第2話(3) 幕張の電光石火
放課後サッカー部のグラウンドにて、最後の茶番が行われようとしていました。ショッキングピンクのトレーニングウェアに着替えた聖良ちゃんがもはや義務のように叫びます。
「第1回! 桃ちゃんのハートに火を付けろ! チキチキ1対1対決~!」
今更だけど、聖良ちゃんって年末は「笑ってはいけない○○」派だったりするんでしょうか。
「1対1ってタイマンか?」
腕まくりをし、両手の指をポキポキと鳴らす竜乃ちゃん。彼女は学校指定の小豆色のジャージを着ています。
「違うわよ! ケンカから離れなさいよ、このヤンキー脳! 純粋にサッカーで勝負よ、実力差を見せつけてあげるわ!」
1対1とは、サッカーの練習でもポピュラーな形式です。広さはマチマチですが、大体コート半分の、さらに3分の2位の広さ、大体20m四方のエリアで行います。ルールもマチマチですが、最も多いのは対面する相手をかわし、ボールをゴールに決めたら勝ち、というものでしょうか。実はタイマンという表現もあながち外れではありません。その辺の説明は、全部マネージャーの美花さんが、竜乃ちゃんにしてくれました。美花さんは首からホイッスルを下げています。審判役もやってくれるそうです。ゴールキーパーには、副キャプテンの永江奈和(ながえなわ)さんが務めてくれることになりました。永江さんは長身で短髪。細目で口数の少ない方で、私は厳しそうな印象を持っていました。キーパーとしての実力は確かで、昨年の仙台和泉の大会ベスト16入りに貢献し、県選抜候補の合宿にも参加した経験があるそうです。こんな茶番も練習時間の無駄だと言って止めさせるかと思いましたが、案外ノリの良い方のようです。
「シュートをゴールに決めたら1点。シュートが止められたり、外したりしたら0点。ボールを奪われたり、クリア……このエリアの外側にボールを蹴りだされたりしても0点。攻めと守りを交互に3回行って、多く点を取った方が勝ち……分かった?」
「ああ」
「先攻後攻はどうする? じゃんけんで決める?」
「お前からで良いよ」
「初っ端から自信喪失しちゃうかもよ?」
「ハッ、抜かせ」
二人が所定の位置に付きます。先攻が聖良ちゃん。後攻が竜乃ちゃんになったようです。聖良ちゃんが竜乃ちゃんに声をかけます。
「初心者のアンタには私を止めるのは無理よ……だからハンデをあげる。私はシュートを利き足の逆の左でしか打たないわ」
私も思わず口を挟んでしまいました。竜乃ちゃんの傍に駆け寄り、こうアドバイスしました。
「ディフェンスの時は基本前傾姿勢で、足裏はビッタリ地面につけないで、かかとの部分を気持ちょっと浮かせるように構えてみて。そうすれば相手の急な加速などにもついて行きやすくなるから」
「任せろ。我に秘策ありだ」
「秘策?」
嫌な予感しかしませんが、とにかくその場を離れました。聖良ちゃんがそんな私たちの様子を苦々しく見つめています。
「桃ちゃん……ま、まあ良いわ、秘策でも何でも止められるものならやってみなさいよ」
私がエリアの外に出たとき、美花さんがホイッスルを鳴らしました。その一瞬で竜乃ちゃんは聖良ちゃんとの数メートルあった距離を詰めてみせました。凄いスピードです。流石に少し驚いた聖良ちゃん、足元のボールを軽くシザーズし(またぎ)、出方を伺います。しかし、次の瞬間驚くべきことがありました。竜乃ちゃんが聖良ちゃんにボディブローをお見舞いしようとしたのです。堪らずボールから飛び退く聖良ちゃん。秘策ってこれでしょうか……。私はその場で頭を抱えてしまいました。
「お、やったーボール獲ったー! 0点に抑えたってことだよな?」
「ピ、ピッピィ――!」
笛を吹きながら、美花さんが竜乃ちゃんに駆け寄り、イエローカードを提示します。
「お、なんだポイントカードか?」
「違います龍波さん! 今のは反則で、これは警告を示すカードです」
「ええ、反則⁉」
「反則に決まってんでしょうが……!」
「いやだって何でもって言うから~」
「格闘技やってんじゃないのよ!」
「顔は止めてボディーにしたのにな~」
「顔なんか殴ったらそれこそ一発退場よ!」
「悪かったよ、ほ、ほら、もう一回お前の先攻で良いからさ」
不貞腐れながらも、聖良ちゃんが所定の位置に戻りました。美花さんが笛を吹きます。すぐさま竜乃ちゃんが聖良ちゃんの元に詰め寄ります。しかし、彼女もすぐさま竜乃ちゃんの体の重心が、自分から見て右側にやや傾いていると見て、スピードを上げ、竜乃ちゃんの左側をすり抜けて行きました。すぐさま反転し、追いかける竜乃ちゃん。誰もが追いつけないだろうと思いましたが、驚くことに追いつきました。そしてさらに驚くべき行動を取りました。斜め後ろから聖良ちゃんに抱き付いたのです。バランスを崩して倒れこむ二人。心配して駆け寄った私たちの目前に、衝撃的な光景が広がっていました。そこには白のハーフパンツを下着ごとずり下ろされ、お尻があらわになった聖良ちゃんのあられもない姿です。聖良ちゃんは慌ててパンツを穿いて顔を真っ赤にしながら立ち上がりました。
「ア、アンタいい加減にしなさいよ! ラグビーやってんじゃないのよ!」
