inning:6 初恋
お使いを済ませた翌日。
陸上から野球に転向して、もう早4月が28日。
1年生には新しい環境の中の小休止、ゴールデンウィークを控えた。
明日から世間では7連休となるわけなのだが、白蘭高校は明日練習試合を控えている。
「おらおら、打球が弱えぞ山田ア!」
と、僕に怒号を飛ばしているのはチームのセンターを務める
俊足強打・左投右打の外野手で、チームの4番打者。その豪快な性格が、チームの柱として確固たるものを確立している。
「ふっ!」
「まだまだあ!どうしたア!」
「ふっ!」
鋼汰の力強い腹圧に反し、低い弾道の打球が飛んでいく。
以前はあんな打球を飛ばしたが、あれはほぼマグレ。
野球部に入ってからはミスしまくり打てないで試練の時を過ごしている。こりゃ、レギュラーはまだまだ先だな。
「うし、交代だな?見てろよ山田」
「ふう」
「大分上達したね?時たま凄い打ち方したり打球飛ばしたりするけど」
と、僕に笑顔を向けてくれるのは同じ一年生の
一応僕はセンター志望の外野手なのだが、同じ外野手のレギュラー争いをするライバルだ。
「おらあ!」
「小幡先輩、チームで1番ってくらいパワーあるよね」
「そうだね……」
「(良く観察してる。上手くなりたいんだね)」
小幡先輩のバッティングを隅々まで観察する。
決めた以上、手は抜かない。陸上をしていた時から、中途半端にするのは嫌いなのだ。
「(ウチも負けてられないや)」
「しゃあ!交代だな山田」
「はい!」
「私も隣で頑張るよ」
ウチの学校のグラウンドは古びたものではあるが、サッカー部や陸上部が使うグラウンドからは離れた場所にあるので気にせず練習ができるのだ。
……ただし、後で柵越えしたボールを茂みの中に探しにいかなければならないのだが。
バッティングピッチャーの響子を見据え、
「よーし!行くよ!」
「……」
響子の活きた球。それを僕は振り抜く。
会心の当たりが外野後方に飛び、それを一瞥して再び響子を見据えた。
「……やっぱり、ポテンシャルがあるわね」
「そっすねぇ……」
打撃練習をする鋼汰を防球ネット越しに眺める西塔と畠山。
「あれ?西塔さんパッピはやらないんですか?」
「ええ、右右じゃあまり練習にならないし」
「ふっ!」
今度は右方向にすくいあげる。
「……この数週間だけでかなり上達してるわ。明日の練習試合が楽しみね」
「まあ、まだまだあたしよりヘタクソですよ」
「ふふ、頼りにしてるわ。
「へい!」
にっ!と小幡先輩は西塔先輩に笑顔を向けて、西塔先輩もそれに笑顔で返す。
「ふっっ!」
打球は、生い茂る木々の中へ。
響子に礼を言って打席の外へと出た鋼汰を、小幡が迎える。
「お、柵越えか、やるじゃねえか山田」
「はい、少しずつバットが振れるようになってきました」
「調子に乗ってんじゃねえぞお~?」
「わひゃ、ちょ、ひょうしに乗ってないですから、やめてくらひゃい!」
横腹を突きまくられ、僕は情けない声を上げる。
ひゃひゃひゃ!と小幡先輩は高笑いして、打席に入っていった。
「……ぐはっ」
「あ、本当に脇腹弱いんだ」
「……やめてくれないかなあ」
「ごめんごめん」
三妻さんも僕のそんなリアクションを見てくすくすと笑っている。
……帰ったら脇腹鍛えよう。と、切に思う鋼汰だった。
「楽しい?」
「何が?」
「野球!すごい真面目にやってるからさ!」
「んー……楽しい……うん。楽しい」
「しゃらあ!」
「おー」
打撃練習を終え、自信ありげに戻って来る小幡先輩。
「へへへ」
「さすがですね」
「鋼汰、バッティングピッチャー代わって~」
「あ、うん。分かった」
僕はバットとヘルメットを置き、グラブを持ってマウンドへ。
「いくよー」
「はーい!」
響子が打席に入ったのを見て、僕は投球を開始。
「うはあ、相変わらず良く飛ばすなあ」
