リグドと、トラミ その2
その日の夕刻……
「ほんとにここでいいんすか?」
「うむ、ワホ殿もご了承くださったでござるし」
クレアの言葉に、トラミは深々と頭をさげた。
2人の姿は、ワホの犬小屋の中にあった。
行くあても金もないトラミを
「とりあえず武者修行出来るだけの金がたまるまでウチで働いていけ」
そう言って引き留めたリグド。
「かたじけない。恩に切るでござる」
それをトラミが諾したのである。
すでに酒場の2階の部屋がいっぱいになっていたこともあり、トラミはワホの犬小屋の屋根の上に仮設小屋を増設し、そこで生活することにしたの
であった。
「しかしクレア殿……貴殿があのリグド殿の奥方になられていたとは、拙者も驚愕いたしましたぞ」
「……う、うっす」
「とはいえ、いつもリグド殿の後方をついて歩いておられた貴殿ゆえ、リグド殿に続いて退団なさった時には、リグド殿の後を追いかけられるとは
思っていたでござるが、ちと予想を超えていたでござる」
「……う、うっす」
「で……」
クレアの耳元に口を寄せるトラミ。
「……あの、堅物のリグド殿をいかにして籠絡なさったのでござる? 拙者、後学のためにぜひご教授願いたいのでござるが……」
その顔を、耳まで真っ赤にしているトラミ。
一方のクレアも、その顔を真っ赤にしている。
「……き、」
「き?」
「……禁則事項っす」
「そ、それはご無体な! そこを曲げてお願いしたいでござる」
「……禁則事項っす」
「ど、どうか平に、平に……」
「シャキナさんの攻略には、向かない方法っす……」
「ん、んな!?」
クレアの言葉に、尻尾まで真っ赤にするトラミ。
「せせせ拙者と師匠はそそそそのような仲ではござらぬし、そそそそのような不敬な気持ちなど持ち合わせておら……おら……お……ゴニョゴニョ
」
互いに顔を見合わせながら、互いに顔を真っ赤にし合っている2人。
その2人を、ワホが楽しそうに見つめていた。
◇◇
その夜……
リグドの酒場のど真ん中に、トラミの姿があった。
胸にサラシを巻き、肩を露わにしているトラミ。
その眼前には、大きな魚がテーブルの上に置かれている。
とれたてらしく、ピチピチと動いているその魚。
その前で、トラミは自らの刀を構えていく。
細身の、ニホン刀と呼ばれているその刀をゆっくりと魚の体に沿わせていく。
店の端に座っているウェニアが、その動きに合わせてハープを奏で続けている。
客達は、トラミの周囲を囲みつつ、その刀の行方を見つめていた。
「……いざ!」
ここで、トラミは刀を一閃していく。
一瞬にして、その刀を左右に大きく振り回していくトラミ。
その刀の動きに呼応して、魚の巨体が一瞬宙に浮いていく。
そして、その巨体が机の上の大皿の上に落下すると同時に、
「うおぉ!?」
「まじか!」
「す、すげぇ」
客達から一斉に驚愕の声があがっていく。
それもそのはず……
その魚の上半分の皮が綺麗に剥ぎ取られ、その身が綺麗に切り分けられていたのである
それは、刺身としてすぐに口に出来る大きさに整えられていた。
しかも
「おいおい、あんなに切り刻まれたってのに……」
「あの魚……まだ動いてるぞ……」
客達の驚愕の言葉のとおり、その魚はまだ動いていた。
その上半分が切り刻まれ、刺身と化しているのに、で、ある。
ここで、カララとクレアが客達の前に割り込んできた。
「はい~、お魚の活き作りです~」
「これにつけて食べてほしいっす」
手に持っているトレーの上にのっている、黒い調味料が入っている小皿を皆に配っていく。
「この黒いのは、なんだい?」
「それはショウユと申す。拙者の実家秘伝の調味料でござる。魚を刺身で食すには最適な調味料でござるゆえ、ぜひお試しくだされ」
刀身を布巾でぬぐいながら、トラミが答えていく。
それを受け、小皿を受け取った客達が魚に殺到し、その身を取っていく。
ショウユにつけてから、それを口に運んでいく。
「うむ! 確かにこれはいい!」
「このショウユ、ホントに魚にあうな!」
「うまい、これはうまい!」
ショウユをつけた刺身を口にした客達は、一斉に歓喜の声をあげていく。
すると、厨房からは
「おう、刺身もいいけどスープカレーもな!」
リグドがニカッと笑いながら、出来上がったばかりのブラッドスープカレーを皿によそっていく。
その香しい香りに鼻先をくすぐられた客達が一斉にリグドの方へ振り向いていく。
「おぉ! 出来たか!」
