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「あ……それで、今日は何か目的があって?」
「小野田さんはこちらでバイトしながら居候されているとか。少し先の話になりますが、大学が夏休みに入ったら、しばらくの間小野田さんを私に貸していただきたい」
珠雨の淹れたダージリンの紅茶に口を付けながら、烈は淡々と喋る。
「……どういうことでしょうか?」
「私が何故小野田さんに人前でデモ演奏をしていただいているかと言うと、隠すつもりもありませんが売名行為です。私の小さな楽器達を世に広めたい。SNSに動画を上げ、フォロワーを増やし、注目される。私の愛してやまない楽器達を好きなだけ作るにはスポンサーが必要なのです」
「否定はしませんけど、珠雨を借りると言うのは?」
「一緒に全国廻ろうかと思っています」
「二人で……ですか?」
禅一の眉が少し険しくなった。
珠雨は生物学的には女の子だ。自分を「俺」と呼び、男の子のような恰好をしてはいるが、実際には女の子なのだ。いくら相手が対物性愛者だったとしても、禅一にしてみれば気になる。
「正確には四人です。ヴァネッサと、撮影者の友人が同行します」
それは正確には三人ということだ。
「撮影者さんは、どんな方ですか」
「私の学生時代の友人で、少々変わり者ですが浅見さんが心配するようなことは何もありません」
「変わり者ってどういう」
「私以外には無害です。それ以上はプライベートなことが絡むので差し控えます。浅見さんは小野田さんの保護者のようですね」
意味がよくわからないが、保護者と指摘されて禅一は我に返る。珠雨に視線をやると、禅一と烈のやり取りに、身の置き場がないような居心地の悪さを感じているように見えた。
どんなに長い間離れていても、一度は珠雨の父親という立場にあった身だ。珠雨本人に言ったりはしないが、今でも禅一としては本当の子供のように感じているところがあった。しかしそんなことを言ったら重荷になるだろう。
「……珠雨は行きたいのかな? 僕は珠雨の意思を尊重するけど、言い訳すると、珠雨がいてくれる日々に慣れちゃったから、しばらくいないとなると寂しいなって」
何故か断ってから言い訳した禅一に、珠雨はちょっと照れたような笑みを見せた。
「夏休みフルで行くわけではないので、行ってもいいですか? その間バイトは出来なくなっちゃうんで、迷惑かけますけど」
「ひと月ください。旅費はこちら持ちで。宿泊については勿論部屋を分けます。私は他の誰かがいると熟睡出来ない質ですし、小野田さんも嫌でしょうから」
禅一が危惧するであろうことを、先回りして畳み掛ける烈は、先の長台詞で喉が渇いたのかカップの中身を飲み干した。禅一は若干間を置いて、常識的なことを返した。
「僕はいいけど、珠雨。一旦氷彩さんの許可を取りなさい。まだ学生だからね」
女の子だからね、とは言わなかった。
それを珠雨に向けることを、禅一は意識的に避けていた。
その場で氷彩に電話を掛けたら、あっさりと許可は下りた。
客足が増える時間帯になり、烈だけ相手にしているわけにも行かなくなってきた。とりあえず大体相手の目的は聞いたし、禅一はのんびりと立ち上がる。
「では僕は仕事に戻ります。どうぞごゆっくり。珠雨、忙しくなったら声を掛けるけど、高遠さんと話すことがあれば、ここにいていいよ」
「え、でも」
「お構いなく。私はもう帰ります。お会計を」
烈も立ち上がりながら胸元に手を突っ込み、マネークリップを出している。今日は個人的なお客としての来訪だったと認識しているので代金を頂くのは断るつもりだった禅一は、それを告げる前に釘を刺される。
「私はここにダージリンを飲みに来ました。とても美味しかったです。小野田さん、お仕事頑張ってください。ではまたお会いしましょう」
さっと代金をテーブルに置くと、烈はバイオリンのヴァネッサを伴い、帰っていった。
「……ありがとうございました」
変わった男だ。