恋も、仕事も ③
「あれあれ? アンタたち、まだ付き合ってないのー?」
「……里歩、面白がってるでしょ」
里歩に冷やかされ、わたしは恨めしげに抗議した。でも、彼女に悪気がないことは、わたしが一番よく知っていた。
「ゴメンゴメン! でもさ、こんだけほぼ毎日顔合してんのに、まだ告ってないの、なんか意外ー。いくら初恋っていってもさぁ」
「わたしはわたしで、色々と考えてるの。いっても大きな財閥の
「それは考えすぎでしょ。もっと気楽に考えなよ。アンタは真面目だから、肩に力入りすぎてんだって。どっかで空気抜きしないと潰れちゃうよ?」
わたしが四角四面に考えすぎだったのだろうか? 里歩はわたしの
彼女は姉御肌というか、男らしい性格をしているので若干口は悪いけれど、何だかんだ言ってもいつもわたしのことを心配してくれているのだ。
「……うん、そうかもね。ありがと。じゃあ、わたしはそろそろ行くね」
「あー、待って待って! あたしも桐島さんに一言挨拶してくよ」
里歩もくっついてきて、わたしが昇降口を抜けて校門のところまで行くと、すでに彼の車が停まっていて、彼は寒い中車外で待っていてくれた。
ちなみに茗桜女子は、体育の授業の時以外は靴を履き替えない
「――桐島さん、お待たせ! 寒い中待たせちゃってゴメンなさいね」
「いえいえ。僕もつい五分ほど前に着いたところですから。――あ、中川さん! ご無沙汰しております。源一会長の葬儀の日以来ですね。絢乃会長がお世話になっております」
「いえ、こちらこそ! 絢乃がお世話になってまーす。これからも、このコのことよろしくお願いしますっ!」
「……里歩、親戚のオバサンみたい」
わたしがボソッとツッコんだのが、彼にも聞こえていたらしい。彼は必死に笑いをこらえて肩を震わせていた。
「……はい。じゃ、絢乃さん。加奈子さんがお待ちですから、参りましょうか」
「うん。じゃあ里歩、行ってきます! 部活頑張ってね」
「はいは~い! また来週ね。っていうか、連絡くらいはするわー。バイバーイ!」
里歩と別れると、いつものように彼が助手席のドアを開けてくれて、わたしはそこに乗り込んだ。
そして彼が運転席に収まり、車は走り出した。会長の業務を代行してくれている母と交代するために、丸ノ内のオフィスに向けて――。
これが、会長に就任して数ヶ月間の、初めての恋に仕事に学校生活にと大忙しだった、わたしの平日の日常である。
****
――そんなこんなで数日が過ぎ、バレンタインデーがやってきた。
「絢乃さん、今日もお仕事お疲れさまでした。では、僕はこれで――」
「あっ、ちょっと待って! 今日、バレンタインデーでしょ? 約束してたから、ちゃんと準備してあったの。――史子さーん!」
普段通りに帰ろうとしていた彼を、わたしは慌てて引き留めた。
チョコは手作りだったうえに、学校もあったので持ち歩くわけにもいかず、家に置いてあったのをゲートのところまでもってきてもらうよう、退社前に史子さんに連絡してあったのだ。
「……へっ!?」
「ああ、お嬢さまぁ! 間に合ってようございました! お持ちしましたよー!」
「ありがとう、史子さん! わざわざゴメンね」
「いえいえ、とんでもない。では、わたくしはこれで失礼を」
ニコニコ笑いながら家の方へ歩いていく彼女を見送ってから、わたしは改めてチョコの入った小さなギフトボックスを彼に手渡した。
「……というわけで、コレ、貴方に。お口に合うかどうか分からないけど」
差し出された包みがいかにも市販品のギフトボックスだったので、彼は少しおっかなびっくりに受け取った。
「へっ!? ……あっ、ありがとうございます! うわー、本当に手作りなんですね」