…昔年寄りのおじさんに雷落とされたのが
懐かしいなあ。何枚ガラス割ったんだっけ。5枚くらいかな。
そんなことを思い出しながらボールを投げていると、バッティングが終わり、移動してウエイトトレーニングへ。
「西塔先輩、ウエイトします?」
「いえ、私今日も遠慮しておくわ」
「りょーかいっす」
そうしてつづかなく練習を終え、僕達は解散。
「明日から練習試合楽しみだね~」
「だね~」
「おら山田!ちゃんと準備しとけよ?」
「はい!」
「ふふ、監視役っていうか舎弟に近いのかしら?」
「はははは!違いねえっす!」
「じゃあウチの舎弟でもあるのかな?」
「そうなるわね」
「鋼汰、頑張れ~」
「……うん、下っ端だから頑張るよ」
「もう諦めてるじゃん鋼汰」
「山田」
鋭く空気に突き刺さる声。聖川さんの声に振り向く。
「何かな?聖川さん」
「……いや、試合に出るにはまだまだだな」
「そっか、ありがとう聖川さん」
「……ふん」
そう吐き捨て、聖川さんは僕に背を向ける。
「聖川さん、明日はリードよろしくね」
「はい。しかし西塔先輩。ここ最近ノースロー調整ですが、何かあったのですか?」
「そんなことは無いわ。じゃあ、私はこれで」
「はい、お疲れ様でした」
西塔さんは、バッグを左肩に担いで去って行く。
「(なんか、歩き方ぎこちないような)」
「お?山田ア、何西塔さんの尻ジロジロ見てんだよ」
「わあ!鋼汰のエッチー!」
「まさかウチのこともそんな目で見てたの?」
「下っ端のくせに良い度胸だなあ」
「……これは不当だ、弁護士を呼べ」
「にゃははは」
「あはははは」
「ふふふふふ」
「(……ま、いっか)」
と、鋼汰は目の前の練習に打ち込む。
「……いっ」
「……?西塔さん?どうかしたんすか?」
「いえ、何でもないわ」
「そっすか……おい山田ぁ、サボってんじゃねえぞ?」
「サボってませんよ……ぐおおおおおお!!」
「わお」
スクワットに燃える鋼汰。西塔は誰にも気付かれないようにウエイトルームを後にし、誰もいない事を確認して壁に背中を預ける。
「……いたた……」
腰と背中に響く激痛。それに、西塔は思わず端正な顔を歪めてしまう。
「……これ、試合出たら……大変なことになるわね」
歩くことすら困難になりそうな、そんな鈍痛。いつのまにか自らの体を蝕んでいたそれに、西塔は思わず殴りたくなる衝動に駆られた。
「西塔はん!こんなとこいてはったんかいな、終わりましたでー」
「あ、ええ。すぐに行くわ」
と、動いた時に痛み。
西塔はそれを何とか歯を食いしばって誤魔化し、その場を後にするのだった。
「「「お疲れ様でしたー!」」」
練習が終わり、選手らは早め早めの帰路へと向かう。
「ねえ、途中から西塔戦は居なくなかった?」
「用事ができたと聞いている。彼女はああ見えて野球をしながら現役のファッションモデルでもあるからな」
「え?そうなの!?」
「そうだぜ、西塔さんああ見えて月30万稼いでるって噂だからな」
「さ、30万……高校生で」
「何でも父子家庭だから、本人も名門のスカウト蹴ってここに入ってモデルになったらしいぜ?」
「かっこいいー!やっぱり憧れるなぁ……」
「響子ちゃんがモデルやるとしたらどんな服着るのかなぁ?」
「え?やっぱり……可愛くて、お洒落な服!」
「よく言うよ、僕の部屋に来る時はファッションなんて関係無い超絶ラフな格好で来るくせに」
「こんなとこでそれ言わないで!」
西塔の活躍に響子が目を輝かせ、頭の中でフラッシュを浴びる想像を膨らませていると、鋼汰が冷静に現実へと引き戻す。
響子は頰を膨らませると、鋼汰は彼女の頭を軽く叩いて帰り支度を促した。
「……」
「……ねえ、聖川さん」
「なんだ?」
聖川は意外そうな目で鋼汰を見やる。
普段彼から声をかけてくることは無いが、聖川はその慌てぶりを抑え込んで彼の顔を見上げた。
