第十二話 呂布奉先、ローマを治める <序>
「長旅になるのですかな?」
男が問う。
「恐らくは」ラクレスは簡潔に答えた。
短い言葉のやり取りの中ラクレスは男の剣気が微妙に揺らぐのを感じた。
だがその揺らぎが何を意味するのかは分からない。
「見えませぬか。また弱くなりましたな…ラクレス殿」
そう言うと男は残念そうに髭をさすった。
何が見えぬのか問おうとしてラクレスは止めた。
ラクレスが老いたのではない、男がもはや届かぬ所まで昇ったのであろう。
「邪魔したようです。旅の武運を祈ります」
男は目を開け腰をあげた。
戸口までラクレスが送ると、薙刀を手にとり振り返った男は思い出したように問うた。
「呂大夫の倅を鍛えているのか」
突然の言葉にラクレスは真意を計りかねた。口調が変化している。
魂を軋ませるような声である。
男の風貌と言葉がやっとかみ合ったようにも見える。
「今は近傍の丘に登っております」用心しながら答える。
「そやつは剛くなりそうか?」
ラクレスは間を置き、しかしはっきりと言った。
「…伯様は天才です。百年に1人の者となるでしょうな」
「儂の相手ができる程度にか」
男の目は鬼の目であった。
「残念ながら」とラクレスは首を横に振った。
人が鬼獣に勝てるのは物語の中だけだ。
伯がこの鬼獣に勝てるとするならばその時すでに伯も人ではなかろう。
ラクレスは伯にそういう道を歩いてほしくはなかった。
その時部屋で異様な音が響き机が真っ二つに割れた。
ラクレスは部屋での言葉に得心し、目の前の男に深々と別れの作法をとった。