一章の四 最適な盾が見つかる。
入社式が終わった後。蔦文花は、会社内を案内された。
案内人など、一人で事足りるのに、ぞろぞろと男どもが近づいてくる。
文花は、それぞれに、軽く笑顔で返した。
顔を赤くさせる者。恥ずかしげに目を逸らす者。近づいてきたのに、妙な距離を置いて眺めるだけの者。
文花にとって、新生活がスタートする場面では、お馴染みの風景で、珍しくもない。
一方で、遠くから中年の女やら、若い女やらが、
(早急に、対処しなくては……)
要は、同性からの妬み嫉みの類で、新生活のスタートの場では、最も気を付けなければならない。対応を少しでも間違えると、即、退場になりかねないのだ。
「おい、いつまで
案内をする阪口慶二が、文花目当ての男どもを、ドスを利かせて追い払う。
阪口は、技能部転写デザイン課の課長で、文花の直属の上司にあたる。冗談が通じなさそうな、いかにも堅物な職人肌の男だ。
文花は、それまでの男たちと同様に、阪口へ愛想笑いをした。ふざけた男どもを追い払ってくれた、お礼ともいえる。しかしながら阪口は、眉間に皺を寄せ、文花の愛想笑いを一蹴した。
(やはり、こういった人間には通用しないか……)
そうやって文花は、阪口の性質がなんたるかを心の中にインプットしておく。
「アンタは去年の秋に会社説明会に来て、技能部は見ていっただろうから、だいたいは知っているだろう?」
阪口は、自分たちの技能部転写デザイン課の紹介を省いた。それで、真っ先に向かった場所は、製造部になった。
「よく若い連中にも話すんだが、俺たちはデザインだけやってりゃあいい、ってわけじゃないんだ――」
話が長くなりそうだったが、文花は黙って聞いた。
製造部が受け持つ工程は、成形部が用意した
完成した製品を梱包して、納品までを行い、各工程に対して厳しい検査をするのも、製造部の仕事だ。
「仕上げる過程をよく把握して、初めて、いい物が完成するんだ」
阪口の締めの言葉は、今まで口酸っぱく言ってきたのだろうと思わせるぐらい、年季が入っていた。話を要約すると、製造部こそが最も重要であり、製造部の仕事を理解しなければ、技能部の仕事は成り立たないらしい。
阪口は、製造部の各工程に、隙間なく赴き、それぞれに詳細な説明をする。なんだか、技能部の人間ではなく、製造部の人間のようだ。
文花は、新生活の好ダッシュをするには、阪口の言うとおりにしていれば間違いないと踏んだ。
ただそうはいっても、周辺の者の目は、何とか対処せねばならなかった。阪口のいうとおりに、阪口にべったりでは、課長を傘に着ていると陰口を叩かれかねない。
実際に阪口の後ろを従いて回っていると、特に同性からは、いい目で見られなかった。中には、もう色目で落としたのか、的な目つきをしてくる者もいる。
(やはり早急に、盾になる者が必要だ)
文花のいう、盾とは、一般でいう友人とか仲間を指していた。物心ついた時分から、文花が持ち得た考え方だ。
「やっぱり、一華ちゃんが一番うまいな」
生地に転写紙を張り付ける工程に来たとき、阪口の喋りは滑らかになった。
「課長さん、見世物じゃないよ」
「そういうなよ。新人も来てるんだから、少し見せてくれよ」
明らかに阪口は、今までの人間たちと接し方が違っている。笑顔を見せて、姪っ子か何かと接する柔和さがあった。文花は、「一華ちゃん」と呼ばれた女に興味を持つ。
「この転写紙のデザイン、どう?」
「なんか、ババア臭い。こんなん、売れないだろうね。これって、結婚式の引き出物用でしょ。若い連中は、どうかなあ」
阪口と一華のやりとりは、常に阪口の劣勢になった。そもそも一華は、阪口への態度が対等すぎる。
「蔦です。よろしくお願いします」
文花は、阪口と一華のやりとりに割って入る。
一華は、仕事の手を止めずに、一瞬だけ文花に視線を向けると、少しだけ頭を下げた。
「アンタ、よく見な。寸分の狂いなく、それでいてミスもないだろう。さすがとしかいいようがない」
阪口は、一華の
「だから課長さん、見世物じゃないよ」
やりにくさこの上ない、という一華は、茶茶を入れてやめさせようとする。
「そういうなよ。新人も来てるんだから、もう少し見せてくれよ」
少しの間、阪口の集中が続く。
「一華ちゃん、梱包のほうが忙しいらしいんだよ。悪いけど、行ってくれないかね。こっちは、西ちゃんと私で乗り切るから」
中年の女が、向こうのほうで声を掛けてきた。
「さっちゃん、分かった。じゃあ頼むね」
阪口の目から逃れる口実を得られた一華は、さっさと梱包作業のほうへ行く準備をしだす。
「梱包も早いんだよな。あれ、いつ見ても、どうやっているか分からないんだよなあ」
阪口は、そのまま一華に従いて行く勢いだ。
「課長さん、まだ、あっちの案内があるでしょ」
遠回しに、一華は追い払う。
「じゃあ、また後で、梱包の技も見せてもらうよ」
阪口は、結局は、梱包にも顔を見せるつもりのようだ。
文花は、阪口と一華のやりとりを間近で見て、大きな発見をする。盾が見つかった、と。