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7 深夜の訪問者

「少し真面目な話をすれば、帝国領の内側では、この冬を越せない所領はない筈だから、そう心配せずとも良いよ、キャロル。君の予めの指摘と対策が功を奏して、冷夏の被害が最小限に留まったようだからね」

「あ…そう、なんですね。良かったです」

 それは、故郷(クーディア)の商業ギルド長からの進言です、と付け足す事を忘れずに、キャロルはホッとしたように、胸を撫で下ろした。

 エールデ大陸の南に位置するカーヴィアル帝国では、他国ほど雪による被害は少ないものの、夏の間に収穫される作物の出来次第では、冬に飢えてしまう領地が出てくる場合もあるのだ。

 早速明日、クーディアのジルダール商業ギルド長に手紙で知らせようと思っていると、アデリシアが、肩を軽く叩いてきた。

「それでも、商業ギルド長からの進言を、他の領からの報告書と照らし合わせて、より可能性が高いと思わせる報告書へとまとめ直したのは君なんだから、君も素直に領地の住民達からの感謝は、受け取っておくんだね」

 そう言って部屋を後にするアデリシアを、宰相室にゆらめく蝋燭の炎を遺漏なきように吹き消したキャロルは、慌てて追いかけた。

「殿下、今夜は央宮(おうぐう)へはお寄りにならないんですね?」

「この時間では、陛下の眠りを妨げるだけだろう。何かあれば、典医が駆けつけるだろうし、今日はこのまま、東宮へ戻る」

 謝意を見せるように微笑みながら、アデリシアは真っ直ぐ東宮の方へと、歩を進めた。

「ちなみに殿下、明日は何時頃、ご起床を?こちらまでお迎えにあがりますので」

「そうだな……明日はルフトヴェーク公国の大使が、来月の第一皇子の外遊に関しての、打ち合わせに来るとの話だ。少し早めに起きなくてはならないから、どうするか……」

「……殿下、いったい今、何時だと……」

「あの書類の山を見れば、不可抗力だと思わないか?せいぜい、明日居眠りをしないよう、祈っていてくれれば良いよ」

 キャロルの小言を遮るように、アデリシアは前を向いたまま片手を上げて笑ったが、不意にそんな穏やかな空気を断ち切るかのような鋭い声が、深夜の廊下に響き渡った。

「――殿下‼」

 あれを耳元で囁かれたら、()()()のお嬢様方が喜びそうだ…などと、(キャロル)の中の深青(みお)が思った事はさておき、あの重低音ボイスの持ち主は、現在宮廷に出入りする人物の中では、一人しかいない。

 とは言え、「昨日まで敵でなかったからと言って、今日もそうとは限らない」と警備隊時代から教えこまれているキャロルは、念の為アデリシアを背に(かば)うようにして振り返りながら、剣の(つか)に手をかけた。

 こちらへと急いでいる足音は、やがて大きくなり、廊下の灯りが、声の主を照らし出した。

「…フォーサイス将軍」 
  
 キャロルが思わず名前を呟いた事で、背後のアデリシアの緊張が、(わず)かに解ける。
 警戒をするのは近衛の仕事なので、それはそれで構わない。

 今は夜なので分かりづらいが、(フォーサイス)の、空の色を落としたかのような明るい青色の髪は、典型的なディレクトア人の姿形だ。

 当代カーヴィアル帝国皇帝クライバー2世の皇女(アデリシアの異母妹)の婚姻と共に、カーヴィアル帝国とディレクトア王国は、互いの軍隊を一部、それぞれに常駐させている。 

 それは、もしも他国からの侵略が、双方に対し行われた際には、共に手をとりあおうという、事実上の同盟宣言であり、特にカーヴィアル帝国よりも国土面積の狭いディレクトア王国は、王国屈指の宿将と言われるロバート・フォーサイスをカーヴィアルに常駐させる事で、この同盟をいかに重視しているかを、国の内外に明らかにしていた。

「このような夜更けに、どうされましたか、将軍」

 相手が分かれば、フォーサイス「将軍」よりも身分の落ちるキャロルが、アデリシアを差し置いて、この場で何かを誰何(すいか)する事は出来ない。

 アデリシアも何も言わないが、ごく自然な流れで会話を引き継いでいる。

 そして、笑顔のアデリシアが敢えて指示をしないので、無礼を承知で無言のまま、キャロルの方は警戒を解かない。己の(あるじ)が誰であるかを示して、決して身分が上のフォーサイスにも、(おもね)らない。

