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遅咲きのシンデレラ

「――玲菜。そろそろ起きないと」

目覚まし時計が鳴る前に愛おしい人の声で目を覚ました。

カーテンの隙間から差し込む太陽を普段は恨めしく睨むのに今日はその光すら心地がいい。

「おはよう」

ふわふわで大きなベッドからのそのそと這い出てキッチンに立つ猫塚くんに挨拶をする。

彼の横に立つと、湯気の立つコーヒーを渡された。

「はい」

「ありがとう。早いんだね?」

「今日、初出勤だから」

「あぁ、そうだったね」

Yシャツにネクタイといういで立ちの猫塚くんはほんの数か月前と比べてずいぶん大人っぽくなった。

「玲菜?どうした?」

ジッと彼を見つめる私を不思議そうに見つめる猫塚くん。

「カッコいいなぁと思って」

「なにそれ」

フッと呆れたように笑うその表情にキュンっと胸が高鳴る。

「きっと社内で噂になるよ。物凄いイケメンが入社したって。女の子にバンバン声かけられると思う」

流川も入社時物凄い女の子からアプローチされていたのを見たし、猫塚くんも同じような扱いを受けるに違いない。

「心配?」

「心配だよ!!私よりいい人見つけたりしませんようにってこっそり心の中で願ってる」

「もうこっそりじゃなくなってるけどね」

クスクス笑いながら猫塚くんはいじける私の背中に腕を回してギュッと抱きしめた。

「俺が好きなのは玲菜だけだよ」

「本当に……?」

「本当」

付き合ってから今日まで私の彼への想いは日々募り続けている。

多分、付き合ったばかりの頃よりもっと好きになってる。

「ねぇ、まだ就職先教えてくれないの?」

「今日帰ってきたら話すよ」

「ふぅん」

付き合い始めてもう10か月だというのに、猫塚くんはいまだに就職先を教えてくれない。

隠し事はしないって約束したのにまったく!!

「じゃあ、お先に。玲菜も急がないと遅れるよ?」

「あっ……!ヤバ!!いってらっしゃい!!今日は早めに仕事切り上げて帰るね!!」

「分かった。いってきます」

最近は週末こうやって猫塚くんの部屋に泊まって会社に行くことが増えた。

合鍵ももらったしなんだか新婚気分だ。

「猫塚くんが社会人かぁ……。もうバイト姿が見られないと思うとなんだかちょっと寂しいなぁ」

先月のバイトが見納めだった。彼と出会うきっかけをくれたあのコンビニは忘れられない思い出の場所になった。

「って、ヤバ……!急がないと!!」

私はお揃いのマグカップを流しで洗うと急いで準備を始めた。

何……?なんか変だ。

何だか会社内がふわふわと浮足立っているかのように落ち着かない。

特に女性社員の様子が確実におかしい。

髪の毛をしきりに気にしたり、手鏡を取り出して身だしなみをチャックしている人もいる。

いったいどうしちゃったの?