「西塔先輩、もしかして怪我してる?」
「分からん、何故そう思う?」
「最近、明らかに練習量が落ちてるんだ。量を落とすことあっても質や動きのキレも大分落ちてるから、何かあったのかと思って」
「……確かに、ここ最近は投げていない。完封した日以来、西塔先輩からブルペンに誘われたことは無いな」
「でもモデルなんっすよね?色々忙しいんじゃないっすか?」
「練習の質とモデルは関係無いと思う……分からないけど、前に出てみんなを引っ張るのに、最近はずっと後ろにいるから」
「……確かに、世代交代にしては早いな……だが、確証はあるのか?」
「無い。確かめようが無いし、プライベートの話になっちゃうから……でも、兆候は見られるよね」
「……否定はできんが」
「考えすぎだぜ山田。あの人は何があっても必ず、最低限の仕事をする人だからな」
「そやで。去年の夏大、西塔はんのおかげであたしらなんかでも3回戦まで行けたんやから」
「あの人は何があっても合わせてくる!そう心配すんなよ、てか、自分の心配しろ!」
小幡はそう鋼汰の背中を叩いて、そのまま神干潟とグラウンドを後にして行った。
「……」
「……良くも悪くも、西塔先輩ありきのチームなんだね」
「ああ。もし、山田の疑念が的中していたなら……」
「……ウチのチーム、崩壊するんすかね……?」
「カンタ〜!」
「うわ!」
ソディアが鋼汰に抱き付き、
「カンタ!この後時間があるなら、ディナーに行きましょウ!デリシャスなお店を知っていまス!」
「おー!食べたーい!」
「興味あるっすねぇ」
「ごめんなさい、ウチは用事なのでパスします」
「私も遠慮させて頂きます」
「なら、4人で行きましょウ!」
「……あれ?僕の意思は?」
「どうせ暇でしょ!さ!れっつごー!」
「おーっす!」
ソディア、鋼汰、響子、畠山の4人は、夕焼けの萌える空の下で、高校生らしい日常を謳歌する。
……しかし、鋼汰の疑念は消えない。
鋼汰にも、陸上というスポーツの中で何度か怪我をした経験がある。その中で怪我を治す為に、浅知恵ではあるがネットで調べた情報が頭の中にある。
……そして、鋼汰の考えが正しければ……。
⚾︎⚾︎
同時刻、某整形外科病院。
「んー…」
医師がカルテとレントゲンを見ながら唸っていた。
「せ、先生…どうでしょうか?」
結論付けた医師が、少女に向き直る。
「これ、第三腰椎分離症だよ。最近の野球の道具って怪我をかなり防いでくれるのにこんな怪我するってどんだけ無茶したの、西塔さん」
医師は西塔に向かい、そう問いただす。
最近の野球道具はスポーツ障害からも守ってくれる高性能なものが揃っている。
にも関わらず、第三腰椎分離症という結果を引き起こしたことに、医師は疑問符を浮かべていた。
「オーバーワーク。プロに行きたいのは分かるけど、無茶しすぎだよ」
「……はい」
「……体幹鍛えながら、暫く休みなさい」
「し、暫くって……どれくらいですか?」
「骨がくっつくまでだよ。また来週きてね。湿布とロキソニンは出しとくから」
「……」
「今無理したら、下手すれば歩けなくなる。悔しいだろうけど、野球は高校だけじゃないから」
「……はい」
と、彼女は放心したまま診察室を後にする。
受付で諸々を済ませた後、近くの薬局で薬を購入し、そうして病院を後にした西塔。
「……第三腰椎……分離症……」
背骨の一部が分離し、腰痛や背中痛などを引き起こすスポーツ障害。
その現実に、彼女の放心は長ったらしく続いていた。
「野球は高校だけじゃない……だけど……甲子園に行けるのは高校だけなの……」
悲壮な呟きが、誰も居ない道で響く。
自分はチームのエース。自分が崩れれば、チームは終わる。……そう、自分に言い聞かせてきたのに。
悔しさから来る涙を押し殺し、上を向いた。
「……みんなには、隠さないと」
甲子園……みんなの夢を、私が叶える……!
