会長としてすべきこと。 ④
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翌日は、初めて朝イチでの出社だった。
もちろん、彼は八時半に家まで迎えに来てくれて、「おはようございます!」とこれまでにないくらいの爽やかさで挨拶してくれた。
前日にわたしの〝彼氏〟になったばかりの彼。朝一番で彼の顔が見られただけで、わたしはその日一日がいい日になりそうな気がして幸せだった。
「――絢乃さん、今日のお召し物もステキですね」
「ありがと。今日は大事な会議だから、いつもより気合入れてきたの」
この日のわたしは、淡いピンク色のスーツ姿。スカートはタイトではなくフレアーで、インナーにはレース生地のオフホワイトのカットソーを合わせた。ちなみにパンプスは、いつもピンク色のハイヒールである。
「……あの、お誕生日に欲しいものとかって、何かあります?」
おもむろに、彼が訊ねてきた。どうやら、プレゼント選びを慎重にしたいらしかった。
「えっ? ……う~ん、急に訊かれても。特にコレといって思い浮かぶものは……」
わたしはあまり物欲がない方だったので(幼い頃から有り余るほどの物に囲まれて育ってきたからである)、「欲しいもの」と訊かれても悩ましかったのだ。
「そうですか……。あ、じゃあ質問変えます! 絢乃さんって、アクセサリーとか興味ない方ですか? 着けてらっしゃるところ、あまり拝見したことがないんですけど」
「ない……こともないけど、ビジネスの時に着けるものじゃないって思ってるからかしら。シンプルなものなら、着けてても不自然じゃないかもね」
「うーん……、なるほど」
彼が納得したのか、唸っていたのか、その時のわたしには判断がつかなかった。
でも、彼はきっとわたしが喜ぶプレゼントを真剣に考えてくれているのだと思うと、わたしはその喜びで胸が高鳴った。
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「――おはようございます、会長」
「おはようございます」
わたしと彼が会長室へ上がっていくと、すでに村上さんと山崎さんは会議の席に着いていた。
村上さんの秘書である小川さんも、山崎さんの秘書である
「おはようございます。――さて、会議を始めますが、この会議には桐島さんも入ってもらうことにしました。彼も、この案件の当事者ですので」
「……えっ? 僕、何も聞いてませんけど」
彼はわたしの唐突な提案に、素でビックリしていた。驚いて当然である、本当に、その場の思いつきだったのだから。
「ゴメンなさい、今思いついたの。こういう問題はデリケートだし、当事者の意見も聞いた方がいいかと思って……。お二人は、何か異存はありますか?」
「いえ、僕は異存ありませんが。――山崎さんはいかがですか?」
「私も特には。桐島くん、キミはどうかね?」
わたしたち三人の意見は一致していたけれど、大事なのは彼本人の意思だ。彼がどうしてもイヤだと拒否するのなら、ムリに参加させることもないかとわたしは思っていた。無理強いすれば、それこそわたしがパワハラで彼をますます追い込むことになってしまうから。
「……どう? 桐島さん。貴方がどうしてもイヤだっていうなら、拒否してくれても構わないけど」
「いえ、大丈夫です。僕はもう解放された身ですが、今でも苦しんでいる人たちがいるなら、その人たちを僕も解放してあげたいですから」
彼は承諾してくれて、そのまま会議の席に加わった。
「ありがとう! ――では、全員揃ったところで、改めて会議を始めます。議題は、今もなお総務課で続いているパワハラ問題の解決法と、同部署の島谷
わたしはメンバー三人の顔を見回し、口火を切った。その時にちらりと思い出したのは、前日に帰宅した後のことだった。
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――わたしは帰宅してすぐにリビングへすっ飛んでいき、彼と恋人同士になったことを母に報告した。
