リグドと、トラミ その1
朝……
酒場の裏にある犬小屋の前にリグドがやってきた。
そこには、すでにワホがお座りして待っている。
その尻尾がすさまじい勢いで左右に振られていた。
その姿に、ニカッと笑みを浮かべるリグド。
「さぁ、ワホ。朝飯だ」
その前に、タライを置く。
その中には、酒場で出しているブラッドスープカレーを薄めた物が入っている。
以前は、この中に流血狼の肉を多く入れていた。
だが、ワホが肉よりもジャルガイモを好んだため、今では肉は気持ち程度しか入っておらず、具材の大半はジャルガイモとなっている。
「待て……待てだぞ……待て……よし!」
リグドの合図を受けて、ワホはタライの中に顔をつっこんでいく。
『自分の食べる分は自分で狩ってくる』
ワホ自身がそう言っていたのだが、リグドはこうして毎日朝晩、餌を作ってやっていた。
『使い魔だろうが一緒に暮らしている以上、家族も同然』
それがリグドの主義なのである。
ワホはタライに顔を突っ込み、一心不乱に餌を食べ続けている。
「うまいか? ん?」
リグドは、そんなワホの背を撫でながら楽しそうに笑っていた。
「さて、今度はエンキ達の飯を小屋に運んでおいてやらないとな。クレアにしごかれて、ヘトヘトの腹ペコになって帰って来るだろうし」
リグドは、酒場の厨房へと戻っていく。
改めて寸胴鍋を担いで戻ってくるリグド。
「……ん?」
そこで思わず目を見開いた。
その視線の先……ワホの餌が入っているタライの前に誰かが座っていたのである。
「……かたじけない。このご恩、一生忘れません」
その人物は、ワホに向かって深々と頭を下げながらタライの中の餌を口に運んでいた。
「ワホ、ワホン」
その人物に対し、ワホはまるで『困っている時はお互い様』とでも言っているかのようなに、右手でその人物の肩のあたりを叩いている。
「……そこのお前さん、どうした?」
声をかけるリグド。
すると、その人物は一瞬ビクッと体を震わせ、ゆっくりと振り返っていく。
赤い長髪をポニーテールにまとめ
カミシモと言われる武人の服装を身につけ、
腰に刀身の細い剣を鞘ごと突き刺しているその女。
口いっぱいに、ジャルガイモを頬張っているその顔を見つめるリグド。
「……お、お前ぇ……まさか、トラミか?」
◇◇
トラミ……
片翼のキメラ傭兵団所属の冒険者であり、龍人(ドラゴニュート)のシャキナの一番弟子である武人。
虎人であり、戦闘モードになると虎の姿に変化することが出来る。
「……で、そのトラミが、なんでこんな辺境の街にいるんだ? しかも腹を空かしてウチの使い魔の餌を恵んでもらってたなんてよ……」
店の中。
椅子に座り、トラミへ視線を向けているリグド。
リグドの前で、トラミは床に正座している。
「……か、返す言葉もないでござる……ひ、久々にお会い出来たリグド殿の前でなんたる失態……拙者、穴があったら入りたいでござる」
そう言うと、トラミは剣を抜き、床に穴を開けようとしていく。
「だー! お前その癖は直せ! 穴がないからと言って、開けようとするんじゃねぇ!」
「そ、そうでござった……重ね重ねなんたる失態……こ、これはもう腹をかっさばいて……」
今度は着衣の前面をガバッと開き、そこに剣を突き立てようとしていく。
「だー! お前、その癖はもっと直せ! 誰にだって失敗はあるんだ、死ぬ気があるくらいなら生きて挽回しろってんだ」
「む、むぅ、ま、まさにリグド殿の申される通り……このトラミ……感服つかまつった」
ようやく落ち着いたらしく、その場で深々と頭をさげるトラミ。
「理解してくれたんならそれでいいけどよ……だったら、その服を早く直してくれねぇか?」
そう言いながら、リグドはそっぽを向いていた。
「服? はて、服?」
首をひねりながら自分の着衣へ視線を向けるトラミ。
その上半身を覆っているキモノはガバッと開かれており、下着を身につけていない上半身がリグドの前で露わになっていた。
「ど、どっひゃああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
顔を真っ赤にしながら、慌てて着衣を戻そうとするトラミ。
立ち上がり、腰紐を緩め、上半身の着衣をその中に突っ込もうとする。
