第八十六話
「社長……」
予想外だった。
会社の役員になって欲しいと言われるとは。
金にがめつい社長が給料も上げると言っているとなれば、本当なんだろうが……。
(俺が役員か……。だがそうなれば、簡単には辞められないだろうな)
まだ社内の人間には言っていないが、これを機に会社を辞めようと思っていた。
会社が大きく羽ばたこうとする力を付けた今、俺に与えられた役割は終わった。
これでもう思い残すことはないと。
退職届を提出した後、両親の英語教室を手伝う予定だった。
(実際、俺は不器用だ。……まだ諦めきれないくせに)
いつかテレビ局に戻りたい。
心の底ではそう願っている。
だが、報道局での華々しい日々はもう過ぎ去ったことだ。
俺の居場所はあそこにはない。
分かりきったことではあるが、執着心が決断を渋らせた。
「……少し考えさせてください」
「おっ? 構わんが、待遇は今よりずっと良くなるんだ。損はしないと思うけどな? ま、決心が出来たら返事を聞かせてくれ」
社長はもう2杯目のビールを飲んでいる。
ペースが速いな。
この分だと後1時間くらいで寝てしまうんじゃないか?
……全く、しょうがない社長だ。
俺は口元を緩ませ、ビール瓶を両手に取った。
「社長、お注ぎしますよ」