「ピッピ――!」
美花さんがホイッスルを吹いて竜乃ちゃんの元に駆け寄り、イエローカード、次いでレッドカードを提示します。
「な、なんだ、ポイント10倍か?」
「いえ、警告2枚で退場です……」
「た、退場⁉」
「もう没収試合でいいでしょ……私の勝ち、アンタの負け」
「負けってことは……」
「こんな反則行為を繰り返すやつはサッカー部にふさわしくないわ。入部は取り消しね」
「ち、ちょっと待ってくれ! もう1度チャンスをくれ! 仏の顔も三度までっていうだろう⁉ 頼む! この通りだ!」
そういって竜乃ちゃんは両手両膝を地面に着きました。さらに思いのたけをぶちまけます。
「まだボールをまともに蹴ってない! あの日の感覚をもう一度味わいたい! このままじゃ終われないんだ!」
「……勝負はまだついていない、姫藤、お前の先攻でもう一度初めからだ」
意外な人物が助け舟を出しました。副キャプテンの永江さんです。
「そんな!」
不満げな聖良ちゃんを制し、永江さんは話を続けます。
「ルールはこれから教えていけば良い。誰でもみんな最初は初めてだ。それに……」
「それに……?」
「お前らのシュートを受けてみたい……ってのはダメか?」
渋々納得した聖良ちゃんは所定の位置に戻りました。
「さあ、続けるわよ!」
私は竜乃ちゃんの元に歩み寄り、アドバイスを送ります。
「竜乃ちゃん、今更だけど、ボールは脚で獲りに行かないとダメだよ。あ、相手の脚蹴るのもナシね。それとディフェンスだけど闇雲に突っ込んでも無理だよ、ある程度距離を保ちながら、相手の出方を伺わないと」
「間合いを意識して、スキを突けってことだな、分かったぜ」
独特の感覚ではあるけれども、理解はしてくれたようです。私はエリア外に出ました。
笛が鳴り、再び聖良ちゃんの攻めるターンです。しかし、今度は竜乃ちゃんも突進しません。しっかり腰を落とし、距離を取って待ち構えます。その様子に少し聖良ちゃんは驚いたようですが、すぐ真剣な表情に戻りました。足裏を使ってボールを転がし、ゆっくりと前進します。一瞬の間を置いて、聖良ちゃんが仕掛けます。先程と同じように右から抜き去ろうとします。ですが、竜乃ちゃんもそれについていきます。再び止まる二人。聖良ちゃんの足元からボールが少し離れました。チャンスと思ったか、竜乃ちゃんが左足を伸ばし、ボールを蹴り出そうとします。しかし、これは罠でした。聖良ちゃんはすぐさま右の足裏を使って、ボールを足元に引き戻すと、右足インサイド、左足インサイドと使って、体勢を崩してしまった竜乃ちゃんの右側を抜け出します。
「くっ……」
「まず一点もらったわ!」
シュートを放つ聖良ちゃんでしたが、ボールはもの凄いスピードで反転してきた竜乃ちゃんが懸命に伸ばした右足に当たりました。
「なっ⁉」
上に勢い無く舞い上がったボールは永江さんに難なくキャッチされました。聖良ちゃんは信じられないといった表情で竜乃ちゃんを見つめます。
「姫藤さんとは中学時代は対戦しましたか?」
いつの間にか、私の隣に立っていた美花さんが話しかけてきました。
「い、いえ、彼女有名だったんですか?」
「鋭いドリブルが持ち味で『幕張の電光石火』と言われていました。全国には縁がありませんでしたが、昨年の関東大会では優秀選手にも選出されていたはずです。丸井さんと言い、何でここ十五年の最高成績が県ベスト8のウチなんかに……」
少なくとも学食に魅力を感じてってわけではないのは確かだと思います。それにしても、『幕張の電光石火』ですか、私の中学時代の異名は……思い出したくないですね……。そんなことを考えていると、
「ビィちゃん」
竜乃ちゃんが私の前に立っていました。
「どうしたの?」
「いやさ、アレってありなのか?」
「アレ?」
「さっきみたいにボール離したと見せてさ、こっちに『取れる!』って思わせたりするの」
「あれはフェイントの一種みたいなものだから。正当なプレーだよ、反則じゃないよ」
「そっか、ああいうのがフェイントっていうのか……」
そう言って、竜乃ちゃんは所定の位置に向かいます。
一本目後攻、竜乃ちゃんの攻める番です。笛が鳴ってもしばらく動きません。どうしたのかと思っていると、彼女が何やら呟きました。
「う~ん、やっぱり小難しいことは止めとくか」
そして彼女は大きく左足を振りかぶって、助走なし、ノーステップでシュートを放ちました。
「は⁉」
聖良ちゃんは驚きながらも右足を伸ばし、低い弾道で飛んできたシュートを防ごうとしました。しかし、完璧には防ぎきれず、ボールは勢いをほとんど失わず飛んでいきましたが、ゴールのわずか左に外れました。竜乃ちゃんが天を仰ぎます。
「あ~やっぱ無理か~」
「あ、当たり前でしょ! こういう1対1の場合は相手をかわさないとシュートコースなんてないんだから!」
右足を抑えながら、聖良ちゃんが叫びます。痛かったようです。
「ノーステップかつシュートフォームも無茶苦茶……それでもなおあの威力、やっぱり規格外ですね……」
美花さんが感嘆の声をもらします。
「丸井さん、彼女は何者なんですか?」
こっちが聞きたいです。