(3)
駅の傍の裏通りを歩いてゆくと飲み屋街になっていて、この先にくだんのコバト座があるらしかった。珠雨が来たことのない道を、禅一と二人で歩く。出掛ける前に一旦禅一が部屋に戻り何かに時間を取っていたと思ったら、コンタクトレンズを入れていた。だから今は眼鏡を掛けていない。
どきどきする。
「手でも繋ぐ?」
「えっ?! 禅一さん本当にどうしたんですか?」
「別にどうもしないよ」
「あ、もしかして母が結婚したの聞いて、がっかりしました……? だから俺とデートみたいなことしてるのかなって……思ったり」
ちょっと声がトーンダウンする。しかし禅一は、言われて初めて思い至ったような顔をした。
「さっき珠雨が言ったことを実践してるつもりなんだけど、繋がないなら別に良いよ」
禅一は素っ気なく手を引っ込めて、すたすた歩いていってしまう。
「待って待って、さっきのって? もしかして俺だけのあざみちゃんてとこですか。コンタクトもそれの一環?」
「……そう」
自分の行動が恥ずかしくなってきたのか、珠雨の方を見ずに短く答えが返ってきた。思わず顔がにやけてしまいそうになるのを我慢する。
「繋いでください」
早歩きで禅一に追いつき、その手を捕まえる。
「うん。迷子にならないようにね」
小さい子に言うような口調だった。珠雨の手を軽く握り、並んで歩いてくれる禅一は吹けば飛ぶような華奢な男だが、珠雨よりもずっと背が高い。
その横顔をちらちらと見ながら歩いていたら、禅一がお互い気になっているであろうことを切り出した。
「昨日ね、氷彩さんと電話繋がらないもんだから、海老沢教授の方を攻めてみたんだ。朝言うべきだったかも知れないけど、今になってごめん」
ふと緊張が走り、握った手に汗が浮かぶ。
「……何でした?」
「本当に虫垂炎だってさ。珠雨の記憶が間違っているわけじゃないんだけど、以前は薬で散らして切らなかったんだって。今回おなか切るのは切るから、心配じゃないと言ったら嘘になるけど、まあきっと大丈夫」
「――良かったぁ」
肩から力が抜けた。その様子に禅一は微笑んで、続ける。
「手術は明日って言ってた。……本当はね、僕もなんか落ち着かなくて、店にいられなかったというのが真実で。映画は気分転換。付き合わせて悪かったね」
「いや全然」
いくらでも付き合わせてくれて良かった。禅一と二人で出掛けるのも、手を繋ぐのも、こちらに来てから初めてのことだった。
「夏休み、近いね。珠雨がいないのは寂しいな……」
そろそろ梅雨が明ける。
ぽつりとこぼした禅一の言葉は、本心に思えた。