第七十三話
そう一言だけ吐き捨て、牧野は事務所を出ていった。
それを見た広瀬は「あーあ、牧野さん怒らせちまったな。知らねーぞ」と嘲りながら階段を降りていく。
とんでもないことを口走ってしまった自覚はあるが、既に後の祭りだった。
「泉さん……」
罪滅ぼしに泣きじゃくる泉を慰めようとしたが、泉は「わーん」とセットから飛び出して行った。
最後に残ったのは俺だけだ。
一人セットのこたつテーブルに腰を下ろし、ふーっと息を吐く。
(こんなはずじゃなかった……)
和歌がいなくなってからというもの、俺は前にも増して仕事に打ち込むようになった。
彼女の事を少しでも忘れたかったからだ。
仕事中は何とかなったが、夜になると彼女は亡霊のように記憶に現れる。
彼女と過ごした公園や、彼女との初めてのキス。
最後の笑顔。
あのシーンから、俺は一歩も進めない。
仕事も同じだった。
以前なら多少の粗を見過ごすこともあったが、最近では必ず撮り直しをしている。
キャストに負担がかかるのは当然だ。
あいつらが怒るのも理解出来る。
スーツのポケットから煙草を取り出したが、箱は空だった。
「……チッ、煙草切れか」
くしゃりと片手で握りつぶし、セットの中にあるゴミ箱へ投げ入れる。
紙屑と化したそれはゴミ箱の縁に当たり、コロコロと茶色い絨毯を転がった。
「……面倒臭ぇ」
周囲の人間に気を遣うのはそんなに難しいことじゃなかったはずだ。
どの仕事でも必要になる調整役は、俺の十八番だった。
(俺の取り柄はもはや過去形でしかないのか……。…………もういい)