そう呟き、彼女は違和感が残る体を動かし、道を急ぐために浦を進める。
「……!」
そして背中に響く痛み。思わず体を反り返らせ、腰を回した。
「……もう、何でこんな時に……」
そう自信への戒めを口にしても、この痛みは消えない。諦めてため息を吐き、家路を急ぐことにする。
しかし再び、彼女は腰の痛みと共に素早い動きで電柱に身を隠した。
「カンタ、カンタはどんな女の子が好きなのですカ?」
「おー、それあたいも気になるっすー」
「えー、カンタはマザコンだよー?」
「マザコンじゃない。あと響子、道の真ん中で回らない。誰かにぶつかったら迷惑だよ」
「誰にもぶつかってないから良いもん!」
「カンタ、やはりボディタッチの多い女の子は嫌いですカ?」
「いや……別に、節度があれば大丈夫ですけど」
「OH!嬉しいでス!」
「もごもごもご!」
ソディアが鋼汰を抱きしめ、その様子を見て響子が嫉妬の眼を向け、畠山が面白そうな顔でその光景を見ている。
その距離、横断歩道の白い白線5つ分。交差点でこちらに気づいていない彼女らに気づけて良かったと、西塔は安堵の息を吐いた。
「……でも、結局はバレるのだけど」
再び自虐し、彼女は少し様子を見計らってその場を後にする……。
「ちょっとお姉さーん」
「え、ちょ……やめてください」
「えー?俺らと遊ぼうよー」
西塔の道を塞ぐように、金髪でピアスを大量に開けた、あたかもチャラ男といった様子の男2人が立っている。
西塔は何度も逃げようとするが、サングラスをかけている男に手に持っていた湿布やロキソニンの入った袋を取られ、
「あれ?どっか痛めてんの?」
「俺らがマッサージしてあげよっかー?」
「結構です!返してください!」
さすがに周りの目が向き始め、その場から関わりたくないと人が離れ始める。
西塔は辺りを見渡して誰かに助けを求めようとするが、男らがそれを邪魔して身動きが取れない。
更に腰の痛みがそれに拍車をかけ、西塔の目と表情は少しずつ苦悶と恐怖に歪んでいった。
「ね、行こ!」
「いや!離して!」
「生意気なとこも可愛いねぇ」
「やめて!気持ち悪いから!」
「はあ?こいつなめてんのかよ!」
西塔の髪に鼻を近づけた男は西塔の態度に逆上し、そのまま頰を平手打ちする。
頰に広がる痛み。西塔は恐怖と痛みで涙を浮かべ、それを見た男2人はニヤニヤと笑い始めた。
「へへへ、所詮女なんてこんなもんだよ」
「お前さいてーだな」
「お前に言われたくねえよ」
「……だ……れか、たすけ……て……!」
消え入りそうな声で、誰かを呼ぶ。
しかしその救いの手を求める者はおらず、目があった者は皆見て見ぬ振りしてその場を離れ、男がガンを飛ばして人通りが少なくなり始めた。
「さ、いこっか」
「いや……いや……」
「ほーら、動け!」
「……」
「……はあ、ったくよぉ、動けってんだよ!」
と、サングラスをしていない金髪の男が、西塔に向かって拳を振るう……。
「……あ?」
男の拳が来ない。その異変に、西塔は眼を開いた。
そしてそこにいた人物を見て、更に眼を見開く……。
「……すいません、暴力は……いけませんよ」
「はあ?」
「お前何かっこつけてんの?ダッサ!キモいんだけど!」
……そこに立っていたのは、山田鋼汰。
