一章第四節
「早いですね、枝垂さん。おはようございます」
「おはよう」
目を覚ますために、コーヒーを飲んでるとジャンヌが起きてきた。現在時刻は六時だ、いつも通りの時間。違うのはジャンヌがいることか。
「枝垂さん、家出るの何時ですか?」
「七時半だけど、どうした」
「いえ、朝ごはん食べる時間あるかなと思いまして。間に合いますね」
そういえば昨日朝ご飯食べるように約束させられたんだったな。コンビニのパンで済ませるつもりだったが、まあ食べれるなら食べていくか。
「あ、忘れてましたね。その顔は」
「いつもと違うことになれてないだけだ」
「本当ですか」
「本当だ」
いぶかしげな顔で俺のことを見ていたが、問い詰めるのを諦めたらしい。
「食べる気みたいですしいいってことにしますけど、明日からは忘れないでくださいね」
「わかったよ」
朝のニュースを見ながら、久しぶりにまともな朝ごはんを食べた。ジャンヌの料理の腕はそれなりだった。
「枝垂さん、これお弁当です」
「弁当って、どこから弁当箱出してきたんだ」
「棚の奥にしまってありましたよ」
「ああ、そうか」
朝飯を食べてからキッチンで何かしてると思ったら。弁当を作っていたとはな。
棚の奥に弁当箱があったのは、俺がそこにしまったからだろうな。思い出したくないから。
当然この弁当箱にも由衣との思い出がある。一緒に買いに行って、由衣の作った弁当を持って仕事に行って。そんな幸せだった思い出が。
「どうせお昼も簡単なので済ませる気だと思ったので作りました。ちゃんと食べてくださいよ」
「わかったよ」
本当は家に帰ってきて食べるつもりだったが。まあいい、職場で食べてから帰ってくるか。
いつもは荷物なんて少ないのに、今日は弁当があるからか鞄がだいぶ重く感じる。電車を乗り継いで職場に着くと社長の姿はなく、出社してる従業員の数も少ない。まあ、社長以外はそのうち来るだろう。
「あ、先輩おはようございます」
「おはよう。
こいつの名前は
にしても、いつも休みの次の日は元気だっていうのに。今日は元気がない。
「いや、そうなんですよ。友達に呼び出されて遊びに付き合ったら昨日休めなかったっす」
「そうか、まあ今日は仕事ないみたいだからな。昨日の分休めばいいさ」
「そうしまーす」
この会社は仕事があるときはとてつも無く忙しいが。その仕事が終わった後は仕事がないから、ほとんど休みみたいなものだ。
すでに枕持参して寝てるやつもいるからな。
昼頃に社長から電話が来て「今日の仕事はないから帰って良し」ってなるわけだ。職場に来て社長がいないということは、仕事探しに行ってるからすることがない。
逆に社長がいるときは新しい仕事が来たってことになって、忙しい日々がまた始まるわけだ。
前に嵐の前の静けさとか言ったやつもいたが、まさにその通りだな。
「せんぱーい」
「なんだ」
だんだんと従業員が来た頃。スマホゲームで時間をつぶしてると、休んでた浅野が話しかけてきた。
「業界でこの会社がなんて呼ばれてるか知ってるっすか」
「知らないし、興味もない」
「そんなこと言わないでくださいよ。泣いちゃうっすよ」
「勝手に泣け」
「ひどいなあ。まあいいや。で、この会社がなんて呼ばれてるかなんですけど。防波堤って呼ばれてるらしいっす」
「防波堤か、ピッタリじゃないか」
「ですよねー。ほんとしっくりきすぎですよ。納期ぎりぎりの仕事ばかりやってますからね」
「たまに、普通の仕事もあるだろ」
「たまにって、半年に一回じゃないですか。それもすぐに終わっちゃって。すぐ納期ぎりぎりの仕事来るんですから」
毎回のハードワークのせいか。この会社の人間のスキルは、普通じゃない。
だからたまに来る普通の仕事は、半分の納期で納品。すぐいつものハードワークが戻ってくる。そんなのが当たり前になっていた。
まあ、そんなに優秀なら引き抜かれてもおかしくないのかもしれないが。そんなことが起こったことはない。
多分そんなことしたら、他の会社から睨らまれるからだろうな。引き抜いて防波堤が崩れたら、困るのは自分の会社なんだからな。
「とりあえず、束の間の休息を味わえ」
「そうしまーす」
半数が睡眠、半数がゲーム。そんな社内に一本の電話がかかってきた。
「はい、はい、お疲れ様です。お前ら、仕事終わりだぞ」
社長からの電話、もちろん内容は今日の仕事が無いことを報告する電話だった。
「帰るか」
「お先でーす」
「お疲れさまでした」
