医師の彼は
「しばらくぶりです……でも貴方は評判よろしくないように感じられます」
あまり言いたくはないが、評判について知っていることを伝えなければいけない。
「ははは……安楽死に手を貸しているだけですよ……立派な人助けだ」
助かる見込みのない患者にモルヒネを投与すれば、心臓が止まる。患者は苦しみから解放され、家族も面倒を見なくて済む。
「生きている以上は何かを犠牲にします。栄養剤にしても元は生命。でも……」
金は彼の豪遊に使われていると聞くが、深雪はこれ以上他人に関わるつもりがない。言葉尻を読んで、髪をかき上げながら彼は弁明する。
「それはそうですよ。下手すると捕まりますから、こちらも商売です」
もっともな理由で殺し回っていることを知っても、どうにもならない。裁くのは政府の機関や閻魔庁であって、深雪は手を穢してまで正義を執行したくはない。
「妖怪でも白蝋王という者が、治療と称してニンゲンや妖しを、
「そう……」
深雪は知らないと言う。耳の奥でキーンという音が鳴る。知らないはずなのに、白蝋王という妖しに記憶があるような気がした。
深雪の店には薬と呼べる物が置いてある。明治7年に「医制」という制度が導入された。薬剤師の資格が要るのだが、深雪の知識は乏しい。とびきり詳しい人を雇って定期的にチェックしてもらっている。
「緒方さん。湿布を貼るときは日光禁止でした?」
緒方は薬剤師で高身長の人物だ。幼いときに別の医者に命を救われこの道を選んだ。
「ええ、ケトプロフェンはかぶれの原因になりますから」
湿布薬はどれも同じような形で、どれにその薬品が入っているのかよく分からない。この人がいる時は特級の薬も販売できる。そうでない時は安価で効き目の弱いものしか販売できない。
「週に1回は残念です……」
「通い恋愛じゃないんですから、我慢してください」
彼流の冗談に深雪の頬が赤くなる。
薬の保管棚は普段は控え室に置いてあって、緒方が来る日だけ店側に移動させる。とはいえキャスター付きでもこの棚は重い。
「玄助、そちら大丈夫?」
「なんとか」
控え室と店の境目は綺麗には繋がっておらず、余計な力がかかる。
「ひょい」
いつの間にか1つ目の豚男が入ってきて、境目を乗り越えさせてくれる。彼の料理店のトイレは客に使われていて、借りに来たところらしい。
「あ、ありがとうございます」
「礼などいらんよ、いつものお返しで当然のことだ」
そう言いながら近くの客に商品のだめなところを解説をする。余計なことを言うものだから売れなくなった。
閉店間際になり、玄助が閻魔庁からと言いながら封書を持ってくる。いつも異世界通りで妖怪を返り討ちにしているからドキっとする。封書を開けると、お役所特有の硬い文章が並んでいる。
「陪審員に参加して欲しいそうです」
「最近雲龍入道さんの店に強盗が入った件かなぁ」
裏横丁に雲龍入道の雑貨店ができた。安くてたくさんの客があちらで買うようになった。しかし店員はアルバイトばかり。慣れて給料が上がる前に雇用は打ち切られる。反感も買う。
「ライバル店だから強盗が全部持っていって潰れてしまえと思うんだけどね」
「木村さんが入れてる消耗品はあちらがいいと思います。うちはうちでしか売れないものがあります」
せっかく深雪の店を擁護しても、深雪は正しいことでないと同感してくれない。玄助は話題を新しくできた施設に変える。
「閻魔庁って公園の向こうだよね。手前はもう鳳神社……人間界だし。そうそう、鳳神社の近くに医院できたよね」
玄助が人間の病院に行くなんて信じられない。とはいうものの妖怪の医院も当てにならないし、ニンゲンに変身できるのだからいけないとは言えない。
「大石医院……みゆみゆの同級生でしょ?」
近くに開業されたことに気付かない自分に恥ずかしさを感じる。
「ええ、鳳神社で許婚を見初めて、学校に通い始めて……その同級生です」
「一回行って普通の内科だったけど、なんというか人柄は良さそうじゃないんだよね」
確かに裏でやっていることは良くない。玄助の勘は正しい。