男の拳を握りしめ、サングラスの男が彼にカメラのフラッシュを浴びせると、サングラスをしていない方の男がそれを振り払い、2人して鋼汰に詰め寄る。
「……取り敢えず、その人俺の知り合いなので……」
「俺らも知り合いだから!」
「じゃあ、その人の名前言えますか?」
「知らなかったら知り合い名乗っちゃいけないわけ?」
「違いますが……まあ、この人通りの多い場所でこんなことされると……迷惑なので」
「迷惑?お前の常識俺に押し付けんなよ!」
「モラハラって知ってる?君」
「ええ。では、貴方達は刑法という法律を知っていますか?」
「は?知ってたら何?」
「知っているなら、先程のようにそこの女性に対して平手打ちなんてすると、犯罪になるんですよ、それは知ってましたか?」
「だったらなんだって言ってんだよ!」
「……本当、頭回らないなぁ」
「「ああ!?」」
鋼汰は2人の手首を握り締め、そのまま羽交い締めにする。
「……お前らがやってるのは犯罪。モラハラなんかより、何倍も重い罪なんだよ」
「ぐ、は、離せ!暴力だぞ!」
「正当防衛ですよ、そこの女性を守るための……ね」
鋼汰は西塔を一瞥して、男2人に笑顔を向ける。
「てんめええええ!!」
「調子乗ってんじゃねえよ!!」
「それはお互い様ですが……僕の後ろ、見えてます?」
「ああ……?……!」
すると、男の顔が青ざめ始める。
白い車体に赤いサイレン。そう、パトカーだ。
そこから4人のの警官が現れ、男らを取り囲む。それを見て、鋼汰は男から袋を取り返して、西塔の元へと急いだ。
「歩けますか?西塔先輩」
「う、うん……」
消え入る声で呟き、西塔に制服のジャケットをかけて鋼汰はその場を離れる。
そしてゆっくりと信号が青なのを確認して横断歩道を渡り、警官と男らが言い合いをしている現場から距離を取った。
「大丈夫ですか?西塔先輩」
「……え、ええ……」
未だ恐怖に震える彼女の背中を、優しくさする。それがどこか心地良くて、西塔はそのまま眠ってしまいそうになった。
そうしていると、5分程度で西塔の震えは落ち着き……鋼汰は、西塔から返されたジャケットを着て、彼女の赤く染まった頰で流れる涙に触れた。
「……ありがとう、ごめんなさい……山田君」
「いえ」
ミニスカートから伸びる白く細い脚はまだほんの少しだけ震えている。あまりの色っぽさに鋼汰はすぐに眼を逸らし、西塔を見据えた。
「……やっぱり、怪我してたんですね」
「……ごめんなさい。いつかは言うつもりだったんだけど」
「いえ、あの環境じゃ……言い出せないですよ。良くも悪くも、西塔先輩ありきのチームなんですから」
「よく見てるのね」
「まあ……陸上やってた頃から、人の走り方とか真似するの得意で。自然と観察力が身についたと言うか」
「……じゃあ、私の怪我も……私を、見て?」
「……すいません、いけないと分かってたんですけど……練習の仕方が変わりすぎて」
「良いのよ……やっぱり、気付かれるものね」
「で、でも……これからリハビリすれば夏大には間に合いますよ」
「……本当に?」
「え?」
西塔の空を見上げた横顔が、街頭と車のライトに照らされる。
「……私、第三腰椎分離症だったの」
「腰椎……腰の骨ですか」
「ええ、簡単には治らないって……お医者さんが」
「……なるほど、腰の痛みは僕も経験があります」