 そうして、笑顔と殺気が同居する、一種異様な主従が1組、そこには出来上がっていた。

 腹黒皇太子(アデリシア)の近衛は、キャロル・ローレンスにしか務まらない――内輪で、そう言われている要因が、ここにある。
 近衛隊隊長としての腕ばかりが注目されがちで、士官学校ではなく、国立高等教育院在籍中にアデリシアの目に留まった事を、忘れている者の方が多いのだ。

 もともと、自身が深夜に他国の皇太子を直接訪ねると言う、何段階もの儀礼を飛ばした事をやっているので、フォーサイスの方でも、この主従の一連の動きを、不快とも不敬とも思ってはいないようだった。

「深夜に宸襟を乱し騒がせる非礼、何卒お許し頂ければと存じますが、何分(なにぶん)、ディレクトア、カーヴィアル双方の国にとって、軽視しがたい事態が生じたのではないかとの危惧があり、こうして参上を致しました」

 他国の皇太子への礼を遵守して、頭を下げるフォーサイスに、ここで初めてアデリシアが、キャロルに警戒を解くよう、手で合図をした。

「殿下、執務室へ戻られますか?それとも、このまま東宮へ――」

「執務室へ戻ろうか」

 剣の柄から手を放した私に、アデリシアはそう指示を出し、キャロルもそれを是とするかのように頷いて、軽く頭を下げると、フォーサイスの横を通り過ぎた。

 先行して、執務室の灯りを再度(とも)す為だ。

「将軍、話が長くなるようでしたら、飲み物も用意させますが」

「いえ…。長くなるやも知れませんが、むしろ、お人払いをお願いしたいので、飲み物は…」

 30代半ばで、王国の宿将と称えられているロバート・フォーサイスらしからぬ歯切れの悪さに、アデリシアの表情も僅かに動いたが、執務室に着くまでは、敢えてそれ以上を尋ねなかった。

「では殿下、私はこの部屋の外に待機致しますので、ご用の際はお呼びを――」

「いや、お待ち願えないか、近衛隊長(ローレンス)殿!」

 執務室の灯りを灯して、キャロルは当然のように席を外そうとしたところが、それを押し留めたのは、上官であるアデリシアではなく、夜更けの訪問者、フォーサイスの方だった。

「こちらから、深夜の非礼を承知で、(つか)いを出させて頂く許可を、殿下に頂こうと思っていたのだ。申し訳ないが、今からの話を他言無用として、こちらにお残り頂けないだろうか」

 カーヴィアル帝国に駐在するうちに、今やキャロルの剣の腕はフォーサイスでさえも認めてくれているらしく、口調が居丈高になる事はない。

「殿下…」

「用件不明のこの現状で、私が将軍の申し入れを拒否する理由はないよ、キャロル。君もここに残ると良い」

 一瞬戸惑いの表情を浮かべるものの、アデリシアにこう言われてしまうと、キャロルとしても敢えて席を外す理由がない。

 とは言えさすがに腰はかけられないので、重いオーク材の扉近くで、腰元の剣に手をやりながら、あくまでも護衛の姿勢を崩さない形で、そこに立った。

「…さて、これでようやくご用件を伺えますか、将軍?」

 他国の将に、最大限の配慮を見せた――その形式が整ったところで、ようやくアデリシアがフォーサイスに、話の先を促した。

 この主従が、外交の場において、揚げ足を取られる事は、まずないだろう。
 そう思わせる、それは理想的な大度だったが、フォーサイスの方も、感心ばかりしていられなかった。

 音域の低い、独特の声を更に下げるように、彼はここでようやく「軽視し難い事態」の内容を、目の前の若き宰相(すなわち)皇太子へと告げた。

「先ほど、私共の駐在官邸に、ルフトヴェーク公国の侍従武官を名乗る者が、刀傷を負った状態で転がり込んで参りました」

「…ルフトヴェーク公国?」

「瀕死の態で、もはやディレクトアの駐在官邸と、ルフトヴェークの大使館との区別もつかなかったようなのですが……その者曰く、公国内で叛乱――第二皇子派による第一皇子の暗殺未遂事件が起きた、と」

「な…っ」

「⁉」

 来月の会談を控えて、情勢の調査は行わせていたものの、完全にそれは想定した中にはなく、アデリシアはとっさに言葉を続ける事が出来ず、隅に立っていたキャロルはただ――大きく目を瞠った。

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