「もちろんよ。ネットでチョコのレシピをいくつか検索してみて、時間がなくても簡単に美味しく作れるのを選んだの。心を込めて作ったから、きっと美味しくできてるはずよ」
初めて男性に贈る手作りチョコ。……手作りチョコはそれまでにも、里歩に友チョコとして贈っていたけれど、好きな人に贈るものとそれとでは、気合の込めようが違った。
彼に喜んでほしいから、真心と愛情を込めて一生懸命作ったのだ。それはある意味、わたしの気持ちを彼に伝えるのと同じ行為だった。
「絢乃さん……。本当に、ありがとうございます。大事に頂きますね」
彼は満面の笑みでそう言うと、箱を押し頂くようにしてから自分のバッグに大事そうにしまっていた。
「ホワイトデーのお返しのことなんて考えなくていいから。その代わり、誕生日のプレゼント、ちょっと期待していい?」
イタズラっぽくニッコリ笑って訊ねると、彼の顔は火を噴いたようにボッと赤くなった。
「…………はい、善処させて頂きます。では、お疲れさまでした。僕はこれで。――また明日」
わたしはその日、そのまま彼に背を向けず、彼が車に乗り込んで去っていくのをずっと目で追っていた。
彼もそれに気づいていたのか、時々チラッと目が合ったような気がするけれど、照れ臭さからかすぐに目を逸らしているのが分かった。
チョコレートなんて、会社でもわたし以外の女性から(多分、母からはなかったと思うけれど)たくさんもらっていたはずなのに、わたしからのチョコは彼にとって特別だったのだろう。
彼がいつからわたしに惹かれていたのかを知るのは、もう少し先のことだったけれど。彼は基本的に誰にでも優しいし親切な人だから、わたしへの態度もそれと同じなのだろうと、その頃のわたしは思っていた。
ちなみにこのチョコは、「本命」とも「義理」とも伝えていなかった。もしも伝えていたとしたら、彼の反応に違いはあったのだろうか? それは今でも分からないままである。
****
――このバレンタインデーの翌日から、彼のわたしに接する態度がほんの少し変わった気がしていた。
もちろん、優しかったり気が利いたりするところはそれまでと同じだったけれど、それ以上にわたしの言動ひとつひとつに一喜一憂しているのが目に見えて分かった。
「――では、カフェスタンド設置の件は、このまま進めていくということでいいですね? これで会議を終わります。みなさん、お疲れさまでした」
もうすぐ四月になるというこの日も、会長室に村上社長や山崎専務、加藤経理部長を呼んで、わたしの提案した改革についての会議が行われていた。
他の改革には時間がかかっているけれど(ちなみに一年以上経過した今も進行中である)、元喫煙ブースをカフェスタンドに改装する計画は順調に進んでいた。
「桐島さん、ありがとう。貴方にも入ってもらったおかげで、会議がスムーズに進行できたわ。わたしはまだ、自分のことでいっぱいいっぱいだから……。貴方がいてくれると頼もしいの」
「いえいえそんな! 僕は、僕にできることをさせて頂いているだけですよ。少しでも会長の手助けになっているなら、ありがたいです!」
わたしが彼の仕事ぶりを評価したり、彼にお礼を言ったりするたびに、彼は頬を赤く染め、全身で喜びを表していた。
元々そんなクールな人ではなかったけれど、ここまでハッキリと感情を表すこともなかっただけに、わたしも驚いたものだ。
「……ねえ桐島さん。貴方って最近、キャラ変わってない? そんなにはっちゃけたキャラだったかしら?」
と、わたしが首を傾げると、
「そそそそ、そんなに変わってないですよ!? 会長の気のせいじゃないですか!?」
と、これまた顔を真っ赤にして慌てて否定したものだった。
でもわたしには、彼のそんな一面すら微笑ましくて、愛おしかった。会社の中では真面目でしっかり者でも、わたしの前では飾らずに自然体のままでいてほしいと思っていた。