「バカみたいよね……甲子園甲子園って、行けないのも分かってるのに焦って練習して怪我するなんて」
「それは違います」
「違わないわ……現に、私は今「自分を卑下しないでください!」
鋼汰は、声を張り上げて西塔の自虐を辞めさせる。
普段温和な鋼汰が向ける怒りの目に、西塔は思わず驚愕した。
「……西塔先輩と出会って1ヶ月しか経ってないですけど、西塔先輩が野球に懸けてきたのは……プレーを見ればいくらでも分かります」
「……どうして、そう言えるの?」
「前の、完封した試合覚えてますか?」
「ええ」
「あの日、試合の終盤。大事なとこで僕ミスして……打とうと思っても打てなくて、それでも西塔先輩が声をかけてくれたから、切り替えてプレーできたんです。それに、僕のミスを無かったことにしてくれるくらいの練習をしてきたのは、事実西塔先輩じゃないですか」
「……山田君……」
「だから、自信持ってください。僕も実は分離症やったことありますけど、4日で完治しましたし」
「え?4日?」
「はい、4日です」
西塔はぽかん、とした表情をすると、暫くしてくすくすと笑い始めた。
「お、おかしいですか?」
「……はあ、こんなに笑ったの久しぶりかも……ふふふふふ」
と、西塔は「いたたた」と腰をくねらせ、鋼汰は近くの段差に座らせた。
「はあ、本当……変わってるわね。山田君は」
「ま、まあ……はは。よく言われます」
「ふふ、なんだか自分が悩んでたのが馬鹿馬鹿しく思えてきちゃった」
「そのくらいがちょうど良いですよ」
「年下に言われるとなんか悔しい、えい」
「いた、ちょ」
何するんですか、と返そうとした時。西塔のスカートが少しだけ捲れ上がり、白い下着が少しだけ見えてしまった。
西塔はそれに気づいて少し顔を赤らめると、鋼汰は「すいません」と呟いて眼を逸らす。
「……鋼汰君も、女の子の……下着とか見て興奮するんだ?」
「い、いやその……興奮って……」
「……えっち」
赤く染まった顔、どこか媚びるではなく求めるような上目遣いの表情。
鋼汰はその色っぽさに思わず顔を赤らめ、眼を逸らした。
「さ、さ。警察も行ったみたいですし僕達も行きましょう。送りますよ」
「ん」
西塔は手を差し出し、鋼汰は彼女の腰を痛めないよう最大限注意をしながら彼女を立ち上がらせる。
その際鋼汰へもたれかかるようにして、西塔は鋼汰に軽く抱き着く。彼女の豊満で柔らかい胸が彼の腹部に当たり、少し小悪魔な笑みを浮かべて呟いた。
「……えっち」
「……!」
「さ、行こ?これから毎日私のこと送ってね?」
「え、ええ?」
西塔は鋼汰の左腕に抱き付き、胸を押し当てるようにして彼と歩いて行く。
モデルである以上スキャンダルには気をつけねばならない立場だが、今の彼女にはこの際どうでも良かった。
ほのかに頰に留まる熱、それを心地良いと感じる心。高鳴る心臓の音が相手に伝わないだろうかと考えながら、彼の顔をチラチラと一瞥する甘酸っぱさ。
そんなことをしている自分が、今どんな状態にあるのか……聡明な彼女は、すぐに気がついた。
「……えっちな人……初めてかも」
「何か言いました?」
「何でもないよー」
「……!」
西塔に胸を押し付けられる感覚に思わず驚いてしまう鋼汰は、彼女をできるだけ意識しないようにするのが精一杯だった。