縺れた糸(2)
「綾音さんは、私のどこを好きですか?」
「手が好きよ。眼鏡が似合うところと、泣きぼくろも」
「他には?」
「そうね……私に強い感情を向けるところ。それなのに、私に触れられるのを待つばかりの受身で、じれったい。だけど求められている感じがして、好きよそういうの」
「私から……」
受身の縁が良いのだろうか。気の向いた時だけ構える存在。綾音は自由でいたいのかもしれない。
「なあに」
言葉を切った縁を不思議そうに見てから、綾音はそのままバスの窓ガラス越しの景色に意識を向けた。
「もうそろそろ、お別れの時間ね」
離れていた綾音の手を、縁からぎゅっと握った。ぴくりと指が動いた。
「……なあに」
「綾音さんが大好きです」
「うん、知ってる。ありがとう」
バスの他の乗客に悟られないよう、握った綾音の手を引き寄せて、縁の頬に触れさせた。
「そこも触って欲しかったの?」
「そうです。もっとあちこち綾音さんに触って欲しい」
「ふぅん……欲張りね」
綾音は目を逸らした。ひどくそっけない態度に思えたが、その顔は淡く朱に染まっていた。
「本当は綾音さんのこと、私からも触りたいんです」
本音を告げたら、頬に触れていた手がするりと逃れて遠退いた。
「駄目」
目を伏せて拒絶した綾音の言葉を鵜呑みにするべきか迷った。本当は縁のことを待っているのではないかと。けれどそれは思い違いかも知れない。
絹糸のような髪に触れてみた。とても繊細な触り心地の髪をそっと撫でてみたら、もう一度言われた。
「縁から触っては駄目よ」
払いのけることはせず、口先だけの拒絶をする綾音の声は少し、震えていた。
その唇に触れたいと思ったが、出来なかった。
「私だけの──」
私だけの先輩でいてください。
なかなか続けることが出来ずに、心の中だけで呟く。
どれだけの葛藤があったろうか。やがてバスのアナウンスが、無情にも縁の降りる停留所を告げた。
「また明日ね」
どこか安堵したような綾音の声に、また心が揺れる。わざと綾音の髪を縁のボタンに絡ませてみた。細くやわらかい髪は
「何をしているの。降りられなかったじゃない」
「ごめんなさい……髪が、絡まって」
「困った子ね」
綾音は明後日の方を向いて、沈黙した。
止まってしまった言葉の続きを吐き出してみようか。縁は暫く躊躇していたが、結局は何も言わなかった。
誰の手も誰の目も届かない場所に、綾音を閉じ込めることが出来たなら、縁に心の安寧は訪れるだろうか。
──否、と首を横に振る。
綾音には自由でいて欲しかった。
やがて髪がほどけ、止めていたい時が動き出す。せめてこの日常が終わらないように、そう願った。
「次で一緒に、降りましょう」
この人もいずれは誰か別の人と結ばれるのだろうか。ふと過った厭な感情に、無意識に唇を噛み締めた。