すでに帰える支度をしていたものから帰り始めていく。
「先輩は今日も直帰っすか?」
「弁当食べたらな」
「へー弁当っすか。先輩が弁当?」
「なんだ」
「いやだって、三食コンビニで済ます先輩が弁当って。もしかしてあれっすか、恋人」
「寝言は寝てから言え」
「だって先輩結婚してるけど、奥さんいないし。じゃあ、自分で作ったんすか?」
「いや」
「じゃあやっぱり、誰かに作ってもらったんじゃないすか。それで、恋人じゃないなら何なんですか」
「居候だ」
「居候って、男っすか女の子っすか」
「女だ」
「じゃあやっぱり恋人じゃないっすか」
「だからどうして恋人だって決めつける」
さっきからこいつは、恋人だっていう前提でしか話をしない。一緒に住んでるからって、それが恋人だとは限らないだろうに。
ジャンヌの作ってくれた弁当は定番の出汁巻き卵焼きにウインナーが入っていた。
「いただきます」
「だって先輩に妹とかいるなんて話聞いたことないっす」
「そりゃあいないからな」
「ほらやっぱり。そもそも先輩が知らない女性を家にあげるような人には見えないんすよ。なのに一緒に住んでるってことは恋人しか考えられないっす」
「はぁ。留学生だ、ホームステイしてるんだよ」
「えー、先輩がホームステイ」
「悪いか」
「全然そんなことするようには見えないっす」
「人を見た目で判断するな」
「なーんか先輩のキャラじゃないっていうか」
「事情があるんだよ、事情が」
「事情っすか。じゃあ先輩行っていいすか」
こいつまさか、家に来ようとしてないだろうな。
「どこに」
「先輩の家に。前から行ってみたいと思ってたんすよね」
「却下」
「そんなこと言わないでくださいよー」
「そもそもなんで連れて行かないといけないんだ、お前を」
「いや、俺が行きたいからなんですけどね」
「そうだろ。俺に何の得もないだろ」
この卵焼きいい塩加減だな。
「いやほら得ありますって」
「なんだ」
「これでも俺、英検二級なんすよ。留学生との通訳できますって」
「残念だったな。日本語で会話できてる」
「うそーん」
「本当だ」
「じゃあじゃあ、何でもするんで連れって言ってくださいよー。俺帰っても一人で暇なんすよ」
「ごちそうさまでした」
それにしても。だんだんこいつの相手するのも面倒になって来たな。一回連れて行けばおとなしくなるか。
「今回だけだぞ」
「しゃ!」
「本当にわかってるんだろうな」
「わかってますって、次からは無理言いませんから」
「催促はするのか」
「そりゃあ、先輩と仲良くなりたいんで。だーれも仕事以外で先輩と会ったことないっていうんですもん。俺は先輩の後輩ですし、仲良くなりたいなーって。いけませんでした?」
仕事以上の関係にならないように、気を付けてきたつもりったが。知らないうちに浅野が内に入ってきてたか。親しい人間なんて、俺にはもう必要ないのにな。
ここで突っぱねてもよかったが、仕事に支障が出ても困る。浅野が内に入るのがうまかった、そういうことにしておこう。
「わかったよ。ただし、プライベートに踏み込んでくるなよ」
「わかってますって、そこまで非常識じゃないっす」
浅野も分別ある大人だその辺は信じてやるか。
浅野を後ろに連れて、家路につく。
「へー先輩ってこの辺に住んでるんすね」
「ああ」
「この辺って、一昨日空間震あったところですよね」
「よく覚えてたな」
今時空間地震が起きた場所を覚えてるやつなんて、ほとんど居ないぞ。テレビでもテロップが出て終わりだしな。
だから空間震があった場所にいたならともかく、無関係の場所にいて二日前に起きた空間震のことを覚えてるやつは珍しい。
「テレビのテロップに流れてたのを見たんっす。ちょうどいい所をテロップに邪魔されて、たまたま覚えてただけですって」
「本当にたまたまだな」
「普段そんなに気にしないっすからね。発生するのもそんなに頻繁じゃないっすし」
「そうだな」
月に一回あるかどうか。年間でも二桁行かない年もある。小さいものならっけこうな頻度であるらしいが、自然消滅するものらしく警報もならない。本当に平和になったもんだよ。
まあ、最近はそうでもないらしいがな。月に二回発生することも珍しくない。だからこそ世界教会は、戦力を新しいヒーロを求めている。
「立派な家っすね」
「ただいま」
「あっちょ待ってください先輩」
鍵を開けて玄関を開けると、リビングから走ってくる音がした。
「枝垂さんおかえりなさい。早かったですね」
