…本気で、()()が欲しいんでしょうね」

「……っ」

 実体であれば、顔が茹でダコになっていたに違いない、動揺ぶりだ。

 ですからね?と、言い聞かせるランセットの口調は、かつての教師時代のそれに、近くなっていたかも知れない。

「相手がどう思うか、周りがどう思うか、まして相手からどう思われたいか、ではないんです。自分が、どうしたいか――なんですよ、キャロル様。会いたいか、会いたくないか。隣に立ちたいか、立ちたくないか。隣に自分じゃない女性がいて、耐えられえるか、耐えられないか。キャロル様が悩んで、考えるなら、そこが全てです。他の事を考えても、永遠に自分の中で折り合いは、つきませんよ」

「私が…どうしたいか…」

 ランセットは再度ゆっくりと「会いたいですか?」「隣に立ちたいですか?」とキャロルに尋ね、キャロルはそのどちらにも、コクリと頷いた。

()()()の隣に、自分以外の女性がいる事には…耐えられますか?」

 最後初めて、キャロルの表情が僅かに揺らいだ。

「ちょっと…辛い、かも」

 何だかんだ、どれも、ほぼ即答である。

 ただ、一般的な貴族の姫君らしからぬ自分が、第一皇子の隣に「望まれる」事に、躊躇があるだけなのだと、ランセットには思えた。
 それもある意味、物語(ストーリー)定番(セオリー)なのかも知れない。

 相手の気持ちは、いっそ重すぎるくらいに明らかではあるのだが、こればかりは、そのうちキャロル自身に自覚してもらうより他ないのだろう。

「キャロル様。先程は、キャロル様の決断に従うとは申し上げましたが――キャロル様を呼ぶ『声』に、応えて差し上げた方が良いと、今は思います」

 そう言って、ランセットはキャロルの左手を、指差した。

「最初から『自分は相応しくない』と、決めつける事だけはおやめ下さい、キャロル様。それは相手に失礼です。それは本来、向こうが決める事なのですから…。一度はキチンと向き合って、話をなさるべきです。ご不安でしたら、おまじないを一つ、差し上げますよ」

「…おまじない……?」

「ええ。どうしても不安が(ぬぐ)えなければ、最後『自分(わたし)で良いのか』と、お尋ねになってみて下さい。そうすれば、キャロル様の躊躇は伝わる筈です。そうして、キャロル様『が』良いんだと、他にあれこれ理由を付けずにお答えになられたなら――むしろ、もう逃げられないかも知れませんね、()()()()()()

 後でよくよく考えれば、結構怖い事をランセットは言っているように思った。

「更に『キャロル様以外、自分には必要ない』とでも言われたら、諦めて大人しく捕まって下さい、としか」

「―――」

 (カレル)に「エーレは()()()()じゃない」と言い切った事が、ここにきてキャロルはグラつき始めていた。

「な…んか…それはそれで怖いような……」
「良いじゃないですか〝溺愛〟ルートも、それはそれで」
「ちょっと、ランセット⁉」

「何にせよ、お互いに胸襟を開いて語り合う事が、必要だと思いませんか。気になる事は――本人の口から聞くべきですよ」

 一部気になる部分はあれど、ランセットの言っている事は、概ね間違っていない。
 もう一度だけ視線を落として、キャロルは左手の拳を、ギュッと握りしめた。

「まだ〝声〟は聞こえますか、キャロル様?」
「……うん。聞こえてる」

「では(いち)(ばち)か、その声が聞こえる方へ、お互い意識を向けましょう。もしかしたら…私とキャロル様が再びお会いする頃には、レアール侯爵邸は、雪景色の中かも知れませんね」

「雪……」

「もし再びお会い出来たら、その時も、キャロル様に仕えさせて頂けますか…?」
「……良いの?」

「それが、私がこの世界で生きるにあたって望んだ事ですから、自分からその場所を手放す事はしたくありません。ただもしキルスティンに、実は某国(どこか)の姫だったと打ち明けられたら、その時は相談に乗って下さい」

 初めてランセットが、年齢相応の明るい笑い声を上げ、キャロルもつられて笑った。

「ランセット」
「はい」
「お礼は、意識が戻ってから…ね」

「かしこまりました、キャロル様。どうぞ、その時はヘクターも一緒に。でないと、()ねて後のフォローが面倒になります」

「ふふっ、分かった。じゃあ、()()()()――ね」

 一礼するランセットの姿が、そこでかき消えたような感覚になり、後には自分を呼ぶ〝声〟だけが、残る。

『キャロル…キャロル、頼む!足掻(あが)いてくれ…っ!』

(エーレ……)

 意識を向ける事の具体性が、良く分からない。

『まだ死の国(ゲーシェル)には行くな!俺は…俺はまだ、君に何も…っ』

 側にいたいと、願えば良いのだろうか。
 私のものだと言ってくれる、貴方の隣の席に、いたいと。

『キャロルっ‼』

 その声と同時に、どこかに意識が引かれていく感覚を、確かに感じたと思った。
 迷う余地はない、と何故だか思った。

 キャロルは逆らわず、意識を(ゆだ)ねて瞳を閉じた――。

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