だが
慌てたため、ハカマの端を踏んづけてしまったトラミは、そのまま派手に転んでいく。
そのはずみで、ハカマがすぽんと脱げてしまい、褌しか身につけていない下半身が露わになってしまう。
「ど、どどどどどっひぇえええええええええ!?」
さらに悲鳴をあげつつ、必死に服を着ようとあがくトラミ。
◇◇
数分後。
「……なにがあったんすか?」
エンキ達の運動から戻ったクレアは、厨房に入るなり眉をひそめた。
そこには、乱れまくっている自分の服の上で、自らの腰紐と長髪でがんじがらめになってしまい、海老反り状態で身動き出来なくなっているトラミの姿があった。
「どどど、どうやったら一人でこんなに絡むことが出来るんですかぁ!?」
リグドに呼ばれて助っ人にやってきているカララが悲鳴にも似た声をあげながら紐を引っ張っている。
「……ホント……私以上に不幸ね」
その横で、ウェニアがカララと一緒に紐を引っ張っている。
しかし、その紐はびくともしていない。
クレアに向かって何か言おうとしているトラミ。
しかし、その口を自分の長髪が押さえこんでいるため、何一つ言葉を発することが出来なくなっていた。
「……まったく、お前ぇ……こういうところも相変わらずかよ」
トラミ……
慌てふためくと、どういうわけか自分の服が脱げまくっていくという謎の体質を持ってもいる。
そのため、陰で『歩くラッキースケベ』と……
◇◇
「か、重ね重ね面目次第も……」
クレアが救出に加わったおかげで、ようやく拘束から解放され、着衣を身につけ直すことが出来たトラミは、その顔を真っ赤にしたままうつむいていた。
「あ~、穴も、切腹もしなくていいから、とにかく事情を話してくれ」
……まぁた。素っ裸になられたらかなわねぇ
内心でため息をつきながらトラミに声をかけるリグド。
「そ、そうでござるな……あ、あの、拙者、半月前に片翼のキメラ傭兵団を辞めたでござる」
「はぁ?」
その言葉に、リグドは片方の眉をしかめながらトラミを見つめていく。
「お前ぇ、片翼のキメラ傭兵団で一番の剣士になるっていつも言ってたじゃねぇか。一体何があった?」
「拙者だけではござらぬ……召喚師のウィカナ、調教師のプーリ、死霊使いのイレイレ達も辞めたでござる……その……『女がでしゃばるな』と、ベラント団長殿に言われ……女の団員は皆、干されてしまい……」
トラミの言葉に、リグドは天を仰いだ。
片翼のキメラ傭兵団には実力者が揃っていた。
1人で10人分以上の働きが出来る者が男女問わずゴロゴロしている。
父の急死にともない、そんな傭兵団の団長職を急遽継ぐことになったベラント。
彼は、優秀な冒険者ではあったものの、1人で10人分の働きが出来るほどではなかった。
それでいてプライドだけは高いベラントは、自分より実力が上の団員達を疎ましく思ってか嫌がらせをする事が徐々に多くなり、リグドもその一環で首になったようなものだった。
……ベラントのヤツ……女団員にまで嫌がらせをしたってのか
その事に思い当たったリグドは、思わず顔を右手で覆った。
「……仕事に出してもらえぬ以上、傭兵団にいる意味はないと考え、拙者武者修行の旅にでることにしたのでござるが……その、お恥ずかしながら拙者、一度も傭兵団以外で生活をしたことがなかったゆえ、どうやって金を稼いだらよいのかとんと検討がつかぬまま、ふらふらあちこちをさまよっておりましたところ……この店の裏手より、何やら香しい香りが漂ってきたものですので……」
「まったく、情けないっすね。それぐらいの生活力もなかったんすか?」
トラミを、腕組みしたまま見下ろしているクレア。
そのクレアを見つめながら、リグドは
……いや、クレア……お前ぇも、トラミと大してちがわねぇはずだぞ、生活力に関しては……
内心で、おもいっきり突っ込みをいれていた。
◇◇
その頃……
小屋の中で朝食を終えたエンキ達はジャルガイモの皮を剥いていた。
昨日のノルマとして渡されていた分が、まだ剥き終わっていなかったのである。
「くそう、早く狩りに行けるようになって、野菜の皮剥きから解放されてぇぜ」
ブツブツいいながらも、皮を剥く手を止めないエンキ。
他のみんなも、エンキ同様に手を動かし続けていた。