「おはよう。なんかみんな今日変じゃない?」

「佐山さん、おはようございます!」

篠原さんの元へ近付き声をかける。

「なんか新入社員の中に凄い人がいるらしいんですよ。これからこの部署にも挨拶に来るみたいで」

「凄い人?いい大学を出てるってこと?」

「噂によると広川コーポレーションの御曹司だとか」

「えっ!?あの広川コーポレーションの!?」

栃木県の山奥にある本社に流川と向かったのが記憶に新しい。

ああ、確かに社長は60代ぐらいで高身長の物腰の柔らかいイケメンだった。

あの社長の息子ならばきっと高スペックに違いない。

「でも、なんであんなすごい会社の御曹司がうちに入社するわけ?」

『広川の社長がうちの社長と知り合いらしいし、そういうのもあったんじゃねぇの?』

そういえば前に流川がうちの社長と広川の社長が知り合いだと言っていた。

そういう関係か……?じゃあ、うちで仕事を覚えた後、その御曹司はゆくゆくは広川コーポレーションの後を継ぐってわけか。

「ですよねぇ。コネ入社だとかって男性社員は文句言ってますけど、女性社員はもう彼にメロメロみたいで」

「メロメロ?カッコいいの?」

「みたいですよぉ。研修会のとき彼のことを見た子がいるんですけど、すっごいイケメンだったみたい」

「へぇ。それじゃ、進藤さんもさぞかし……――」

さぞかし大騒ぎだろう、と言いかけて口をつぐむ。

「ね、ねぇ、進藤さんどうしちゃったの!?」

そう口にせずにはいられなかった。

イケメンの御曹司が入社してくるなどと分かればいの一番にアプローチをかけてもおかしくない彼女がなぜかデスクに伏せてしまっている。

彼女の周りから漂う負のオーラに慄く。

ここ最近の彼女はずっと元気がない。

あの日以降、彼女のことは流川に任せてしまったけど、あれから嫌がらせのようなことはピタリと止み彼女が私に嫌味を言ってくることもなくなった。

あまりにも大人しくなった彼女。流川が何をしたのか考えると恐ろしい。

一度何気なく聞いてみたものの、『さあ?まあ、さすがにマズかったって気付いて改心したんじゃねぇの?』って笑いながら言ってたのも更に恐ろしさに拍車をかけた。

「進藤さん、数々の社内不倫が上にバレたらしいですよ?しかも複数人との。それで奥さんに慰謝料請求されたりして踏んだり蹴ったりみたいです」

「複数人って……」

呆れて言葉も出ない。

「自業自得ですね。まあきっとすぐに立ち直ると思いますけど」

確かに彼女のことだしすぐに元気を取り戻しそうだ。

「――あっ、佐山さん!!来ましたよ!」

篠原さんの言葉に視線をスライドさせる。

「え」

目が点になるとはこういうことか。

黒髪を綺麗に整えたすらっとした長身の男性。

ブラック系のスーツに白無地のYシャツ。ブルー系のネクタイに黒い革靴。

女子社員が色めき立つ。

何かを探すように男性の目が動く。そして、その目が私を捕らえる。

その瞬間、彼はやわらかい笑みを浮かべた。

「うっわ!!あれはモテますね。イケメンすぎですもん」

隣で篠原さんがたまらず声を上げる。

な、な、なんで?どういうこと?

その隣で私はただ呆然と数メートル先にいる猫塚くんを見つめていた。



「た、ただいま!!」

「おかえり。早かったね?」

猫塚くんのマンションの扉を開けると、私はツカツカと猫塚くんの元へ歩み寄った。

「ど、ど、どういうこと!?なんで猫塚くんがうちの会社にいるの!?新入社員?広川コーポレーションの御曹司!?なのにどうして名字が猫塚なの!?この家もお父さんが借りてくれてるの!?ちょっともう色々驚きすぎてどこから聞けばいいのか分からないんだけど!!」

「玲菜、落ち着いてよ」

猫塚くんはそっと私の手を引きソファに座らせた。

「黙ってたのはごめん。玲菜のこと驚かせたくて」

「驚きすぎて今日一日、仕事が手につかなかったよ!!」

「ははっ。社内で俺に気付いた時の玲菜の顔、可愛かったよ」

頭を撫でられて頬が熱くなる。これじゃどっちが年上か分からない。

「っていうか、猫塚くん本当に広川コーポレーションの御曹司なの?」

「まあ、一応」

「どうして名字が猫塚なの?」

「元々広川コーポレーションは母方の祖父の会社なんだ。だから、俺は親父の姓の猫塚を名乗ってる」

「このマンションもお父さんの援助!?」

「このマンションは全部自分で維持してる」

「へ?どうやって?コンビニのバイトだけで維持できるレベルのマンションじゃないよね?」

「高校の時から資産運用してるから」

「な、なにそれ」

なんだか流川もそんなようなことを言っていた気がするけど、私にはさっぱり分からなかった。

「投資信託と株式投資を主にやってる。ロボアドバイザーもね」

「えっ、ろ、ロボ?」

「親が会社経営をしていたから昔からお金についてはあれこれうるさく言われててそれで独学で勉強したんだ。今はセミナーとかにも参加して勉強してるからそれなりに結果が出てる」

「あの高級車も……猫塚くんの!?」

「うん」

えっ、えっ、えっ。この人、どんだけお金持ちなの……?

これが意識高い系男子ってやつ……?

「ていうか、玲菜知らなかった?」

「知らない!!知るわけないよ!!!」

だって聞いてない!!

「流川さん、何も言ってなかった?」

「なんでそこで流川の名前が出てくるの?」

「流川さん、俺が参加するセミナーによく来てたから」

「へ?」

言われてみれば流川はセミナーに参加するとか言っていた気がする。

それに、猫塚くんと初めて顔を合わせた時、流川は不思議なことを言っていた。

『アイツ、本当にコンビニでバイトしてんのか?』

流川は以前から猫塚くんのことを知っていたのかもしれない。

だから、あんなことを尋ねたのだ。

「でも、だったらどうしてコンビニでバイトを!?」

御曹司かつ資産運用とやらでお金に困っていないならバイトをする必要などなかったはずだ。

「普通に暮らしたかったんだ。それに、社会人になるまでに色々経験してみたかったっていうのもある。広川の御曹司っていう目で見られるのがずっと嫌だったから」

「猫塚くん……」

「高校の時も御曹司だからって寄ってくる女の子が多くて。俺自身を好きなんじゃなくて、広川コーポレーションの御曹司の俺が好きなんだってそういうのが分かって。だから、なんかそういうのに疲れて女性が信じられなくなった」