すると――。
「よかったわね、絢乃。というか、あなたたちさっき、門のところでキスしてたでしょう?」
「うん。……えっ!? ママ、どうして知ってるの!?」
まさか見られていたとは思わなかったわたしは、ひどくうろたえた。別に悪いことをしたわけでもないのだけれど。
「私、さっきまで二階の書斎にいたのよ。そしたら、窓から偶然見えたの」
「偶然……。なんだ、よかった」
母には覗き見の趣味なんてなかったので、偶然見られただけだと分かってわたしは少しホッとした。
「桐島さんは、ママに見られたらどうしようかって気にしてたみたいだけど。お願いだからママ、彼のこと怒らないでね?」
「どうして私が怒るの? 桐島くんったら、私のこと何だと思ってるのかしら。そんなことで怒るわけないのに。彼の絢乃に対する気持ちなんて、ずぅーーっと前からお見通しだったもの」
「えっ? ママ、知ってたの?」
わたしは目を丸くした。母はいつ、彼のわたしへの恋心を知ったのだろう? ――もしかしたら、半年前のパーティーの夜に彼と母が話していたのはこのことだったのだろうかと、わたしは何となく思った。
「まあねー。だって、私と一緒に仕事してる時にも、彼から『絢乃好き好きオーラ』がダダ洩れだったんだもの」
「…………」
彼の想いはそんなに分かりやすかったのか。――わたしはただただ絶句していた。
――里歩には、夕食後にメッセージアプリで報告した。
〈絢乃、よかったじゃん! おめー\(^o^)/
っていうか、初恋で初カレシってスゴくない? あたし羨ましいわ…。
学校始まったら、経過報告よろ☆〉
彼女からは、こんな返信とともに「バンザイ」をしている可愛いネコのスタンプがが送られてきた。
ちなみに、「羨ましい」と書かれてはいたけれど、彼女にも二歳年上の専門学校生の彼氏がいるらしい。その当時で、交際を始めてまだ数ヶ月と聞いた気がする。
〈羨ましいって…。里歩は彼とどうなの?〉
と、わたしから送ってみたところ。
〈電話とかメッセージのやり取りは続いてるけど、なかなかデートできないのが悩み(´・ω・`)
桐島さんとほぼ毎日顔合わせられるアンタがうらやま~〉
という、彼女なりに淋しがっているような返信があった。
好きな人とほとんど毎日会えることは幸せなことなのだと、わたしは改めて気づかされたのだった――。
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――話は、会議のことに戻る。
「――では、配布した資料をご覧下さい。山崎さんはご存じだと思いますが、これらはすべて、半年前から遡って現在に至るまでに総務課の社員のみなさんから人事部の労務担当に寄せられた、島谷課長からのパワハラの相談内容です」
わたしたち三人は、一斉に資料をめくり始めた。一部足りなかったので、彼はわたしの分の資料を横から覗き込んでいた。
A4用紙五枚分にわたる資料には、島谷課長からの嫌がらせ行為がいかに悪質かがビッシリと書かれていた。
この資料は、この日の朝イチで山崎さんが責任を持ってプリントアウトしておくと請け負ってくれていたのだ。人事部で預かっていた案件だけに、責任感の強い彼はこの件に積極的に関わろうとしてくれていたのだった。
「これは……、あまりにもひどいですね。ここまで悪質だと、僕もどう考えていいものか……。桐島くん、君も被害者の一人だと聞いたが、よくこんなことに耐えられたね。そして、よく立ち直ってくれた」
村上さんは、内容にザッと目を通して呻くように言った。そして、この会議の中では一番の当事者だった彼――貢のことを
「僕は運がよかったんだと思います。一時は退職も考えましたが、会長に救われて、思い留まることができたんです。ですから、僕が今もこの会社で働けているのは、ひとえに会長のおかげです」
「わたしも驚きました。パワハラは一時的なものだと思ってたのに、現在進行形で続いてるなんて……。――あの、村上さん、山崎さん。この件について、父はどの程度把握していたんでしょうか?」