「たまたまな」
「お邪魔しまーす」
「お客さんですか?」
「先輩の後輩で浅野って言います。留学生って聞いてたっすけど日本語上手っすね」
「私ジャンヌって言います。日本が大好きで、日本語頑張って勉強したんです」
「へーそうなんすね」
意外にもジャンヌと浅野は話が合うらしい。
「ほら麦茶」
「コーヒーないんすか」
「あるけど贅沢言うな」
「分かりましたよ」
「それで浅野さんは何しに?」
「ただ来たくてきたらしい。ということで帰れ」
こいつがここにいる理由もないだろ。さっさと帰らせた方がいい、部屋の片付けも出来やしない。
「いやまだ来たばっかなんすけど」
「プライベートに首突っ込むなって言っただろ。今日は帰れ」
「分かりましたよ。でも、今度食事誘った時は来てくださいよ」
「わかった」
「約束ですからね。それじゃお邪魔しましたー」
浅野が帰って家の中が静かになった。
「よかったんですか、せっかく来てくれたのに」
「今日は都合が悪いんだ」
「プライベートですか?」
「ああ、部屋を片付けようと思ってな」
「部屋ってもしかして」
「ああ、今ジャンヌが使ってる。由衣の部屋だ」
階段の後ろ。ジャンヌがついてくる。ただ階段を上るだけなのにとてもゆっくり上がっているように感じる。
いや、もしかしたら本当にゆっくり階段を上がってるのかもしれない。後ろにいるジャンヌが言わないだけで、ゆっくりゆっくり階段を上ってるのかもしれない。
そう思ってしまうくらいに、俺の足取りは重かった。由衣の部屋に行くだけで、こんなにも足取りが重かった日はあっただろうか。
部屋の中で泣き崩れることは多々あったが、部屋に行くだけでこうなったことはなかった。
階段を上って、二階に上がるだけだというのにこんなにも疲れるだなんて思いもしなかった。
「片付けよう」
「はい。と言ってもだいぶ綺麗ですけど」
「まあな、来るたびに綺麗にはしていた。だが此処には由衣の物が多すぎる。ジャンヌが過ごすには片付けた方がいいんだ。俺が過去と決別するためにも」
「枝垂さんがそう決めたのなら、お手伝いします」
ジャンヌと始めた片付けは、一人でやろうとした時とは比べ物にならないくらいに進んだ。
俺の動きが止まるとジャンヌが声をかけてくれて、片付けに戻してくれる。
ジャンヌが必要ないといったものは部屋の隅にまとめる。俺が判断すると全部残してしまいそうだからな。この部屋を使ってるジャンヌが必要なものだけを残すことにした。
クローゼットにあった服は半分捨てることになった。小物はほとんどがそのまま。ぬいぐるみもジャンヌが残したいというので残すことになった。
「これで終わりですね。ほとんど服ですけど」
「あまり部屋に物を置かなかったからな。服以外はほとんどがぬいぐるみしかなかっただろ」
「そうですね、それにしても、ぬいぐるみとってもお好きだったんですね」
窓がない壁一面にぬいぐるみが置いてある。小さいのから大きいものまで、小さな山になるくらいだ。よくねだられて買ったものだ。
プレゼントも欲しいものは何か聞けば、必ずぬいぐるみだったしな。まあ、ここまで数が増えたのはここ十年くらいなんだが。
誕生日、命日。何かあるたびにぬいぐるみを買ってきては、ここに置いた。誰も帰ってこない部屋にぬいぐるみだけが増えていって。
このぬいぐるみを残しておきたいとジャンヌが言ってくれて、少しうれしかった。もしかしたらジャンヌに気を使われたかもしれないがな。
「ああ、大好きだったさ。俺の気持ちが変わらないうちに捨てるぞ」
「そうですね」
持ってきた袋に服を詰め込む。詰め込んだ服は、リサイクルしてくれる場所までこの後持っていく。
捨ててもよかったが、ジャンヌがリサイクルにしましょうって言ってきたからそうすることにした。
持っていく場所は、ジャンヌの服を買った、あのショッピングモールだ。
「目立っちゃいますね」
「仕方ないだろうな」
これでも小さくしたが、抱えないといけないほどの袋を持ってたら見られるだろうな。
「ふう、どうします?」
「どうって?」
服を置いてきて、夕焼けを背にしてベンチに座りながら休憩していた。
「晩御飯です。外に出てますし外食します?」
「あーそうだな」
ここまで外に出たら、食って帰るのもありか。
「何食べたい」
「うーん、麵系じゃないのがいいですね。麺は大量に家にありますし」
「カップ麺だって美味しいだろ。さて、近くにある店探すか」