「早速1杯もらおうか!」
魚に殺到していた客達の一部がカウンターへ向かって移動していく。
ここで、クレアが木箱を左肩にかついでやって来た。
「酒もあるっす。タクラ酒っす」
右手に持っている酒瓶を、言葉と同時にかざしていく。
「おぉ! タクラ酒!」
「再入荷したんだな! 早速一杯もらおうか!」
「こっちは瓶ごとだ!」
客達の間から、さらに歓声があがっていく。
その声の出所に、クレアが軽やかな足裁きで移動していく。
肩に木箱を担いでいるにもかかわらず、まるでステップを踏むように軽々と動作するクレア。
「ふむ……さすがクレア殿、相変わらず素晴らしい身のこなしでござるな」
刀を鞘に戻したトラミが、クレアの動きに頷いていく。
この日の店内は、こうしていつも以上に賑やかな客の声で満たされていた。
その声は、閉店まで途切れることはなかった。
◇◇
「いやぁ、今日は賑やかだったな」
リグドは、ニカッと笑みを浮かべながら店内の片付けを行っていた。
店内では、クレア・カララ・トラミの3人がリグド同様に片付けを行っている。
いつもであれば、すでに部屋で休んでいるカララ。
だが、先日、リグドがドンタコスゥコから購入してくれた薬を服用したところ、瞬く間に健康を取り戻していたのであった。
「カララも、あんま無理するんじゃないぞ」
「平気ですリグドさん~今の私でしたら何だって出来ちゃいそうです~」
そう言い、力こぶを作るカララ。
しかし、その細腕では相変わらず説得力は乏しかった。
そんなカララの様子に苦笑しながら、カウンターを拭いていくリグド。
キィ
その時、店の扉があいた。
「……お客さん? 今日はもう閉店よ」
入り口近くのいつもの席に座ってハープを磨いていたウェニアが、入ってきた男に声をかけた。
「ありがとうお嬢さん、私は、あのお方に会うために苦心惨憺してきた次第でございます」
そう言うと、その男はリグドへ向かって歩いていく。
「ふ、ふおっ!?」
その男を見たトラミが真っ赤になっていく。
その眼前を通り過ぎ、リグドの前で立ち止まったその男。
身長はリグドよりも高い。
爽やかな微笑をその顔に称えている。
細身ながらも、かなり筋肉質であることが体に密着している部闘着の上からでもよくわかる。
「……なんでぇ、誰かと思えば、シャキアじゃねぇか」
リグドは、ニカッと笑みを浮かべると、その男シャキアを抱き寄せた。
「……お久しぶりです、リグド先輩。またお会い出来て恐悦至極に存じます」
シャキアもまた、嬉しそうに微笑みながらリグドの体に腕を回していく。
龍人シャキナ……
リグドとクレアのちょうど中間の年齢の冒険者。
武人として刀身の細い剣を武器とし、冷静かつ冷徹に仕事を完遂する亜人種族。
人呼んで完璧執行人。
年こそ離れているものの、片翼のキメラ傭兵団の双璧と並び称された、無二の親友同士である。
「久しぶりだな兄弟」
「リグド先輩も、お元気そうで愉快喜悦」
心の底から楽しそうに笑い合い、抱き合いながら肩をたたき合う2人。
その横で、トラミが固まっていた。
「う、うおお……リグド殿×シャキナ師匠……と、尊い……尊いでござる」
両手で顔を押さえているものの、その隙間から鼻血が吹き出している。
「せ、拙者、ちと急用を思い出したゆえ!」
そう言うが早いか、トラミはすさまじい勢いで自分の部屋に向かって駆け出していった。
「……な、何があったっすか?」
その後ろ姿を、クレアが目を丸くしながら見送っていた。
◇◇
翌朝……
「……くそう……もう朝か……」
小屋の2階で、エンキがだるそうに体を起こしていく。
「エンキさんも、眠れなかったっすか?」
同室のモンショウも、眠そうにあくびをしながらベッドから起き出した。
「……当たり前だろ……あんな声が一晩中聞こえてきたんだ……眠れるわけがねぇ」
「あの声、なんだったんすかねぇ?」
「わからねぇ……ただ。隣のワン公の小屋の屋根の上に出来た新しい小屋から聞こえて来たのは間違いねぇ」
「なんかすごかったっすよねぇ……アンアンウンウンウオウオ……って……結局一晩中聞こえてきたし……」
「しかも……なんか妙に色っぽいし……えぇいくそう……」
エンキは頭を振りながら立ち上がった。
「と、とにかくもうすぐクレアの姉御の特訓の時間だ、準備するぞ」
「そ、そうっすね」
2人はあくびをしながら服を着替えていった。
この日、小屋の全員が寝不足だったのは、言うまでもない。