猫塚くんは以前言っていた。

「『俺、女の人のこと信じられないところがあって。でも、佐山さんなら信じられるって思ったんだ』って。

「昔から親が金持ちだからって色眼鏡で見られることが多くて。広川の御曹司っていう肩書があれば、人も物も何でも手に入れることができた。だけど、その肩書がなくなったらどうなるのか知りたかった」

「知ること、できたの?」

猫塚くんは困ったように頷いた。

「コンビのバイトは散々だったよ。一緒のシフトのおじさんは俺に任せてばっかりで仕事しないし、レジやってれば信じられないようなクレームも来る。色々ミスもしたし、うまくいかなくて悩んで自分を見失いそうになったりもした。だけど、あの日玲菜が来た」

『ありがとうございました』

会計を終えて商品を受け取った後、

『こちらこそ、ありがとうございます』

猫塚くんにお礼を言ったあの日。

「自分は客だ!って威張り散らすお客さんがたくさんいる中で、お礼を言ってくれたお客さんって玲菜だけだったからすごい印象に残ってて。その日からまた会いたいって思うようになってどんどん玲菜に惹かれていった」

「そうだったの……?」

「広川っていう肩書を知らずに俺のことを好きになって付き合ってくれたことが本当に嬉しかった。だから、一生大切にするって決めたんだ」

猫塚くんはそう言うと、ポケットの中から何かを取り出した。

「将来、俺は本社の栃木県で広川コーポレーションを継ぐことになる。そうなったら、俺についてきて欲しい」

猫塚くんはそっと私の前にひざまずいて箱を開けた。

「俺と結婚してください」

け、け、結婚!?

「……は、はい!!」

あまりに突然のことに驚きと喜びがごちゃごちゃになる。

「絶対に幸せにするから」

そっと私の左手をとり、薬指にシルバーの指輪をはめる猫塚くん。

「ど、ど、どうして今だったの……?け、結婚なら猫塚くんの仕事が落ち着いてからでもよかったんじゃないかな?」

心臓がドクドクと脈打っている。

余計なことだと分かりながらも尋ねずにはいられない。

「玲菜、俺が他の子に取られるかもって心配してたから」

「えっ!?だから!?」

研修会の時から私はグチグチと猫塚くんに不安を漏らしていた。

そのたびに猫塚くんは『大丈夫だよ』と私を安心させるような言葉をくれたけどそれでもずっと心配で。

今日部署に挨拶にきた猫塚くんへの女性社員の反応にその不安は更に高まったけど、まさかそのせいだったなんて――。

だとしたら、それは私のワガママで――。

「っていうのは冗談で、俺がしたかったからだよ」

彼の手がそっと私の頬に触れる。

「玲菜を自分だけのものにしたいって思ってた。玲菜には隠してたけど、俺、独占欲が強いんだよ」

彼の唇が私の唇に優しく重なる。

「愛してるよ、玲菜」

「私も猫塚くんのこと……愛してるよ」

「ねぇ、そろそろその猫塚くんってやめない?」

「あっ、ごめん。つい癖で」

「もうすぐ玲菜も猫塚になるんだよ?猫塚玲菜」

「ふふっ。なんかいい響きだね」

猫塚くんが私の首筋にキスをする。私は彼のYシャツをきゅっと掴む。

「名前で呼んで?」

「こう……せい……」

「もう一回」

「光星……」

「よくできました」

にっこり笑うと、光星はネクタイを緩めて私の体をソファに押し倒した。

ああ、なんだか夢の中にいるみたい。

こんな幸せってあっていいの……?

あまりの幸福感に胸が震える。

結婚したら都会を離れて山の中の自然な場所に家を建てて暮らしたい。

思い描いていた夢を星光は叶えてくれようとしている。

「ベッドに行こう」

星光が私のことをお姫抱っこする。

「なんか私、お姫様みたい」

「俺が王子?」

「そう」

ゆっくりとベッドにおろされて光星を見つめる。

「お姫様、愛しています」

その言葉に心臓が大きく飛び跳ねる。

「王子様、私も愛しています」

「……ぶっ!!」

目を見合せ私たちはどちらからともなく吹き出した。

「やだー!!なんか恥ずかしいよ!!」

「俺もだよ」

こうやっていつまでもずっと一緒に笑い合っていきたい。

そのとき、目が合った。

綺麗な光星の顔が近付いてくる。

目をつぶると、大好きな星光との幸せな未来が瞼に広がった。

私は少しだけ遅咲きのシンデレラだった。でも、光星という王子様に出会い、こんなにも深い愛に包まれている。

愛の深さに年の差なんて関係ない。そう気づかせてくれたのは光星だった。

光星、愛してるよ。ずっと一緒にいようね。

心の中で永遠の愛を誓いながら私は彼とのキスに酔いしれた。
 
                              【END】

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